大蛇
文字数 2,250文字
嫌な夢を見ました。
遠い過去世の話です。
私は何かの理由で追われて逃げており、夕刻、山の中に空き家があったので入ったのです。
空き家は長らく人が棲んだ様子はなく、暗く陰気な空気に覆われていました。
歩き疲れていた私は、空き家で死んだ様に眠ったのです。
一度夜中に物音がしたので、追手が来たのかと、慌てて目を覚ましました。
真っ暗な部屋の中、何かが畳の上を這っている様な音がするが、あまりの疲れから、意識が遠退く様に、又眠りに落ちました。
翌朝目が覚めて、日中でも暗い部屋の中をよく見ると、クモ、ムカデ、ヤモリ、ゴキブリ等がウヨウヨ這っていました。
私はこの空き家で暫く生活しようと食べ物を探しに周囲の山に出ました。
木の実や草等食料になりそうなものは何でも採りました。沢水が流れていると水筒に入れて持ち帰りました。
空き家に帰ると、暗い家の中に女が座っていたのです。
私は吃驚して、玄関に突っ立ったままでいると、
「そんなところに立っていないで、中へお入りなさい」
と、女がやっと聞き取れるくらいの低い声で言いました。
着物姿の女は、三十代後半ぐらいの瓜実顔の美人であるが、表情のない顔が氷の様に冷たく感じるのです。
「貴方の家なんですか? 私は空き家と思って、昨日から勝手にここで休んでおりました」
「暫く家を空けていて、数日前に帰ったものですから……。貴方さえよければ、どうぞ休んでいって下さい」
と、女が小さな声で言いました。
「それは有り難い。実は私、今、いわれない罪により何者かに追われて逃げておりまして、追手が通り過ぎるまで暫くここで身を隠させて頂ければ幸いです」
「それは大変ですわね。どうぞ貴方が居たいだけ居て下さい」
女はそう言うと隣の和室に移って行きました。
この家は玄関を入ると土間があり、その横に居間、襖を隔てて和室があるだけの小さな平屋です。
私は追われる生活のため、気が休まらず、長い時間熟睡も出来ず、夜中に何度か目が覚めるのです。目が覚めると暫く目が冴えてくるため、その間考え事をします。
隣に寝ている筈の女の様子が気になるが、女の居る気配を全く感じないのです。
時々天井から、鼠が這っているのか、ドサッドサッという物音が聞こえて来ます。
ある日、私が道沿いで食料を探していると、追手らしき者が遠くの方に見えたので、慌てて戻って来ました。
女は一日中和室で物音を立てずに過ごしていますが、女とは初めに口を利いて以来話した事がありません。女には話しかけ難い雰囲気があるのです。
「今、追手が近くまで来た様なのですが、何処かこの家の中で身を隠せる場所は無いですか?」
「なら、天井裏に隠れなさい」
と女が言いました。
天井裏は、何やら異臭がします。そこにはカエルやネズミ等の死骸が散乱しており、無数の虫がウヨウヨ這っていたのです。
案の定、追手の男達が家にやって来ました。
女に、こういう者が来なかったかと、私の似顔絵を見せて聞いています。
女が、来ていないと言うと、追手の一人が、
「この男は、何人もの女を殺した極悪人だから、ここに来たら絶対に入れてはいけない」
そう言うと、去って行きました。
私はどうやら女殺しの下手人の様であります。
「もう大丈夫ですよ」
と女が言うので、私は天井裏から降りて行きました。
その晩の事であります。
私は女に素性がばれてしまった以上、明日にでも何処か別の所へ逃げて行く様寝ながら考えていました。
夜中に女が、隣の和室から襖を開けて入って来たのです。
「少し、よろしいですか?」
女が何時もの低い声で言います。
私も起き上がり、女の前に座りました。
「貴方は私の事を、覚えていないのですか?」
女が何時もの様に低い小さな声で言います。
私は女にそう言われて、ぐるぐると過去の女の事を思い浮かべたが、関係を持った女が多すぎて、印象の薄い女の事は思い出せないのです。
「私は、貴方とどこかでお会いしましたかね?」
私がそう言うと、女が静かに語り始めたのです。
「貴方は何という酷い人なんでしょうね。私は貴方のために夫や子も捨て、更に有り金も全て貴方に貢ぎました。全てを貴方のために捨てたのに、私が身重になると他に女を作ったのです。家を出て行こうとする貴方に、捨てないでと鳴きすがる私を、貴方は足蹴にしたのです。私を捨てて女の所へ行くのなら貴方を殺す、と言って包丁を持ち出すと、貴方は薄ら笑いを浮かべ、殺せるものなら殺してみろ、と言いました。その後、口論の末、私から包丁を奪い、そして私を殺したのです、赤ちゃんも一緒に……。過去に殺した私の事も思い出せないなんて、貴方は本当に酷い人です。それは貴方が、今迄数え切れない程の女を殺して来たから、私の事など思い出せないのでしょう……」
ここまで話すと美しい女の目から一筋の涙がこぼれて落ちました。
「私は、貴方が憎くて、憎くて、憎くて……、怨んで、怨んで……、貴方がここに来るのをずっと、ずっと、ずっと待ち続けていたのです」
この時私は、女の事を雷に打たれた様に思い出したのです。
「私は、貴方の事をずっと憎み、怨み続けて、心を汚してしまったから、こんな醜い姿に変わってしまったのです。それも、貴方を、殺したくて、食べたくて、ずっと、ずっと、待ち続けていたからなのです」
女はそう言うと、大蛇に変身するや否や、吊り上がった目を怒りの炎でぐらぐら燃やしながら、大きな口を裂ける程開き、私に襲い掛かり、飲み込んでしまったのです。
遠い過去世の話です。
