⒚ 雷鳴とともし火

文字数 2,947文字

 すぐ頭上で、腹の底に響くような轟音(ごうおん)がしていた。

 少年たちを見送ってから一時間。辺りはすっかり暗くなっていた。だが、小屋の中を照らしているランプの明かりは、そう長くはもたないはずだった。燃料が切れかけていたのだ。

「・・・今のうちに、蝋燭(ろうそく)に替えておこうか。」

 レッドは立ち上がって大きなキャンドルグラスに火を灯し、ランプの明かりを消した。

 すると明かりは身の周りをわずかに照らすだけとなり、雷鳴が(とどろ)く中ではいっそう不気味で、イヴには耐え切れたものではなかった。

 レッドはまた隣に座り、横目にイヴの様子をうかがった。度々そうしているのだが、一度も目が合わずにいた。雷鳴が聞こえてからというもの、彼女はうつむいたきり、そのまま喋らなくなってしまったのだ。

「雷・・・苦手なんだ。」と、レッドは声をかけてみた。

 イヴは耳を(ふさ)いだまま、無言で二度うなずいた。

 少しは聞こえるようだと分かり、レッドは気を(まぎ)らせてやろうと、明るい声で続けた。

「俺はけっこう好きだけどな、雷鳴の(うな)り声も迫力ある爆音(ばくおん)も。稲光(いなびかり)(またた)く瞬間とか、ほとばしる稲妻(いなずま)も綺麗だし、全てが神秘的だ。ただ、落ちると災害になっちまうことがあるのが玉に(きず)だが。」

 イヴは、そんなことを平然と言いだしたレッドを、変人と言わんばかりに見た。

「大丈夫さ。仮にそばに落ちて大木が倒れてきても、俺の下にいりゃあ助かるよ。」

 イヴはほとほと呆れ返って、レッドのことをただただ無言で見つめるばかりである。

 レッドは肩をすくめ、苦笑を返した。

 (いま)だ降り続く雨の音には何の変化も無かったが、轟く雷鳴には張り詰めた緊張感があった。

 イヴはまた下を向いて、じっと耳を塞ぎながら目まで閉じていた。

 レッドもまた、(ひざ)の上で組んだ自分の手元に目を戻した・・・その数秒後。

 パッと閃光(せんこう)が瞬き、すぐ直後に空が大きな唸り声をあげ、地響きが起こったのである。

 雷鳴に掻き消されて悲鳴は聞こえなかったが、そこで反射的に動いたレッドがふと気付くと、腕の中に彼女がいた。彼女の両腕が、背中にきつくへばり付いている。

「大丈夫、ここ(森)には落ちないよ。俺は嘘をついたことがないから、絶対だ。」

 レッドがそう声をかけても、イヴは聞こうとしなかった。そんな余裕などなかった。彼女の腕の力は緩まるどころかますます強くなり、背中はさらに締め付けられているのである。重症だな・・・と、レッドは思った。

 再び閃光(せんこう)が走り、けたたましい爆音が上がった。空が割れるような音がしたので、そうとう近いことは確かだ。

「落ちたか・・・。」
 レッドは、窓から空を見上げて苦い顔をした。

 おかげでイヴの震えはいっそう激しくなり、それからずっと抱いてやっているレッドにも、それは痛ましいほどに感じられた。戦場で物陰(ものかげ)にうずくまる孤児(みなしご)たちを思い出して、レッドは悲痛な気持ちにさえなった。かつてそういう兄妹を、こうして(なだ)めてやったことがあったのだ。その少年と少女も、狂おしいほどに震えていたものだった。

 レッドは、イヴの体を包み込むようにして抱きしめ直した。

「さっきのは本気だから。あんたにケガはさせない。」

 イヴはハッとした。
 彼は本当に死を恐れてない・・・。
 友人たちの話を思い出して、どうしようもなく悲しくなった。

 もうすぐ、きっと一緒にいられなくなる・・・そして彼は戦 ―― 。

 イヴはほんの一瞬鼻をすすり、何か誤魔化(ごまか)すようなぎこちない動きで、右手を顔へもっていった。

 レッドは驚いた。泣いてるのか・・・? と気になり、少し首を(かたむ)けた。泣くほど雷が怖いなんて・・・。レッドは衝動的に、まるで子供をあやすようにイヴの髪を()でた。

