20. 皇帝ルシアスの懸念 

文字数 2,661文字


 床を踏みつけるようにしながら、エミリオはいつになく大股(おおまた)で広廊を渡っていた。うやうやしく挨拶をする召使いたちに辛うじて笑顔で応えてはいても、その胸中は決して穏やかではなかった。

 皇帝ロベルトが全ての国土を取り戻したと知った時、ルシアスはいよいよ大きな懸念(けねん)を抱いた。それは、これまでは序章でしかない戦いを続けながらも、密かに支配を広げていたかの国が、さらなる邁進(まいしん)をはかり、これ以上の力をつけて勢力を拡大することである。

 この頃には、ルシアスはもう、エミリオに対して軍の上官としての見方が強くなっていた。さらにはシャロンも誤魔化(ごまか)されず、エミリオを後見人にするとルシアスが断言したあとも、暗殺の動きは止まなかった。思い悩むことに疲れたルシアスは、このまま成り行きに任せるようになってしまった。今やエミリオは国の英雄。誰もが一流の軍人と認めている。戦場で功績(こうせき)を残して華々(はなばな)しく散るなら、それも皇子としてふさわしい最期であり、皇子としての一つのあり方だと思うようになっていた。そして、それなら臣民も自分も(あきら)めがつくとさえ・・・。

 そしてついに、ルシアスは、エミリオが再三反対を唱えるのを無視して、アルバドル帝国に宣戦布告。すでに一度目の攻撃を仕掛けていた。だが、これを迎え撃ったアルバドルと勢力は拮抗(きっこう)し、互いに極限になってもなお決着は着かずに、停戦に入った。互いに軍隊を編成し直し、二次戦に備えるといった緊迫状態が続いていた。

 しかし実際、戦況は、エルファラムが、その痛手を隠しながらも劣勢(れっせい)で中断している。というのは、上級指揮官からも、多くの犠牲を出したからだ。しかも、中でも強い影響力を持っていた歩兵軍の指揮官を倒した戦士は、なんと、ギルベルト皇子だったのである。

 その間に、エミリオは再び、このまま戦争を終わらせるよう説得に向かっているところだった。

 凄腕(すごうで)のエミリオは実に強力な戦力ではあったが、この戦いにはまだ出陣してはいなかった。それは、この時すでに騎兵軍の中将(ちゅうじょう)に昇格していたダニルスが、皇帝にそう願い入れ、ルシアスの方でも、それをあっさりと受け入れたことによる、この二人のせめてもの配慮だったが、軍の強者(つわもの)を次々と打ち破るギルベルト皇子にさんざん痛めつけられ、掻き回された軍隊の戦況を知らされては、そうも言ってはいられなくなっていた。大陸全軍で見れば、敵はもともと、その一人一人が能力の高い、いわば少数 精鋭(せいえい)。総勢数の上で有利でも、対抗できる数の凄腕をそろえておかなければ、また指揮官を次々と失うことになるだろう。そう、いっきに攻め込まれ、混乱を起こした軍は()え果て、白旗を振ることになる。つまり、今度こそ敗北を意味する。エルファラムは、強力な戦力となる剣豪(けんごう)エミリオ皇子に対して、気遣いや出し惜しみをしている場合ではなかった。

 エミリオは、広間の鏡張(かがみば)りの窓が右手に並ぶ(まばゆ)い広廊を、そこに映る自身の険しい表情にも気付かずに、ただ真正面にだけ目を()えて会議の間へとやってきた。

 その扉の横で、軍事会議が終わるのを静かに待っている家来が、背筋をぴんと正してエミリオ皇子に敬礼をした。

「通せ。」

 エミリオは、その家来がゾッとするような低い声で命令した。

「殿下・・・恐れ入りますが、その・・・ただ今、まだ会議が行われております。」

「私は騎兵軍大尉だ。この会議に参加する権利がある。」

「は・・・。」

 人が変わったような見幕のまま、エミリオは、会議の真っ最中であるその広間へ押し入った。

 室内が一気にざわめいた。

「エミリオ様・・・。」

 皇帝ルシアス以外は、誰もみな皇子を直視できずに、バツの悪そうな顔でおずおずと目を向けるのがやっと。

 エミリオの心境は、ルシアスを含め誰にでも理解のできること。この戦いが、裏切り行為であるのを分かっているからだ。

 誰も発言しないのをいいことに、つかつかと玉座の前まで進み出たエミリオは、やにわに強い口調で父ルシアスに抗議した。

「父上、アルバドル帝国は敵ではないはずです。戦いを仕掛けたのが我々の方ならば、(いさぎよ)(あやま)ちを認め、このような無意味な戦争を二度と起こさず、ただちに終わらせるべきです。」

 ルシアスは、顔色一つ変えることなくそれを聞くと、やがて、何か異様に深みのある声で息子に言った。

「エミリオ・・・今のアルバドルの皇帝が、どういう男か知っておるか。」と。

 エミリオは、その父の声が野心に燃える炎ではなく、暗い海面を渡ってくるようであるのに気付いて、黙った。

 ルシアスはこんな言葉を続けた。

「元軍人で、地位こそ大将ではなかったが、軍師をも果たした陰の最高司令官と囁かれていた男だ。軍師とは、頭脳、戦略に長けた者。さらには、戦術にも優れていた男だ。かつては、財力が足りずに軍事力を付けられず、その男の才能はじゅうぶんに発揮されずにいた。にもかかわらず、かの国は奇跡的・・・いや、計画的な勝利を収め、国家として確かに存続してきた。その男のおかげだ。強運の持ち主であり、天才と呼ぶにふさわしい男。その男が王となってからのかの国は、たちまちにして目覚ましい成長を遂げ、財力に富み、今や軍事力をも我が国に匹敵するほどなのだ。(あなど)れぬ。」

「ですが、本来起きるはずのない戦だったはずです。それをわざわざ始めたばかりに、無駄に兵力を失っているとしか思えません。」

「エミリオ・・・そなたは、次の二次戦に出陣いたせ。」

 エミリオは、唐突(とうとつ)に突きつけられたその一言(ひとこと)に声も出ないほど驚き、そして(すさ)まじい憤怒(ふんぬ)に駆られた。

「私は、戦いを止めてくださいとお願いしているのです!」

 その怒鳴り声は周りの誰もを仰天(ぎょうてん)させ、不安にさせた。エミリオ皇子がカッとなるなど、かつてなかったことだ。

 だが、ルシアスだけは冷静だった。ルシアスは真っ直ぐに、息子の怒りに険しくなった顔を逆に見据(みす)えたまま、厳しい口調でこうきいた。

「エミリオよ、アルバドルとの約束とエルファラムの民・・・選ぶとすればどちらを守る。」と。

 エミリオには・・・答えられなかった。

 ただ負けじと(にら)み返すことしかできないでいる息子に、ルシアスも返事を求めはしなかった。

「よいか、かの国がこれ以上力を付けてしまってからでは、遅いのだ。天才的な頭脳と強運を兼ね備えた今や皇帝 軍師(ぐんし)が野心を抱いた時、我が国はどうなる。」

「父上・・・。」

 苦悶(くもん)の声を胸中で漏らしたエミリオは、ダニルスや、ほかの将軍たちが心苦しそうに見つめてくる重々しい沈黙の中、眉間(みけん)にきつく皺を寄せ、無言で父を睨みつけていた。



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