鬼都音村

文字数 2,421文字

 私は森の中を散歩中に、迷子になってしまった。どうして森の中を歩いているのか解らないまま、気が付いたら迷子になっていたのだ。
 暫く歩いて行くと、ポツポツと人家が見えてきた。私は茅葺屋根の平屋の表札を覗いて見た。木の表札には「鬼都音」と書いてある。次の茅葺屋根の平屋の表札にも「鬼都音」と書いてある。一つの集落に同じ性があるのは珍しい事ではない。
 そのまま歩いて行くと、同じ様に茅葺屋根の平屋があり、表札にはやはり「鬼都音」とある。この集落には「鬼都音」と言うあまり聞いた事のない姓が多いのだと思い、気にせずそのまま歩いていた。
 そんな事よりも、今自分が何の目的でこの森の中を歩いているのかが解らない。夢を見ているのかも知れない。
 そして、ポツリポツリと現れる同じ造りの茅葺屋根の平屋の表札が、皆「鬼都音」なのである。ここまでくると、どうやらこれはおかしいと思い始めた。もう十数軒は覗いているが、人の気配はない。どの家にも人が住んでいる感じがしないのである。
 ひょっとするとこの集落には、既に人が住んでいないのかも知れない。しかし、人家の前にある畑には、大根や芋が植えられている。草の手入れもしている様だ。
 私はさっきから、「鬼都音」はキツネと読むんではないかと思っていた。もしそうだとしたら、私は狐の住む村に化かされて来たのかも知れない。
 しかし、この森の中で狐に会っていない。否、会っていないと思う。多分、会っていないだろう……。私は自分の記憶に自信がない。朝飯を食べた事すら昼になって解らなくなるし、自分の名前も時々忘れる。自分が何をしているのか解らなくなる事は、日常茶飯事である。
 私は認知症になっているのかも知れないと思い、近所にある診療所で診てもらったら、
「あなたはどこも悪くない。しいて言えば人より記憶力が弱いだけだ」と言われた。
 私には、自分の名前を忘れる事が正常とは思えないが、半分死にかけた高齢の医者からそう言われたので、そんなものかと諦めた。
 話がそれてしまったが、そんな訳で森の中を歩いていると、腰の曲がったおじいさんに会ったので、
「ここは何という村ですか?」と聞くと、おじいさんは何回も「ハァ」と言って聞き返した。私が耳元で叫ぶと「やかましいわ!」と怒った。しかし又普通の声で話すと「ハァ」と言って聞き返す。私は聞くのを止めて、そのまま歩き始めた。
 暫く行くと、杖を突いた山姥の様なおばあさんに会ったので、
「この村は何という村ですか?」と聞くと、「キツネ村」とおばあさんが言った。
「この村にはキツネという姓の人しかいないのですか?」と私が聞くと、「そうじゃよ」と言う。私が理由を聞くと「みんな親戚みたいなもんじゃからよ」とボケ老人みたいな事をおばあさんが言った。「なら、おばあさんもキツネさんですか?」と聞くと、「そうじゃよ」と言う。
「この村にはキツネさん以外は住めないんですか?」と私が聞くと、
「キツネになると住めるよ」とおばあさんが言う。私がその理由を尋ねると、おばあさんは怒った様に、
「それは村の条例で決まっている事じゃから、そんな事ワシに言われても知らん」と言った。
 私はこれ以上話してもらちがあきそうにないと思い、又歩いて行くと、食堂らしき店があったので入った。当然の如く、店名は「鬼都音食堂」である。腹も減っていたので、何か食べ様と壁に掛かっているメニューを見ると「鬼都音うどん」「鬼都音そば」「鬼都音丼」「鬼都音カレー」「鬼都音定食」とあり、全ての食べ物に鬼都音が付いている。私は妊婦の様に腹の突き出たおばさんの店員に鬼都音が付いている理由を聞くと、
「そんな事オラに言われても知らんがねぇ。隣村から亡命してきたばかりじゃけんよ……」と不愛想にそう言ったので、私はどうでもいいから何か食べ様と「鬼都音定食」を注文した。
 出てきた定食はご飯と油揚げ三枚だけのものだった。しかもこれで二千五百円も取られた。まるで詐欺にあった気分だ。
 食堂を出た時、既に十六時を過ぎていた。私はこの薄気味悪い村から早く出ようと思うが、どこをどう行っていいか解らない。そのまま村道を歩いていると、停留所があったのでバスが来るのを待つ事にした。暫くすると、リヤカーを引いた爺さんがバス停の前で止まり、
「お客さん、乗るんだべ?」と言う。
「エッ、このリヤカーがバスなの?」と私が聞くと、
「この村の条例では、リヤカーをバスと見做すとうたっているんだべや」と爺さんが真面目腐って言う。
「じゃあ、取り敢えず、近くの列車の駅までお願いします」と私が言うと、
「駅は隣の村になるから送れねぇだども、ほんだら、終点の鬼都音地獄駅まで送るべや」と爺さんが言い、私を乗せてリヤカーを引っ張り出した。リヤカーの速度は亀の様に遅く、十歩進むと直ぐ止まり、暫く休んで又十歩進むを繰り返し、さっきの停留所から百メートル先の所で止まった。
「ここが鬼都音地獄駅じゃ」と爺さんが言う。
「エッ、ここまでなの?」と私が驚いた顔で言うと、爺さんが涼しい顔で、
「そうじゃが、何か?」と言い、
「五千二百円じゃが五千円にまけちょっちゃるでぇ、お釣りがないけんちょうどでくれ」とほざく。私は呆れて、
「爺さん、そんな冗談はやめてくれ!」と怒気をあらわにして言うと、
「これは村の条例で決められているんだべや」と爺さんが勝ち誇った様に言う。私は万札しかなかったので、走ってさっきの食堂まで行き両替してもらい、爺さんに五千円札を渡した。
 道路脇にある石に書かれた道標には、「この先、血都手吐村」とある。これは又妙な名前の村だなと思い歩いて行くと、狸の様に腹の突き出た男に会ったので、
「列車の駅はどこですか?」と聞くと、
「確か、この道を真っ直ぐ行くと、あったと思うよ」と男が言う。
 道で出会う人の腹が皆異常に出ている事を奇妙に思いながら、私は夢から覚めない気分のまま、真っ直ぐ歩いて行った。

 
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