サヨコ

文字数 3,298文字

 私は深夜に、山の中の峠道を車で走っている。
 この峠には、以前から白い着物姿の幽霊が出るという、噂があった。私は幽霊が、死ぬほど嫌いである。
 峠越えの集落にある、親類宅での法事の帰りだった。この峠道を回避したいのだが、迂回して帰るにも、その道が工事中で通行止めのため、この峠越えの道を通らなければ、自宅に戻れないのである。
 私は「ローリング・ストーンズ」の全曲集のCDを、寂しさを紛らわすために、大音量で聴いていた。こんな時、寂し気な演歌やフォークは聴けない。
 この時間帯になると、すれ違う車もめったにない。この先のカーブを曲がった所が、噂に名高い心霊スポットである。
 私はカーブを曲がった瞬間、一瞬目を閉じた。目を開けた時、その場所に幽霊はいなかった。
「ブラウン・シュガー」が終わった時だった。何やら拍手が聞こえる。このCDはライブ盤ではないし、曲の終了時に拍手の音なんか入ってなかったはずだ。拍手の音は、ノリノリのロックには合わないような寂しげな弱々しい響きだった。
 バックミラーは、後部座席が見えないように、わざと角度を変えていた。この付近を通った時、バックミラーを見たら、後部座席に白い着物の女が乗っていたという、噂話をよく聞いたからである。
「出たーーーーーーーーっ」と思ったが、振り向くことが出来ない。後ろの気配を気にしながらも、恐る恐る運転していた。
 曲が「ホンキー・トンク・ウィメン」に変わって、しばらくすると、
「ワタシ、この曲大好きなの」と、女の声が言った。
「ギヤアアアアーーーー」と私は心で叫んだ。
「この曲さぁ、何か、場末感があって、本当にいいよね」と女が話す。
 私は我慢できずに、車を急停止し、後ろを振り返った。後部座席に、あどけない顔をした女の子が座っている。年の頃で言うと、二十代前半くらいだろう。
「キキキ、キ、キミは、ダダダ、ダレなンだ?」と私は叫んだ。
「そんなに驚かなくても、いいじゃない」と若い女が、逆に驚いたように目を丸くしている。
「驚くに決まっているだろう」
 私が泣きそうな顔をして言うと、
「アナタひょっとして、いい年こいてお化けが恐いの?」と女が笑った。
「あったりまえだろう。一体いつから、キミはそこに座っていたんだよ?」
 今度は蒼くなった顔で私が言った。
「まあ、少し落ち着きなさいよ。はい、深呼吸してぇーーー」と、まるで茶化すように言う。
「バカ言うな。心臓が止まりそうなのに、深呼吸なんかしたら、本当に止まっちゃうよ」と私が、混乱して支離滅裂なことを言うと、女は笑いながら、
「本当にアナタ、小心者なのね」と言った。
「誰だって、後部座席に突然人が座っていたら、驚くだろうよ」
「あら、ワタシ、結構前から座っていたのに……」
「そういうことじゃなくて……」
 女の服装が白い着物姿でなく、平凡な女の子の服装であり、スラッと細く長い足も二本あることから、私は女が幽霊ではないかもしれないと思い始めた。
「オレは、この道の、この辺りで、いつも白い着物姿の幽霊が出るって言われているから、恐くて本当はこの道を通るのが嫌だったんだけれど、どうしても親戚の法事に出なければいけない羽目になって、仕方なく参加して、おまけに明日出張で朝も早いから、今晩は酒も飲まずに、遅くまで皆に付き合って、気が付いたら遅い時間になっていて、本当にもう、最悪だよ」
 私は興奮冷めやらぬまま、一気に今夜の不満をぶちまけた。
「そんなこと、ワタシに愚痴られても、知らないわよ」と女が言った。
 少しして落ち着いてくると、女の子が何処かであったことのある顔に思えてきた。
「ところで、ワタシ、前に座ってもいいかしら?」と女の子が言うので、
「どうぞ、ご自由に」と私は言った。
 平静さを取り戻してきた私は、車を発車させた後、しばらく若い女と世間話をした。
「キミは随分若いのに、『ローリング・ストーンズ』が好きなんて、珍しいンじゃない?」
「ワタシは六十年代の音楽が好きなの」
「例えば、どういうの?」
「そうね、『ビートルズ』でしょう、『クラプトン』でしょう、それと『ボブ・ディラン』なんかも好きね」
