19. 広場の市
文字数 2,683文字
商売初日の今朝、店舗の設置ため早朝六時に会場入りした一行 。テントを張り終えると、その前や横に長い板を載せた台をいくつも置き、品物が映 える綺麗な布を敷いて、商品を並べていく。経営者である主人のマルコの店は、今日から五日間ここで営業する。
一通り作業を終えた一行は、樽 に腰掛けて朝食のパンを食べた。もういつでも客を迎えられる準備はできている。
実際、客が入りだしたのは午前八時頃だったが、一時間もすれば、広場の市はかなりの人で賑 やかになった。ここはいつでも盛況だと言う主人の言葉通り、彼の宝飾店も繁盛 していた。商売ができる者たちは、もう誰も樽 に座って休憩などしていられない。
向かいには敷物や毛布を売る店がある。その隣は蝋燭 やランプ、それに燃料を出している。そばには武器屋も。ライバル店が近くにならないよう、配置に工夫が見られた。
立ち寄る客も様々だ。地元の主婦やシェフらしい人は、食品を売る店へ。武器を帯 びた傭兵 らしい人は、その場で飲み食いできる飲食店へ。観光客らしい人は土産物 屋へ。
エミリオにとって、そんな光景は珍しいものではなかったが、懐 かしいものだった。子供の頃に、母に連れられて通りかかったことがあるから。ただ、母と一緒に歩いただけで、〝買い物〟を体験したことはない。母の目的地は、そことは別の、静かで寂 しい感じがする所だった。
テントの外側の日陰になる場所で、エミリオは一人、主人が用意してくれた椅子に座って、おとなしくしていた。そしてこの喧噪 の中、暇潰 しにそんな周囲を眺め、時々、意味もなく空を仰 いだ。青く澄んだ綺麗な晴天 が、すぐに暗くなりがちな心を癒 してくれる。
その一方で、主人は商 い中、客の妙な様子にすぐに気づいた。商品の品定めをしながら、そうでないものに見惚 れているようなのである。それをするのは、ことに若い女性客だ。
「すみません、お兄さん。」
近くでそんな声がした。だが関係ないと思い、エミリオはわざと反応しなかった。
「あの、すみません、お兄さん。店員さん。」
まだそんな声がする。恐らく呼ばれている主人の息子さんたちは、どうも気づいていないらしい・・・と気になって顔を向けてみれば、友人同士と見られる、三人の若い女性客と目が合った。
「え・・・。」
エミリオは左右を見て、きょろきょろと斜 め後ろの左右も見た。ニールはテントの中で商品の管理をし、ほかの旅仲間たちは、少し離れた所にいて客の対応に追われている。
それで向き直ってみれば、彼女たちはそろってニ、三度うなずいた。
エミリオは椅子から立ち上がり、彼女たちに近付いて行った。
彼女たちは互いに肩をたたき合い、妙に落ち着きなく小声ではしゃいでいる。
「なにか・・・。」
「あの・・・お兄さんが首にかけているそれは、商品ですか。」
真ん中の彼女がそう言った。
「それ、売ってもらえますか? それが欲しいんです。」
「ああ・・・これ・・・あ、だが、これは恐らく男性用の ―― 」
すると、困っているエミリオのこの様子に気づいた主人が、あわてて駆け寄ってきた。
「ああ、いいんだ。」と、主人。「いいんだよ、それで。」
そして主人は、エミリオの首からペンダントを外して、その女性客に渡した。
「さあ、どうぞ。」
彼女は、少し恥ずかしそうにしながら喜んで受け取った。
「あ、それと、この彼は店員ではないんです。すみません。ウチの用心棒で。」
「用心棒・・・?」
彼女たちは、エミリオが座っていた椅子に立て掛けている大剣に気づいた。それで互いに目を見合ったあと、また楽しそうに何か話していた。
「よければ、よく似た女性用もありますよ。どうぞ、こちらに。若い綺麗なお嬢さんには、流行りが分かる若いもんがおうかがいしましょう。」
主人は手が空いたハンスを呼び、彼女たちの対応に当たらせた。それからエミリオに向かって、「気にしなくていい。」と笑顔で言うと、テントの奥へ入っていった。そして、金属製のコップに飲み物を入れて戻ってきた。
エミリオはお礼を言ってそれを受け取り、また椅子に座った。飲み物には色がついていて、喉 がすっきりする甘酸っぱい味がした。初めて味わうものだった。それで少しコップの中をのぞいたが、すぐにまた欲しくなり、あっという間に飲み干した。
「奥の小さい樽から好きに注いでくるといい。」と主人が声をかけてきた。
口に合う味だと見抜かれたようだ・・・エミリオは軽く頭を下げて応えた。
市が終了し、暮れなずむ広場では、各店舗の従業員たちが、テキパキと閉店作業にとりかかっている。その中には、これからもう、この市場を去る一行もいた。そしてそこに、明日また新しく来た行商人の一行が出店することになっている。
店の片付けにも、不慣れながら、エミリオもできることをして手伝った。今日は売れなかった商品を荷馬車まで運ぶくらいはできる。貴重品となるものを売っているので、荷台に載せるのは、扱いに慣れている主人と、雇用 しているベテランの中年男性にしか分からない。そうして引き上げた商品は、宿の倉庫で預かってもらえるうえ、移動用の荷馬車を借りることができた。引いてくれるのは、一緒に旅をしてきた自分たちの馬だ。朝から夕方まで商売しているので、市場を管理している業者が厩 で世話をしてくれる。そういった利用料は全て別料金だ。良心的で妥当 な価格ということもあって、市場で店を出せば、それでもじゅうぶんな利益が得られるという。
