21. ヘルクトロイの戦い

文字数 2,417文字


 エルファラム帝国とアルバドル帝国を(へだ)てる国境の荒野ヘルクトロイには、一度目の大合戦によって、無残に焼かれた黒焦げの原野が広がっていた。ここには、その焼け野原よりも広範囲に、国のために戦い傷ついた、また命を落とした勇敢(ゆうかん)忠実(ちゅうじつ)な兵士たちの流した血も()みこんでいる。

 その決戦の場を挟んで、互いに編成し直し、準備 万端(ばんたん)整えた軍隊が戦闘に備えていた。この戦いで決着をつけるべく、武装して気を引き締めた何万という兵士が、両軍どちらも視界がかすむ遠方にまで広がっている。

 強力な投石機(カタパルト)の列のそばには、剣の腕にも()けている弓兵。その後ろには盾を持った重装歩兵と、さらに後方には最も多い軽装歩兵が立ち並び、馬の背にいても武器を操ることができる騎兵の部隊は、主に両翼(りょうよく)布陣(ふじん)していた。両軍共に、そう変わらないこの基本隊形は、もはや小細工(こざいく)無しの()(こう)勝負に(のぞ)むという姿勢。

 エルファラム帝国では、この戦争において、総大将の肩書きを持つのは騎兵軍の大将だが、実質的に指揮を()ってきた真の総司令官は、現在、騎兵軍の中将であるダニルスだった。

 ダニルスはもともと、歩兵軍の上官を務めていたベテラン指揮官。頭脳派で多くの手柄を立て、温厚なだけでなく、的確な厳しさも(あわ)せ持つ。軍の下層階級にとどまらず、ほかの上官や皇族、さらにはその騎兵軍の大将からも頼られる存在だった。

 そのダニルスは、数分前に、アルバドル帝国軍の使者から受けた、「(あやま)ちを認めてただちに撤退(てったい)せよ。」という警告への返事を終えていた。

 ダニルスは、その返事を隣で聞いていたエミリオ皇子を、責務の重荷に耐えながら(うかが)い見た。そのあいだも皇子は、敵軍を見つめたまま気難(きむずか)しい表情を崩さなかった。

 皇子は、背中まである美しい琥珀(こはく)色の髪を一つに束ね、銀の(よろい)と青のマントに身を固めて、母親の形見を嵌め込んだ刃広(はびろ)の大剣を握り締めている。

「エルファラムの・・・永遠(とわ)の平和のためです。」
 ダニルスは苦い口調でそっと言った。

 エミリオは、ダニルスの顔を見ようともしなかった。だが、背筋を正して前だけを見ているそのままで、はっきりと(うなず)いたのである。

「私は、エルファラムの民を選ぶ。」

 両軍共に、勇敢かつ愛国心の強い兵士たちは、戦いの火蓋(ひぶた)が切って落とされるその瞬間を聞き(のが)すまいと、じっと耳をそばだてていた。

 ヘルクトロイのだだっ広い荒れ地では、ときおり吹き抜けていく殺伐(さつばつ)とした一陣の風と、戦闘開始の合図を待つだけの張り詰めた緊張感に、空気が震えていた。

 そんな中、ギルベルトの目が(とら)えているのは、ただ一人。敵陣の先頭にいる、軍旗のそばで白馬に(またが)った男。その男に、ギルベルトは胸の内で何度も問いかけていた。

 何を考えている・・・と。

 ギルベルトは、遠くから憎悪(ぞうお)を込めて(にら)みつけた。馬の背でぴんと姿勢を正し、堂々とこちらを見据(みす)えているかのような、無情にも思えるその姿を。そんな様子に何とも思わないのかと呆れ返るばかりでなく、凄まじい(いきどお)りを覚えた。

 そのギルベルトの見ている先に、やがて使者が戻ってくるのが見えた。

 使者はオーランド将軍の前で手綱を引くと、敬礼をして、敵軍からの返事を伝えた。その使者は五体満足だった。

 しかし答えは・・・(したが)わず。

 敵の中将は、厳しい表情のまま、無言で首を横に振ったということだった。

 世間では、気高く誇り高いと名立たるエルファラム帝国軍。さすがにその名を汚すことなく、この使者を礼儀正しく迎えてはくれたようだが、予想通りのこの残念な返事には、ギルベルトは怒りが倍増する思いだった。

 アラミスは渋面を浮かべ、再度、敵陣を見澄(みす)ました。そこでは、何か騒々(そうぞう)しい音が上がっていた。アラミスは、相手が最後の準備にかかったことを見て取った。

 黒の鎧と赤のマントを身に着けたギルベルトは、鉄の(かぶと)をかぶり、スラリと大剣を引き抜いた。

 最前列に並んでいる投石機の担当兵や弓兵に、アラミスもため息をついてから合図を送った。その攻城兵器の技師や弓の名手たちが、もういつでも仕掛けられるよう攻撃態勢を整えて待つ。

「この戦いに勝利すれば、我々は永遠に不滅だ!アルバドル帝国に栄誉を!」
「アルバドル帝国に栄誉を!」

 士気(しき)を上げるアラミスの声は、それを繰り返すそれぞれの部隊の指揮官へと伝わり、それに応えた何万という兵士によって、地面を揺さぶりながら波のように響き渡っていった。

 連続で発射できるように並べた全ての投石機には、すでに重い石がまとめて載せられている。弓兵たちは、布に油を染み込ませて作った矢をつがえ、隣にいる松明(たいまつ)を持った兵士が、そこに手際(てぎわ)よく火をつけた。

 アラミスは、横に(ひか)えている軍旗を持った男に(うなず)きかけた。

 両国間の事前の取り決めによって、軍旗を持った男が旗をぶんと一振りし、戦闘開始の合図を送る。

「投石機、打て!」 

 めいいっぱい後ろに引き戻された投石機が勢いよく放たれ、(すみ)やかに二投目も発射された。

 すると、ギルベルトの目に映った、空に忽然(こつぜん)と現れた黒い鳥の群れのようなもの。
 エルファラム帝国軍も、同じ攻撃をほぼ同時にしかけてきたのである・・・!

「うあっ!」
「ぐああ!」

 投石機に一度に乗せられた岩屑(いわくず)がまさに噴石(ふんせき)のように乱れ落ち、すかさず弓弦(ゆづる)の音が響いて、鋭い(やじり)とぼうぼうと燃え(さか)る火矢が容赦(ようしゃ)なく降って来る。合戦の最初は、大量のこれがひっきりなしに襲ってくる。 

 それが集中して落ちかかると予想される前線中央には盾を持った重装歩兵を置いているが、防ぎきれなかった犠牲者たちが上げる阿鼻叫喚(あびきょうかん)の絶叫にも動じず、アラミスも命令を出し続けている。よって、投石機と弓兵による同じ壮絶なやり合いが続いた。

 やがて飛び道具による応酬(おうしゅう)が間もなく終わると確信するや、双方の最高司令官が、その優れた軍人の直感と判断によってほぼ同時に声を張り上げる。

「突撃!」
「突撃!」

 金属の(こす)れ合う音が両軍から一斉(いっせい)に上がった。



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