4. 哀れな刺客

文字数 2,466文字

 ところが、シャロンは(かん)と推測でランセルの考えに気付いていた。シャロンは、用意周到な女だった。考えられることは全て断ち切ろうとしたのだ。すでに皇太子はランセルと確定したとはいえ、内部だけの話ではいくらでも変更がきくと考えられるうえ、後見人としてそばにいられるのでは油断もできず、目障(めざわ)りでもある。そう、シャロンは、臣民に絶大な人気のある先代皇后フェルミスに似ているという、エミリオのその美しい顔にも立腹していた。無性に許せず、その第一皇子を亡きものにするまでは、どうにも不安が残り落ち着かなかったのである。

 エミリオはハッと立ち止まった。気配に気づいて道の無い方へ進路を変えようとしたが、間に合わなかった。突然ともった小さな灯りに照らし出され、茂みから飛び出してきた複数人に、一瞬のうちに前後を(ふさ)がれてしまったのである。

 全員が軍服を着ている。エルファラムの兵士たちだ。だが正確には、シャロンが密かに結成した陰の特殊部隊。

 大上段から、一人が思いきったように剣を振り下ろしてきた。

 その一撃を、エミリオは冷静に見てかわした。自分のことを知っている者が多くいる場所では死ねない・・・と考えていた。それに、姿を消しても、彼らの中では自分はずっと皇子であり続けるだろう。〝皇子殺し〟の罪を背負わせるわけにも・・・。

「よせ、何もせずとも、私はこのまま消えていく。わざわざ手を汚すことはない。」

 エミリオは邪魔になる荷物を捨て、(さや)から白刃(はくじん)を抜いたものの、それを振るおうとはしなかった。防御だけに抜いたその剣で、続いて繰り出された攻撃も難なく跳ね返した。

「私どもには・・・命令に背くことなど・・・!」

 襲撃者は、時には何か口にしながら向かってくる。状況は刺客(しかく)と殺される者。だがエミリオには、彼らの心の悲痛な叫びがはっきりと聞こえてくるようだった。 

「私はもう、家も家族も持たない孤独の身だ。そのような男に何ができる。」

 エミリオは懸命に説得を続けた。だが、この陰の部隊はシャロン皇妃の傀儡(かいらい)。彼らの耳には、とうてい届いてなどいない。ただ事務的に執拗(しつよう)な攻撃を繰り返すだけだ。言葉はあまりにも無力だった。

 そのうちにも、攻撃は次第にめまぐるしいものとなっていく。兵士たちは辛さや苦しみを忘れるために、とにかく無我夢中になっているように見えた。

 素早く視線を走らせると、何人もの刺客(しかく)にすっかり取り囲まれている。一人も傷つけたくない状況のせいで、早くも逃げ場を失っていた。血路を開かねばならない。彼らのうちの誰かを斬りつけて・・・。

 エミリオは、ハッと息を飲み込んだ。

 できない・・・!

 一瞬、気が()れた。背後に鬼気迫る殺気がして、右肩に強烈な痛みが走った。出血は・・・。そこへ手をやるのは勇気がいったが、エミリオはとっさに止血を考えた。さらなる激痛を覚悟して、左手をもっていった。触れただけで手のひらが血まみれになったのが分かった。

 だが、体勢を崩したまま動きが止まっているこのあいだ、幸いなことには、襲撃も止んでいた。手をかけたその兵士などは、自分でやったというのに、突然我に返ったような顔をしている。

 傷口に手をやり、苦痛で歪んだ皇子の美貌は、兵士たちの胸に息が詰まるほどの悲しみを込み上げさせた。その眼差しが(たた)えているものは、死の恐怖や痛みの辛さではなく、明らかに相手への哀れみだけなのである。

 刺客たちはたじろぎ、とどめを刺すのをためらった。

「そなた達とは・・・戦いたくはないのだ。」

 そう苦しそうな声を押し出したエミリオは、彼らが躊躇(ちゅうちょ)している間に、ようやくその場から逃げ出した。

 兵士たちも心ならず後を追いかける。

 エミリオは、水音がする方へ向かった。森の中はもう暗い。だが、川沿いの道なら目が慣れれば見えると思った。

 だが結果、思ったほど上手くはいかなかった。川沿いには広い道があったが、そこへたどり着くまでに、よく分からない雑木林(ぞうきばやし)を無理に突き進んできた。そこでかなり追いつかれてしまった。鋭い小枝にいちいちひっかかり、服は裂け、傷だらけになった。それに、肩の傷はますます痛みだした。まだ流血しているように思われ、そのせいか、たびたび眩暈(めまい)に襲われた。

 そして気づけば、川岸の(きわ)に追い詰められていた。真後ろは、広くて流れの速い本流だ。月光が川面(かわも)を照らしている。それは少し低い位置に見えた。

 傷口から手を放したエミリオは、両手で()を握ると、防御の構えをとった。そうしながら、いくらか迷いながら考えた。このまま川へ飛び込むか・・・と。恐らく、それで死ねる。ここで殺されるなら、まだその方がいい。

 エミリオはそこで、悩みながらも何度か打ち合った。重傷を負ったせいで感覚は(にぶ)くなり、逆に痛みは動くたび(するど)くひびく。

 すると、その一方的な戦いは、エミリオがひらりと飛びのいたあと、不意に終わった。着地したとたん、地面が瞬く間に崩れ落ちたからだ。わざとではなかった。距離感もほとんどつかめない中で、川べりへ下がったことは偶然だ。

 そして悲鳴を上げる間もなく、エミリオの体はたちまち流れに飲まれて姿を消した。

 この川は東へ流れて海に至る。この急な流れは、間もなく家々のまばらな片田舎に近付いて(ゆる)やかになるが、そのあと山麓(さんろく)の険しい勾配(こうばい)を駆け下り、ついには壮麗な滝となって噴出する。そして落差四十五メートルを落下して下の滝壺(たきつぼ)に注ぐ。

 この暗がりの中、ランタンの灯りだけで岸辺から探すのは、とうてい無理だ。あの傷で水に浸かれば、(いちじる)しく失血するに違いない。朝には人気のない場所まで流され、やがて遺体となって滝壺に落ちるだろう。そうなれば、遥か遠くでのちに発見されたとしても、誰だか分からない変わり果てた姿となっているはずだった。

 誰もが終わったと思った。

 かつては忠誠を誓い、心から(した)っていた英雄の最期に、刺客たちの胸に凄まじい脱力感が押し寄せた。誰からともなく嗚咽(おえつ)し、次々とその場にくずおれると、みな肩を激しく揺らして(むせ)び泣いた。

 涙を見せない者は一人もいなかった。



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