⒈ 二年前・・・

文字数 1,904文字


あの日から、ここへは戻らないと誓ったはずだった・・・。





 山岳(さんがく)地帯の戦場から帰還(きかん)したあとも、立て続けにいくつかの任務に()き、そしてまた戦場での大きな仕事を終えたところで、戦い疲れたレドリー・カーフェイは、傭兵(ようへい)仲間のジャックの(すす)めで、一週間前にこのヴェネッサの町へとやってきた。 

 だがここへは、(なか)強引(ごういん)に連れてこられたというのが本当だった。レッド自身は、ある理由から、まだがむしゃらに仕事をしたかったが、ジャックがそれをさせなかったのである。

 しかし本音を言えば、レッドは今、殺伐(さつばつ)とした空気が恐ろしくも感じる時があり、そこから離れて、無性に優しく誰かに抱擁(ほうよう)してもらいたかった。そういう人の温もりが恋しくなった。ひどく情緒不安定だった・・・。





 舗装されていない砂煙(すなけむり)が舞い上がる大通りに、ほぼ高さの等しい ―― だいたい二階建ての ―― 木造建築物が整然と並んでいる。その大通りから枝別(えだわか)れしている小道にもまた、木造の建物が綺麗に軒並(のきな)みをそろえている。ほとんどの建物の一階には広いデッキがあって、そこに木彫りや鉄製のユニークな看板(かんばん)が立っていたり、軒先(のきさき)に吊り下がっていたりしている。

 レストランと酒場と宿でひしめき合う、木の壁でぐるりと取り囲まれた場所。そこは、ヴィックトゥーンと呼ばれる、ヴェネッサの町の小さな食堂街だ。

 その中にある小料理店に、レッドはとりあえず居候(いそうろう)している。主人はジャックの知り合いの、ニックという少し太った独身の男性。従業員は少ないが、働き手も(やと)って上手く切り盛りしている。レッドが聞いたところ、この辺りでは人気店で繁盛(はんじょう)しているらしい。実際、この一週間、それなりに客足はあった。

 午前九時頃。

 階段を駆け下りてきたレッドは、そのまま洗面所へ直行して顔を洗い、寝癖(ねぐせ)を適当に整えて見た感じ良くなると、ニックの目の前を横切って、店の出入り口に手をかけた。

 その何やら(せわ)しない様子を、皿と布巾を手にただ怪訝(けげん)そうに見ていたニックは、レッドが外へ出ようとしたところで、やっと声をかけた。

「どこ行くんだ。朝飯も食わずに。」

「面接。」

 レッドは、店のドアを半分押し開けたまま答えた。

「ちょっと、森の向こうの貴族様の屋敷に行ってくる。」

「あそこはグレーアム伯爵の屋敷だぞ。何の仕事するつもりだ。」

「さあ。フィンに紹介されたんだよ。俺にぴったりの仕事があるから、とりあえず会うだけでもってな。」

「ああ、あの鍛冶(かじ)職人の息子か。そういえば、あの親子は、屋敷の連中の武器も担当してたっけな。」

「そうらしいな。もう俺の話をしちまったんだってさ。」

「働く気があるのか?」

「短期契約で気が向く仕事ならな。召使いだったら断ってくるよ。」

 レッドは軽く手を一振りして外へ出ると、砂塵(さじん)が風に掻き流されている街路を歩いて、西の森の方へ向かった。





 曇り空のせいで薄暗い森を進んでいると、レッドは体の異変に気付いた。
実は何となく嫌な感じがしていたが、気のせいだと思いたくて無視していた。ところが、ここへ来て確信した。

 体が・・・おかしい。 

 最初は妙だと思う程度だったのが、今ぞわぞわと(もよお)してきた胸の悪さ。それに頭痛とひどい眩暈(めまい)。それは一瞬で終わらず、森のブナの木も何もかもが、景色がぐるぐると回り続けているのである。

 とても立ってなどいられなくなり、とにかく休めそうな場所へと、レッドは思うようにいかない体で、懸命に足を動かした。そして、道端(みちばた)に生えている木に、ふらつきながら寄りかかった。全身から血の気が引いていく感覚。なのに脂汗(あぶらあせ)か、胸や背中は尋常(じんじょう)でなく汗ばんでいる。じっとりと冷たい汗。

 レッドは震えながら、体が楽な姿勢を求めるままに横になった。地面に頭をつけてぐったりとし、目を閉じて、自然と回復するのを祈りながら待った。

 何か悪いものでも口にしたか。朝 (朝食)は抜いてきた。何が原因でこうなったと困惑しているうちにも、気分はますます猛烈に悪くなっていく。どうにもできない(つら)さのあまり、思わずかすかな(うめ)き声まであがる。少し情けなくなった・・・。

 レッドはゆっくりと首を回して、全てがくすんで見える、陰に覆われた森の中を呆然と眺めた。そばには何の気配もなく、森は無情で冷たく思えた。

 自分は戦って死ぬ。そういう使命を負った。だから考えたことが無かった。それ以外のこと ―― 病気や毒 ―― にやられて絶命することを。そのせいで死ぬその前には、こんな苦しみと状態になるのだろうか・・・と、レッドはこの状況で何となく考えた。耐えられるのか・・・助けが必要かもしれない・・・。

 そう気弱になり始めたあと、いつの間にか意識は無くなっていた。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み