1. 表向きの皇太子

文字数 1,739文字

 帝都エルファラムのサンヴェルリーニ宮殿は、大陸でも三本の指に入る規模と壮麗さを誇る皇宮である。正門の向こうには、百以上もの大小様々な噴水がある幾何学(きかがく)の大庭園。そして、その後ろの真正面には、大型屋根が張り出している主宮殿が(たたず)む。それを、勾配(こうばい)の強い屋根や抑制(よくせい)のきいた円蓋(えんがい)天井の各棟が、優美な動きをもたせながら風格ある姿に見せている。豪華絢爛とした宮殿内の天井画や調度品からは、皇族の華やかな生活がうかがわれた。

 華やかで優雅で、楽しく苦労を知らない皇帝一族。しかしそれは、外からの見方だ。中で起こっていることの、実状を知る者はほとんどいない。

 左手にはガラス戸、右には飾り円柱が立ち並ぶ白大理石の回廊を、一人不自然な足取りで通っている者がいる。人目を気にしているからだ。年にして十五、六歳ほどの少年で、身に纏っているものや雰囲気から、若いながらも身分の高い者であると分かる。さらさらのブロンド髪に灰青色の瞳のその少年は、このエルファラム帝国の皇帝の子の一人だ。

 少年は、この宮殿の西端にある円蓋(えんがい)天井の一室へと向かっていた。柱廊(ちゅうろう)に囲まれた、裏門へと抜けていける中庭の照明の一部は、つい先ほど密かに消されたばかりだった。

 円蓋天井と、アーチの窓や戸口のあるそこは、もう一人の皇子、第一皇子の部屋である。

 それは、今は亡き先代の皇后フェルミスの子、エミリオ皇子。スッと斜めに伸びた眉と、(まつげ)の長い瑠璃(るり)色の瞳。細く真っ直ぐに通った鼻や薄い唇が、細面(ほそおもて)の輪郭に非の打ち所なくおさまっている美貌の持ち主。

 その母のフェルミスは、北の隣国、当時はアルバドル王国の王女だった。政略結婚によってこのエルファラム帝国に嫁いできたのである。世にも稀な美しさで絶世の美姫と謳われていた彼女の、まさにその容姿が、それをさせた。何年も前から、この国で起こっている不穏な動きの全ての原因とも言える・・・。

 皇子のその琥珀(こはく)色の長髪がよく似合う女性的な顔は、そんな彼女をただ男性にしただけのようだと、誰もが思う。エミリオ皇子は、先代のフェルミス皇后の若い頃に本当によく似ている。

 さらには、その母と同じく聡明(そうめい)で温厚でもある。

 彼女は生前、幼いエミリオを連れて病人や老人宅を訪問するなど、皇帝の愛をうまくして、社会福祉の面でさりげなく政治に関わり、彼女にしか出来ない方法で大改革を実現した。全ての民は家族だという彼女を、国の誰もが愛した。惜しまれながら逝去(せいきょ)したエミリオの母親は、〝慈悲(じひ)深き女神〟とも密かに呼ばれていたほど。その心優しい母に学び、民間人との交流もあったエミリオ皇子もまた、彼らから同じように愛されている。

 眉目秀麗(びもくしゅうれい)なうえに文武両道。つまり、エミリオ皇子は剣術にも()けていて、優れた戦闘能力をも(あわ)せ持つ。

 ただ・・・もともとエミリオは、読書好きの、剣術にはさっぱり興味を示さないひ弱な子供だった。それなのにある日、皇子のこうなる将来を予測したダニルス中将の手によって、徹底的に(きた)え上げられたのである。それはもはや皇子と家来ではなく、まるで師弟(してい)の関係だった。

 美しく(かしこ)く、そして強くて優しい。それだけの人徳や能力が広く知れ渡ったのは、全て成り行きだ。軍事に関わるようになったのも、そして、意に反して英雄と呼ばれているのも・・・。

 そのエミリオは、この時、窓の外を見つめて立っていた。傍目(はため)からは無心で呆然としているようだが、実際、その胸中には様々な苦い思いが渦巻(うずま)いていた。

 今夜、決断しなければならない・・・と。

 エミリオは、枕元に立て掛けてある大剣を手に取った。(つば)には薄紫(うすむらさき)色の宝石が付いている。それは亡き母親の形見で、エミリオがそうするように頼んで作らせた剣だった。本来なら、慈悲深い母を武器に重ねて見るべきではないところ。それでもそうしたのは、何を生かし、何を葬るかの判断を誤らないよう、母の力を借りたいと思ったからだ。

 エミリオは剣を横にして、胸の高さまで両手で持ち上げた。母がよく身に着けていた宝石に視線を落とし、(うれ)えるように見つめる。いつも神秘的な光を放っているのも特別だった。それは、ほかとは明らかに違う輝き。母もそう言っていた。この宝石は、暗いところでもどこでも、はっきりと光っていられるのよ、と。

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