成仏できない女

文字数 1,533文字

 私は夜中に目が覚めた。
 目が覚めて動こうとするが、金縛りにあった様に体が動かない。暗い部屋を、目だけで観察しているが、私の部屋ではないようだ。
(なら、ここはどこだろう?)
 私は焦る気持ちを落ち着かせようと、目を瞑って考えた。
 しかしこの部屋が、ホテルの一室なのか、友達の部屋なのか、愛人の部屋なのか、わからない。ホテルでもないし、友達の部屋でもないし、愛人の部屋でもないようだ。
 この部屋に泊まった経緯が、思い出せない。昨夜の記憶もない。
 酔っぱらって、フィルムが切れて、ホテルの部屋で夜中に目を覚ました時、驚くことはよくある。昨夜誰かと飲んでいた記憶はない。
(じゃあ、ここはどこだろう?)
 私は恐ろしいが、もう一度目を開けた。部屋の感じからは、ホテルのようではない。畳の部屋で、蒲団に寝ている。部屋が長方形のように縦に長い。
(旅館だろうか?)
 しかし旅館ならば、冷蔵庫とか、茶飲みセットとか、電話とか、置いてあるはずだ。そういうモノは一切ない。何もない殺風景な部屋である。
 暗闇に徐々に目が慣れてくると、私の寝ている蒲団の足元の部屋の隅に、黒い服を着た女の影が見えた。
(ギャアアアーーー)と叫んだが、声にならない。
 恐怖から、又目を瞑ってしまった。気を落ち着けようとするが、心臓の音がドックン、ドックンと鳴り響く。眠りにつける様にと、(羊が一匹、羊が二匹……)と数えていたが、千匹まで数えたところで、全く眠ることが出来ないので、数えることを止めた。
(今、何時だろう?)と思うが、壁掛けの時計はなく、腕時計も見ることが出来ない。
 それにしても、周辺から何の音も聞こえない。車の音も、人の騒ぐ声も、虫の鳴き声も、聞こえない。
(森の中の一軒家なのだろうか? そうだとしたら、風の梢を鳴らす音くらい、聞こえるはずだ。ここはどこだ。私は夢を見ているのだろうか? やっぱりこれは夢にちがいない)と自分自身に言い聞かせるように、心の中で、そう呟いた。
 私は恐る恐る目を開けた。確かに足元に女の気配がする。私は首を動かすことが出来ないため、目玉をキョロキョロさせるしかない。
 女が本物の人間か幽霊かもわからないまま、暫く様子を覗う内に、この状況にも少しだけ慣れて来た。人間でもお化けでも、私を襲うことはないだろうと思った。
 座っている女は、どうやら私のことを、ずっと見続けているらしい。人間でも幽霊でも、どちらでも構わないから、少しでも動いてくれと思った。
 するとその瞬間、女がシクシクと泣き始めた。人間か幽霊かわからない女は、暫く泣き続けた。
 やがて女が、「ギャアーーーーーーーーーーーーーーーーー」と、まるで今し方発狂したかのように、大声で叫んだ。私は死ぬほどの恐怖を味わった。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
「お前が憎い、お前が憎い、お前が憎い、お前が憎い、お前が憎い……」
 念仏を唱えながら、お前が憎いと、交互に言っている。
 私はその声に、聞き覚えがあった。暫く女の声を聞きながら、思い出していると、私は声にならない叫び声を上げた。
(助けてくれ、オレが悪かった。頼むから、許してくれ。お願いだ……)
 心の中で、叫び続けた。

 私は女と昨日、入水自殺を図った。
 私は妻と愛人である女との三角関係に疲れ果て、気がふれたようになり、愛人である女を道連れにした。
 しかし女だけが死んだ。
 私は本気で死ぬつもりはなかったのである。沖まで伝馬船を漕ぎ、女と同時に海に飛び込んだが、金槌の女を海に残し、私は浜に自力で泳いで戻った。
 警察に自首した私は、留置場にいるのである。
 女は成仏できずに、騙した私を怨んで幽霊になって出てきたのであろう。
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