私は何かの理由で追われて逃げており、夕刻、山の中に空き家があったので入ったのです。
空き家は長らく人が棲んだ様子はなく、暗く陰気な空気に覆われていました。
歩き疲れていた私は、空き家で死んだ様に眠ったのです。
一度夜中に物音がしたので、追手が来たのかと、慌てて目を覚ましました。
真っ暗な部屋の中、何かが畳の上を這っている様な音がするが、あまりの疲れから、意識が遠退く様に、又眠りに落ちました。
翌朝目が覚めて、日中でも暗い部屋の中をよく見ると、クモ、ムカデ、ヤモリ、ゴキブリ等がウヨウヨ這っていました。
私はこの空き家で暫く生活しようと食べ物を探しに周囲の山に出ました。
木の実や草等食料になりそうなものは何でも採りました。沢水が流れていると水筒に入れて持ち帰りました。
空き家に帰ると、暗い家の中に女が座っていたのです。
私は吃驚して、玄関に突っ立ったままでいると、
「そんなところに立っていないで、中へお入りなさい」
と、女がやっと聞き取れるくらいの低い声で言いました。
着物姿の女は、三十代後半ぐらいの瓜実顔の美人であるが、表情のない顔が氷の様に冷たく感じるのです。
「貴方の家なんですか? 私は空き家と思って、昨日から勝手にここで休んでおりました」
「暫く家を空けていて、数日前に帰ったものですから……。貴方さえよければ、どうぞ休んでいって下さい」
と、女が小さな声で言いました。
「それは有り難い。実は私、今、いわれない罪により何者かに追われて逃げておりまして、追手が通り過ぎるまで暫くここで身を隠させて頂ければ幸いです」
「それは大変ですわね。どうぞ貴方が居たいだけ居て下さい」
女はそう言うと隣の和室に移って行きました。
この家は玄関を入ると土間があり、その横に居間、襖を隔てて和室があるだけの小さな平屋です。
私は追われる生活のため、気が休まらず、長い時間熟睡も出来ず、夜中に何度か目が覚めるのです。目が覚めると暫く目が冴えてくるため、その間考え事をします。
隣に寝ている筈の女の様子が気になるが、女の居る気配を全く感じないのです。
時々天井から、鼠が這っているのか、ドサッドサッという物音が聞こえて来ます。
ある日、私が道沿いで食料を探していると、追手らしき者が遠くの方に見えたので、慌てて戻って来ました。
女は一日中和室で物音を立てずに過ごしていますが、女とは初めに口を利いて以来話した事がありません。女には話しかけ難い雰囲気があるのです。
「今、追手が近くまで来た様なのですが、何処かこの家の中で身を隠せる場所は無いですか?」
「なら、天井裏に隠れなさい」
と女が言いました。
天井裏は、何やら異臭がします。そこにはカエルやネズミ等の死骸が散乱しており、無数の虫がウヨウヨ這っていたのです。
案の定、追手の男達が家にやって来ました。
女に、こういう者が来なかったかと、私の似顔絵を見せて聞いています。
女が、来ていないと言うと、追手の一人が、
「この男は、何人もの女を殺した極悪人だから、ここに来たら絶対に入れてはいけない」
そう言うと、去って行きました。
私はどうやら女殺しの下手人の様であります。
「もう大丈夫ですよ」
と女が言うので、私は天井裏から降りて行きました。
その晩の事であります。
私は女に素性がばれてしまった以上、明日にでも何処か別の所へ逃げて行く様寝ながら考えていました。
夜中に女が、隣の和室から襖を開けて入って来たのです。
「少し、よろしいですか?」
女が何時もの低い声で言います。
私も起き上がり、女の前に座りました。
「貴方は私の事を、覚えていないのですか?」
女が何時もの様に低い小さな声で言います。
私は女にそう言われて、ぐるぐると過去の女の事を思い浮かべたが、関係を持った女が多すぎて、印象の薄い女の事は思い出せないのです。
「私は、貴方とどこかでお会いしましたかね?」
私がそう言うと、女が静かに語り始めたのです。
「貴方は何という酷い人なんでしょうね。私は貴方のために夫や子も捨て、更に有り金も全て貴方に貢ぎました。全てを貴方のために捨てたのに、私が身重になると他に女を作ったのです。家を出て行こうとする貴方に、捨てないでと鳴きすがる私を、貴方は足蹴にしたのです。私を捨てて女の所へ行くのなら貴方を殺す、と言って包丁を持ち出すと、貴方は薄ら笑いを浮かべ、殺せるものなら殺してみろ、と言いました。その後、口論の末、私から包丁を奪い、そして私を殺したのです、赤ちゃんも一緒に……。過去に殺した私の事も思い出せないなんて、貴方は本当に酷い人です。それは貴方が、今迄数え切れない程の女を殺して来たから、私の事など思い出せないのでしょう……」
ここまで話すと美しい女の目から一筋の涙がこぼれて落ちました。
「私は、貴方が憎くて、憎くて、憎くて……、怨んで、怨んで……、貴方がここに来るのをずっと、ずっと、ずっと待ち続けていたのです」
この時私は、女の事を雷に打たれた様に思い出したのです。
「私は、貴方の事をずっと憎み、怨み続けて、心を汚してしまったから、こんな醜い姿に変わってしまったのです。それも、貴方を、殺したくて、食べたくて、ずっと、ずっと、待ち続けていたからなのです」
女はそう言うと、大蛇に変身するや否や、吊り上がった目を怒りの炎でぐらぐら燃やしながら、大きな口を裂ける程開き、私に襲い掛かり、飲み込んでしまったのです。
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