「本当に、好みが渋いよね」
「そうかしら? だって今の歌しらないし……」
「エッ、どういうこと?」
 私が訝しげに聞くと、
「アナタ、昭和三十三年生まれの、戌年でしょう?」
 女の子が慌てて話題を変えた。
「どうして、わかるんだよ?」
「だって同い年だもん」と女の子が言った。
「エーーー、嘘だろう」と私は素っ頓狂な声を出した。
 そういわれてみると、女を最初見た時から、どこかで見た顔だと思ったし、着ている服や雰囲気が「時間ですよ」に出ていた頃の、浅田美代子に似ているとも思った。
「しかし君はどう見ても、二十代前半だよね」と私が言うと、
「死んだ者は、年取らないのよ」と若い女が、何食わぬ顔で言った。
「と言うことは、やっぱりキミは幽霊なのか?」と私が聞くと、
「ヤスオ君、まだ思い出さないの? ワタシよ、サヨコよ。高校二年生の時、半年くらい付き合ったじゃない。覚えてないところを見ると、ワタシのこと、本当に弄んだだけだったのね」と若い女が言った。
「サヨコ? そんな名前の子と付き合った記憶が無いし、そもそも高校時代に彼女なんていなかったしね、キミ誰かと勘違いしてるんじゃない? 第一オレ、ヤスオって名前じゃないし……」
「ヤスオ君、嘘つかなくてもいいわよ。プレイボーイで、今迄に六十九人の女性と交際してきたから、ワタシのことなんか覚えているわけないわよね」
 サヨコが自信たっぷりに言うが、私はそんなに女の子と付き合っていない。
「悪いけど、オレ本当に、キミが言うヤスオ君ではないんだよ。それに今迄オレが付き合った女の子は六人だけだしね、絶対キミの勘違いだから」
「どうしてそんな嘘をつくの、もうアナタの事怨んでいないから、大丈夫よ」
「キミが何と言っても、オレはヤスオ君じゃないんだよ。じゃあ証拠を見せるから、ちょっと待ってよ」
 そう言って車を止めると、私はポケットの中の財布から免許証を取り出して、女に見せた。
「どうせこれ、誰かの免許証でしょう? 嘘言ってもワタシには分かるのよ」
 どう言っても、女は私の言う事を信じない。
「まいったなぁ、どうしたら信じてもらえるかなぁ、で、一体君はそのヤスオ君に何をしたいわけ?」
 私は、少し話の展開を変えてみた。
「それはね、約束したことを守って欲しいだけ」
「約束って?」
「あのね、ヤスオ君に付き合っていた時、三万貸していたでしょう? それを返して欲しいの」
 女が少し恥ずかしそうに、俯いて言った。
「約束ってそれだけ? それだけの事でキミは幽霊になって出て来たわけなの?」
 私は少し可笑しくなって、笑ってしまった。
「ヤスオ君、笑うなんて酷い、私は高校卒業してすぐに病気で死んでしまったけど、ヤスオ君に貸したお金のことが忘れられなくて、ずっとヤスオ君の事思い続けていたのに……」
 女が少しムキになって言った。
「ゴメンゴメン、笑うつもりじゃなかったんだけれど……、だって普通、幽霊が出て来る動機って、もっとドロドロしているものと思ったから、以外過ぎて……」
 私が言い訳のように話すと、女の表情も和んだ。
「わかったよ、オレは本当にヤスオ君ではないけれど、キミが安らかに成仏できるんだったら、三万はオレがヤスオ君に成り代わって払ってあげるよ」
「ヤスオ君も、どうしてそこまで、往生際が悪いの? 何か自分の事を名乗れない様な、やましい事でもあるの?」
「イヤイヤイヤイヤ、本当にオレはヤスオ君ではないから。この件は、絶対に譲れないからね。どうも何時まで話してもらちがあきそうにないから、もうやめよう」
 そう言うと、私は女に三万円を渡した。
 私は、気持ちを落ち着かせようと、車外に出てタバコを吸った。一服して車に戻ると、助手席から女の姿は消えていた。
 私は車を運転しながら、若い女の幽霊の事を考えていた。どう考えてもあの幽霊が人違いをしているとしか思えない。しばらくして冷静になると、これは幽霊の詐欺だったのかもしれないと思った。
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