17. 揺らぎだした信念

文字数 2,828文字

 皇帝ロベルトと息子のギルベルトは、まずは歴史を塗り替える戦いを終えて得られた休息を利用して、ダルアバス王国を(おとず)れた。国王レイノルダスと、王太子のディオマルクが帝都アルバドルを訪れるということはままあったが、彼らの方が出向いたのは実に六年ぶりのことである。

 この日、ファライア王女は隣国のセルニコワ王国へ出掛けていて、残念ながら不在だった。そのため、ギルベルトは少女の頃の彼女しか見たことがなかったが、それは息を呑むほど美しく魅力的な女性になったので弱っているという話は、これまで何度もディオマルクから聞かされていた。

 そしてディオマルク王子、彼もまた、目元のキリリと引き締まった、浅黒い肌のたいそう美しい青年に成長していた。ただ、いつの間にやら、ギルベルトも(あき)れるほどの女好きにもなっていた。性格には特に問題がないことをいちおう確認したうえで、ギルベルトも認めてはいるものの。

 ギルベルトがダルアバス王国を訪れると、決まってまずは空中庭園での歓迎を受ける。夢の世界へ迷い込んだ気にもさせてくれる、素晴らしい出来栄えの幻想的な植物園は、外の世界への憧れが強いギルベルトにとって、一番のお気に入りの場所だからだ。

 親友想いのディオマルクは、ギルベルトが喜んでくれることを考えて、自ら度々管理状態の確認をし、新しいものを取り入れて変化をつける努力もしていた。独自に手に入れるのは至難だと言われているアースリーヴェ ※ の珍しい植物にも興味を持つようになった。六年ぶりのことなので、すっかり変わった場所もある。

 ディオマルクは、ギルベルトが真っ先に見たがるだろうと思っていたし、その反応を楽しみにしていた。

 それなのに、今日のギルベルトときたら、ディオマルクでなくても気付くのではというほど様子がおかしかった。口数が異常に少ないのである。

 空中庭園での軽いもてなしを受けたあと、ロベルトはレイノルダスと共に主宮殿へと戻って行った。このあと、ダルアバス王国の重要人物たちが、次々と謁見(えっけん)に訪れることになっている。本来ならギルベルトも同席するところを、王族との挨拶は終えていることもあって我儘(わがまま)をきいてもらい、理由は分からないものの、その心中を何となく察したディオマルクも気を利かせたことで、二人の息子たちはそのまま空中庭園に残ることになった。

 そして今は、茶室のそばのやや広くなったところから、甲高(かんだか)剣戟(けんげき)の音がさかんに響き渡っていた。だが、打ち合わされているのは真剣ではない。美しい装飾も施されよく出来てはいるが、真剣に見立てた斬れない模造剣(もぞうけん)である。

 二人が少年時代から楽しんでいた剣の遊戯(ゆうぎ)は、今では(もっぱ)ら、ディオマルクがギルベルトに稽古(けいこ)をつけてもらうというものに変わっていた。

 ディオマルクが一方的に攻め、それをギルベルトが受け流していた・・・が、ディオマルクはずっと、まったくやる気が無くなる思いでいた。この日、会ったその時からどこか悄然(しょうぜん)としていたギルベルトは、やはり剣を交えている間も、まるで生気を吸い取られたかのような腑抜(ふぬ)けた(つら)をしているのである。見ている方まで辛気臭(しんきくさ)いことといったらなかった。

 ある時、ディオマルクの模造剣が、ギルベルトの右腕を強打した。それはギルベルトも驚く早業(はやわざ)だったが、いつもなら当たり前のようにかわしているはず。ところがこの瞬間、ギルベルトの剣は手元から無様に抜け落ち、そのまま地面に(むな)しく横たわったのである。

「くっ・・・。」
 右腕を押さえて、ギルベルトは短い(うめ)き声を上げた。

 ディオマルクは、やれやれと言わんばかりにため息をつく。
「そなた、キレが悪いも(はなは)だしいぞ。腕がすっぱりと切断されているところだ。」

 ギルベルトはうつむいて、黙っていた。

「はれて全ての国土を取り戻したというのに、浮かぬ顔だな。ホッとするあまり、一気に気でも抜けたか。」

「ああ・・・少し疲れている。」

 ディオマルクは呆れ返ってしまった。
「戦いにではあるまい。」

 その言葉に、目の当たりにした地獄を思い出しているギルベルトに、ディオマルクは続けて声をかけた。

「エドリースだったらしいな。」

 いよいよ眉間(みけん)に苦しそうな皺を寄せるギルベルトを、ディオマルクは(のぞ)き見るように(うかが)う。

「そなた・・・戦で何を見たのだ。」

 黙っていたギルベルトの口から、やがて(つぶや)くような一言(ひとこと)が出て来た。
「私は・・・小さな人間なのだ。」

 ディオマルクには、どういうつもりで言い出したことか意味不明だったが、狂気じみた戦いが繰り広げられている激戦の地で、とにかく何か自尊心が傷つくほどの(ひど)い体験をしたのだろうと解釈した。

「これ以上の深入りはせぬ方がよいのでは。そなたは、自身が何者かを見失いかけておるようだ。」

 ディオマルクは、沈鬱(ちんうつ)な面持ちで佇んでいる幼馴染(おさななじ)みを(うれ)えるように見つめた。

 しばらくすると、ディオマルクは軽く手を上げた。少し離れて(ひか)えていた付き人の美女二人に、合図を送ったのである。

 彼女たちは、あずかっていた上着を片手に進み出てきて、ギルベルトとディオマルクの前にそれぞれ立つと、優雅な物腰で一礼をした。そして、王子たちの汗を上質のタオルで丁寧に()いていく。

 続いて、(えり)の高いシャツに金銀糸で刺繍(ししゅう)された上衣と、また高貴なスタイルに整えてもらいながら、ディオマルクはギルベルトの体を()いているもう一人にこう指示した。

「皇子は疲れておられる。晩餐会まで休みたいとのことだ。主宮殿の客室へ案内して差し上げるよう。」

「はい。かしこまりました。」
 顔に似合うよく通った美しい声で、その侍女(じじょ)は答えた。

「添い寝はいらぬか。いい()であるぞ。」

 ディオマルクは、冗談とも本気ともつかない口調でギルベルトに言った。それから、唖然(あぜん)とするギルベルトをよそに、その侍女(じじょ)にもさらりときいたのである。

「ギルベルト皇子なら、そなたも構わぬだろう。」

 妙に(あで)やかなその娘は、ギルベルト皇子の端整(たんせい)な顔をそっと見上げ、それからその引き締まった体に目をやり、はい・・・という意味の微笑を浮かべた。

 ギルベルトは、呆気(あっけ)にとられた引き攣った笑みで、その()と向かい合っていた。

 いったい、ディオマルクはどういう宮廷生活を送り、彼女たちはそれに付き合わされているのだろう。だが、ディオマルクの周りにいる侍女はみな、どうもまんざらではないように生き生きとしている。ディオマルクの美貌(びぼう)と器の大きさ、そして口が上手いおかげだろうと、ギルベルトは思った。

「いや・・・またの機会にさせてもらおう。一人で考えたいことがあるのだ。そなたは・・・とても美しく気立てもよさそうだが・・・ありがとう。」

 彼女にはそう優しい言葉で(こた)えてから、何か言いたげな顔を悪い幼馴染(おさななじ)みに向けてやったギルベルト。

 その目に、あとでいつものように風刺の利いた言葉を返されることを予想して、ディオマルクはニヤリと笑みを浮かべた。





※アースリーヴェ = 大陸最南端のジャングルの名称

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