木に棲む男(上)

文字数 1,939文字

 私は暗い夜道を誰かに追いかけられて逃げている。周りには暗い影絵の様な山が迫っている。
 追っ手は、私が以前飼っていた猪の様だが、どうも鳴き声からすると豚かもしれない。ブヒブヒブヒブヒと鼻を鳴らしながら追いかけて来る。それが一頭ではなくかなりの数の様である。
 豚ならばこちらから何かをしない限り大人しい事を知っているので、数多の豚が怒り狂った様に私を追いかけて来るのには、私が豚を怒らす悪さをしたのかも知れないと考えながら逃げていたが、それらしき事が浮かんで来ない。
 その時ふと、豚が私を食べたがっている事に気づいた。豚の目が異様に血走っている。
 豚は自分の身に危険を感じると物凄い形相で相手に向かって来るが、今私を追いかけて来る豚共の形相がまさにその感じである。
 その豚共の中に、私の父がいるのはどうしてなのか? 父がどうやら豚共を扇動しているらしい。しかし父は七年前に死んでいる。
 父は生前に豚飼いをしていたが、豚の出荷で豚を豚舎からダンプに積む時、豚共が逃げ回る為電気棒で豚を追いかけていた。豚共が狂った様に豚舎内を逃げ回る。出荷する豚は百十キロ前後で、突進してくる豚に跳ね飛ばされる事もある。父は何時も血走った豚の目の様な目で、豚共を追いかけまわしていた。
 その父が何故、私を追いかけているのか? そうだ、父は生前私を憎んでいたから、豚を怒らせ私を追いかけて来るんだと思うと、私は哀しくなった。
 父は豚共の後ろから、遅れそうになる豚を電気棒でつつき私を追っかけて来る。豚は走りながら小便や糞をし、走り続けている。
 私はお腹が空いたので、背負っているリュックサックの中からメロンパンを出し、食べた。メロンパンが好きな私は、リュックサックの中に一杯メロンパンを詰めていた。
 私は二個目のメロンパンを食べながら、上手い事を思いついた。メロンパンをちぎって道にまけば、きっと卑しい豚共がそれを食べる筈。私はそれを確信すると大きな木の周辺にメロンパンをちぎってまいた後、大きな木に登り豚共が来るのを待った。
 その時の私は、豚共がメロンパンを食べている間に、もっと先に逃げようかとも思ったが、さっきから足が攣り気味の為ここらで休む必要があり、休みながら父の意図を考え様と思った。
 やがて狂った形相の豚共と、その後から父がやって来た。そして父と一緒に私の大嫌いな親戚のジジイもやって来た。親戚のジジイも確か三年前に死んでいる。このジジイは父とは不仲だった筈だが、どうして一緒にいるのか? 腑に落ちない。
 案の定、豚共がメロンパンを食べ始めた。父とジジイも木の根元に座り、その様子を眺めている。
「ケイイチは、どうしてあの金に気付いたんだろう?」と父がジジイに言うと、
「そりゃあれだろう、あいつは何時も金には汚かったからな」と憎々し気な顔でジジイが言う。
「あれも元々は、素直な子やったけどなぁ」と父が溜息を吐く。
「なーに、男も女によって変わるのさ」とジジイが知ったかぶって言う。ジジイは何時もこうして、私の悪口を誰彼構わずに言うのである。
(うそつけー、全部お前が企んだ事だろう)と私は心の中で叫び声をあげた。
 メロンパンはあっという間に無くなり、豚共がブヒブヒブヒブヒと鳴き出した。父は「さて」と言って立ち上がると、ノコギリで大きな木の幹を切り始めた。
(やばい)と思った私は、隣の木に飛び移ると、父が隣の木の幹を切ろうとするので、私は又次の木に移ると、父が又その木の幹を切り始めた。
(これじゃ、いたちごっこだ)と私が心の中で思うと、「そうだ、いたちごっこだ」と父が言う。私は段々追い詰められていく気がしたが、(火事場の馬鹿力って、こんな時に出るんだな)と考えていると、「そんなものはお前には関係がない」とジジイが笑って言うので、私は悔しくなって泣きながら火事場の馬鹿力が起きないかと考えていると、(そうだ)と私に良い考えが浮かんだ。
 私は木の上からゴリラの様に木を大きく揺らすと、思った通り幹も揺れ、父のノコギリの刃がパックリと割れた。父は悔しそうに舌打ちをしたが、ジジイに耳打ちをして何やら話している。
 そこへ母と嫁と息子がやって来た。
「ケイイチ、もうお父さんは怒っていないから、そこから降りて来なさい」と母が泣きながら言う。母は嫁と息子にも言えと促した。
「あなた、もういいから降りて来て」と嫁がこれ以上ない哀しい顔でそう言うと、「おとうちゃん」と五歳の息子が思い詰めた様に言う。
「それみろ、お前のした事は全て水に流してやるから、お前も男ならそこから降りて来い」とジジイがざまあみろという顔で言う。
 私は降りてもいいと思い始めていたが、ジジイの声を聞くと死んでも降りてやるもんかと思った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み