「いなくならないで・・・。」とイヴはつい小声で口にした。ゆっくりと顔を上げて、すぐ真上にあるレッドの目を見た。優しい瞳が暢気(のんき)に見つめてくる。こんな気持ちの時でさえ、とても安心させてくれる眼差しに、今は少し苛立(いらだ)った。

「生きていられる自信がある。」

 すがるような瞳を向けてくる彼女に、レッドはなおも目で笑ってみせた。

 茶化した口ぶりでそう答えた彼に、イヴの方はいよいよムッとなった。それから顔を()らしてまた下を向くと、聞き取れない声で何かつぶやいた。

 そこでレッドは、ふと気付いた。何か・・・会話が噛み合っていなかったことに。

「あの・・・さ・・・。」

 イヴは無言だったが、泣きだしそうな上目遣(うわめづか)いで見つめ返してきた。

 雷に(おび)えきっている彼女のさっきのセリフが、この場限りのものであるようにもとれ、そうでないようにもとれる。その意図(いと)が分からずレッドは戸惑ったが、彼女の瞳 ―― 哀愁(あいしゅう)を帯びてひどく不安そうな ―― に、たまらなくなった。いっきに理性を奪われる、(あらが)いようのない感情が()いた。

 イヴは、今度は真っ直ぐに、レッドの困ったような瞳を見つめ返していた。ただ彼の気持ちを確かめたいと一心に思い、そのあまりこみあげてくる切なさや彼に対する愛情が、いつの間にか雷鳴を耳から遠ざけていたことにも気付かなかった。

 実際、それきり雷は落ち着いて、しとしとと降り続く雨音と一緒に、単調な雷鳴に変わっていた。力強く燃えている蝋燭(ろうそく)の炎は、互いの姿と表情、そしてベッドの上を強調するように照らしている。それ以外は暗くて見えない。

 レッドは彼女の頭に手を回して、(ひたい)に軽く口をつけた。なぐさめるように。涙で濡れた(まぶた)にそっとキスをして、それからつい唇へいきそうになったところで、止めた。

 彼女の気持ちは・・・。

 すると、()し目にじっとしていたイヴが、少し顔を上げて瞳を閉じたのである。無理をしているようには見えないその様子に、レッドは、彼女の気持ちを確かめた気がした。

 感情に流されるままに、浅いキスを交わした。情熱的にならないように気をつけた。だが・・・そもそも手遅れじゃないのか。

 レッドは、こんな時に、これまでのことを思い出していた。何度もないが、経験はある。互いに割り切ったうえで。だけど、彼女は違うだろ? レッドは、自身に言い聞かせようとした。きっと傷つける・・・。

 それが分かっているせいで遠慮がちなキスを続けていると、一瞬、熱い吐息(といき)が耳をくすぐった。接吻(くちづけ)の合間に、彼女が思わず漏らしたため息。たちまち突き上げた欲情が、いよいよ唇や指先を身勝手(みがって)に動かそうとする。それでもまだ、この()に及んで、頭は紳士的に振舞(ふるま)おうとしていた・・・彼女は違う、(たかぶ)ってはいけないと・・・なのに・・・。

 気付けば、彼女の(なめ)らかな肩を(せわ)しなく探り出し、(あらわ)になった背中を強引(ごういん)に抱き寄せていた。

 イヴは、直接感じている彼の(ぬく)もりがあまりに気持ちよくて、現実を忘れかけていた。彼に全てを(ささ)げてもいいとさえ思った。この人になら・・・。

 だがその時、イヴはハッとして、身じろいだ。

 自分の中で叫んでいる違う声が聞こえる・・・。

 レッドは急速に狂っていった。激しくなる胸の鼓動(こどう)、自身を(おさ)えることが、我慢が()かなくなっていく。こんなことまでして、今までのように後腐(あとくさ)れなく別れられるとは思えない。だがもう、イヴが受け入れてくれるなら、思いのままにしてしまいたくて仕方がなかった。

 もう、気持ちを偽ることはできない・・・!

 とうとう頭も心も素直に叫びだした。


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