その馬をニールが迎えに行っているあいだに片付けも済み、ハンスと、雇 われている者たちが荷台へ上がっていった。そして、疲れた様子で腰を下ろした。主人は、ニールが馬を連れて戻ってくるのを、御者台 で待っているようだった。
主人は、まだ荷馬車の外にいて、一人で立っていたエミリオを手招 いた。
「ここに座りなさい。」と、主人が言った。
何か話したいことがありそうな感じだった。エミリオは言われた通りにそこへ行き、隣に座った。
「ずっとウチにいないか?君を正式に雇 いたい。」
主人は穏 やかな声で、だが真剣な眼差しを向けてきた。
その目を見つめ返して、エミリオは考えた。だがすぐに改めた。視線を逸 らし、少し下を向いて答えた。
「それは・・・すみません。」
ここはまだ帝都から近すぎる。もっと遠くへ行かなければ。そして、何かしなければならない。人のためになる大きなことを。犠牲を払って生かされただけの価値ある何かを。この方々と一緒にいては、恩人のその死に報 いることもできない。
「そうか・・・。」
とても残念そうに、主人は微笑んだ。
一通り作業を終えた一行は、
実際、客が入りだしたのは午前八時頃だったが、一時間もすれば、広場の市はかなりの人で
向かいには敷物や毛布を売る店がある。その隣は
立ち寄る客も様々だ。地元の主婦やシェフらしい人は、食品を売る店へ。武器を
エミリオにとって、そんな光景は珍しいものではなかったが、
テントの外側の日陰になる場所で、エミリオは一人、主人が用意してくれた椅子に座って、おとなしくしていた。そしてこの
その一方で、主人は
「すみません、お兄さん。」
近くでそんな声がした。だが関係ないと思い、エミリオはわざと反応しなかった。
「あの、すみません、お兄さん。店員さん。」
まだそんな声がする。恐らく呼ばれている主人の息子さんたちは、どうも気づいていないらしい・・・と気になって顔を向けてみれば、友人同士と見られる、三人の若い女性客と目が合った。
「え・・・。」
エミリオは左右を見て、きょろきょろと
それで向き直ってみれば、彼女たちはそろってニ、三度うなずいた。
エミリオは椅子から立ち上がり、彼女たちに近付いて行った。
彼女たちは互いに肩をたたき合い、妙に落ち着きなく小声ではしゃいでいる。
「なにか・・・。」
「あの・・・お兄さんが首にかけているそれは、商品ですか。」
真ん中の彼女がそう言った。
「それ、売ってもらえますか? それが欲しいんです。」
「ああ・・・これ・・・あ、だが、これは恐らく男性用の ―― 」
すると、困っているエミリオのこの様子に気づいた主人が、あわてて駆け寄ってきた。
「ああ、いいんだ。」と、主人。「いいんだよ、それで。」
そして主人は、エミリオの首からペンダントを外して、その女性客に渡した。
「さあ、どうぞ。」
彼女は、少し恥ずかしそうにしながら喜んで受け取った。
「あ、それと、この彼は店員ではないんです。すみません。ウチの用心棒で。」
「用心棒・・・?」
彼女たちは、エミリオが座っていた椅子に立て掛けている大剣に気づいた。それで互いに目を見合ったあと、また楽しそうに何か話していた。
「よければ、よく似た女性用もありますよ。どうぞ、こちらに。若い綺麗なお嬢さんには、流行りが分かる若いもんがおうかがいしましょう。」
主人は手が空いたハンスを呼び、彼女たちの対応に当たらせた。それからエミリオに向かって、「気にしなくていい。」と笑顔で言うと、テントの奥へ入っていった。そして、金属製のコップに飲み物を入れて戻ってきた。
エミリオはお礼を言ってそれを受け取り、また椅子に座った。飲み物には色がついていて、
「奥の小さい樽から好きに注いでくるといい。」と主人が声をかけてきた。
口に合う味だと見抜かれたようだ・・・エミリオは軽く頭を下げて応えた。
市が終了し、暮れなずむ広場では、各店舗の従業員たちが、テキパキと閉店作業にとりかかっている。その中には、これからもう、この市場を去る一行もいた。そしてそこに、明日また新しく来た行商人の一行が出店することになっている。
店の片付けにも、不慣れながら、エミリオもできることをして手伝った。今日は売れなかった商品を荷馬車まで運ぶくらいはできる。貴重品となるものを売っているので、荷台に載せるのは、扱いに慣れている主人と、
その馬をニールが迎えに行っているあいだに片付けも済み、ハンスと、
主人は、まだ荷馬車の外にいて、一人で立っていたエミリオを
「ここに座りなさい。」と、主人が言った。
何か話したいことがありそうな感じだった。エミリオは言われた通りにそこへ行き、隣に座った。
「ずっとウチにいないか?君を正式に
主人は
その目を見つめ返して、エミリオは考えた。だがすぐに改めた。視線を
「それは・・・すみません。」
ここはまだ帝都から近すぎる。もっと遠くへ行かなければ。そして、何かしなければならない。人のためになる大きなことを。犠牲を払って生かされただけの価値ある何かを。この方々と一緒にいては、恩人のその死に
「そうか・・・。」
とても残念そうに、主人は微笑んだ。
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