2. 義弟 ランセル

文字数 1,395文字

 ノックの音がした。

 それは遠慮がちな小さな音だったが、エミリオには気づくことができた。それで、誰が訪れてきたのかも分かった。

 エミリオはベッドに剣を置くと、応えるかわりに扉を開けに行った。

 部屋の前には、案の定、ブロンド髪の少年が泣きそうな顔をして立っていた。

 エミリオの義弟であり、そして、次期帝位継承者となったランセル皇子。そのことは、エミリオも快く承知した事実だったが、今はまだ内部だけの決定で、公表はされていない。本来なら、皇太子は、皇帝ルシアスの第一子であり、有能なエミリオ皇子の方だからだ。

 ランセルは出入口から少し離れたところまで部屋に入ると、そのまま動こうとせず、うつむき加減で黙っていた。

「どうした、ランセル。そのような暗い顔をして。」

 エミリオは優しく声をかけたが、ランセルは、兄の瞳を直視するのをためらっているようだ。

「何かあったのかい。悩み事なら私でよければ相談に乗るが。」

「兄上。」

 ランセルは一言そう呼んだものの、次の言葉をなかなか口にしようとはしなかった。

 その苦渋に満ちた表情を見ただけで、エミリオには(おおよ)そ察しがついた。それでエミリオの視線は一度下へ落ちたが、それから無理に作り笑顔を浮かべて弟を見た・・・が、それはどうしても悲しい微笑みになった。

 ランセルは決心し、ようやく声を出した。
「母上が、兄上を・・・」

「やはり・・気付いていたのか。」と、エミリオ。

 途中で制したのは、聞く方も辛いが、彼に言わせるには(こく)な言葉だからだ。

 ランセルは無言でうなずいた。

 それを見たエミリオは、重い足取りで再び窓辺に立った。そして、外を見ながらため息をつき、小声で言った。
「私は喜んで、そなたの後見人になろうとしているのに・・・。」

 皇太子は第一皇子であるエミリオではなく、まだ十代で義弟のランセル。その弟を支えて欲しいと父から直々に話をされた時、確かにエミリオは喜んで承知した。

 だがその時、帝位継承者から外されたエミリオは同時に、(ひい)でた戦闘能力と頭脳を買われて、戦死した騎兵軍大尉(たいい)の後任をも命じられた。いずれは軍師としての活躍も期待されて。この時点では、皇帝ルシアスの頭にも、エミリオに戦地を踏ませるつもりまではなかった。大尉というのは肩書きに過ぎず、名目であり、ルシアスなりにエミリオを守ろうとした結果だった。

 だが、状況は思わぬ方へと動いていき、何もかも(ゆが)んでしまった・・・。

「仕方ありません・・・。父上が決められたこととはいえ、国の者は内心誰も認めないでしょう。私自身、兄上を差し置いて皇帝になどなりたくはありませんが、もし兄上がそばに付いていてくださるなら、どんなに心強いか・・・。」

 二人の会話には、どこか暗黙の了解めいたものがあった。

 エミリオは窓のそばを離れ、血の繋がらない弟に歩み寄って、その両肩を力強く抱いた。

「いいかいランセル、そなたはまだ若いだけだ。私などすぐに必要ではなくなる。」

 ランセルは、即座にその意図(いと)を悟った。

「出て行かれるのですね・・・この宮殿を。」

「ああ・・・それも、今夜。」
 エミリオは硬い表情で答えた。

「・・・恐らく、そう言われるのではと思っていました。今日は父上が母上と離宮へ出掛けられて、衛兵の多くがそちらの警備に当たっていますから。」

 ランセルの声は震えていた。彼はただ話をするためだけに、ここへ来たわけではなかった。


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