明るい生活保護係

文字数 2,054文字

 私は市役所に入職して、誰もが嫌がる福祉事務所の生活保護係に配属になった。
 生保の担当員はケースワーカーと呼ばれ、生活困窮者が福祉事務所にやって来たら相談に乗り、他で救済する措置のない市民に対し生活保護の申請を促すのである。
 しかしこれが本当に困った人達ばかりでなく、元ヤクザでシャブ中の中年男や極道で働かないアル中オヤジ等が受けられるものなら受けてやろうという体で窓口にやって来る。
 私の様な大学卒業したばかりの青二才には中々ハードな業務である。
 生活保護係には係長とケースワーカーと医療係の計6名がおり、これが皆曲者ぞろいである。
 係長は上司の言う事を全く聞かない超偏屈の一匹狼。ケースワーカーには係長と口をきかない空手3段の猛者や、労働組合の書記長をしているマッカッカの屁理屈男や、何か言うと直ぐに拗ねて仕事を休むマザコン男といった変わり者の集まりである。
 毎週月曜の朝行われる係のミーティングで、一匹狼の係長が、
「どうもみんなに覇気がない。いいか! 我々の仕事は困っている市民を助ける崇高なものなんだ! みんなみたいに暗い顔をしていたら市民が元気にならない! 我々が窓口に来た市民を元気にさせるんだ!」
 と叫んだ。その結果、まず係全員で窓口に来た市民に大きな声で挨拶する事になった。
「おはようございまーす」と私が朝一で窓口にやって来た、オドオドした様子の如何にもこすそうな中年ハゲオヤジに声を掛けると、ハゲオヤジはビックリした顔をしてスゴスゴと逃げる様に帰ってしまった。
「よーし、その調子だ! ただし、もっと笑顔で言えば満点だ!」
 と係長が私に言う。 
 私は福祉事務所内の他の係や、隣の保険介護課のしんみりした感じとは明らかに異なる浮いた自分の対応が滅茶苦茶恥ずかしいが、係長の言う事に背けば、この一年針の筵状態になるだろう事は容易に想像できるため、必死に恥ずかしさを乗り越えた。
 生活保護の窓口に相談に行くのに抵抗のある市民は、いつもコソコソとやって来て、別室で相談し又コソコソと帰って行く。
 市役所の中で最も守秘義務の高い生保の係は、税務課の徴収係と共に誰もが嫌がる重たくしんどくおまけに危険を伴う業務である。
 昨年もシャブ中オヤジの相談に応じた空手3段が、保護できない旨を伝えるとシャブ中オヤジに隠し持っていたナイフで刺された。こんな事はよくある事だ。だから相談には二人体制で応じている。
 突然ブックオフの店員の様に、無駄に大きな声を上げて挨拶するケースワーカー達を福祉事務所内の他の係の職員達が奇異な目で見ている。
 茶坊主の女所長やパソコンオタクの所長補佐は「前向きにやっているのだから、まぁいいか」と見て見ぬふりである。
 しかし市会議員からクレームがついた。窓口に行きにくい。大きな声に萎縮する。みんなに注目されて恥ずかしい。といった支持者の被保護世帯員や相談に行った者からの苦情が殺到したのである。
 市会議員が所長に注意し、所長からその旨を係長に言っても、係長は全く意に介さない。
 偏屈係長は太鼓持ちの所長や所長補佐等のタイプを反吐が出るほど嫌う。
 業務の中心は係長であり係長がしっかりしていれば役所の仕事は回って行く事を偏屈係長は熟知している。偏屈係長は自分の信念で行政サービスを向上させたいとの強い思いがあり、余計に上の顔色ばかりを窺い住民に顔が向いていない馬鹿上司を毛嫌いするのである。それは最もな事であるが、役所の体質は偏屈係長の様なものを排除する。
 所長から注意された偏屈係長は元々変人であるから逆に意固地になり、更に大きな声を出し不必要に不自然な笑顔を見せる。
「窓口に相談に来た市民を元気にして帰す」をスローガンに掲げ偏屈係長は取り組んだ。
 やがてマスコミでも福祉事務所の事が話題になり、「無駄に明るい生活保護係」と揶揄した批判記事が掲載された。
 しかし慣れとは恐ろしいもので何時の間にかそれが自然になると、窓口に来た老婆までもがチンドン屋の様な風体で踊りながらやって来る様になった。
 やがて福祉事務所内の他の係員までもが自分達の暗さに辟易し、大声で話し笑うようになった。周りがそうなって来ると今度は後れを取るとまずいと感じたお調子者の女狐所長は、今ではすっかり自暴自棄になり自分までもがラップ口調で話す始末である。
 何時の間にか福祉事務所は毎日お祭り騒ぎの様になった。
 用事もないのに福祉事務所にやって来て、市民が職員達と一緒に阿波踊りかタコ踊りか訳の分からない踊りを踊っている。
 県下で最も保護率の高かった市が、気が付くと最低の保護率になり国や県からも表彰された。
 市の名物になった福祉事務所は、はじめは揶揄されていたマスコミからも称賛を浴び、「日本一明るい福祉事務所」と特集記事で掲載された。
 これに調子づいた目立ちたがりの只のボンクラ市長が、阿保で茶坊主ばかりの管理職の庁内会議で、
「全ての課が福祉事務所を見習って、大きな声で明るく挨拶する様に!」
 と命じたのである。
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