医者と患者

文字数 2,000文字

「先生、ワシ死にたいんですけど……」
 人生に疲れ切った中年のハゲオヤジが心療内科の医者に溜息交じりにそう言う。
「うーん、そうか、君もかねぇ、実は私も死にたいんじゃがね」
 患者と同年代と思しきメガネをかけた中年の医者が疲れた顔で言う。
「先生が死にたいとは、一体どういう事ですか?」
 患者のハゲオヤジが、アレっという顔で聞く。
「いや、何ね、先月愛する女房に先立たれてから、何もかもやる気がなくなってね……」
 メガネの医者が俯きがちに無気力な感じで言う。
「そりゃ先生も辛いですなぁ、まぁ辛いかもしれませんけど今日はワシが死にたいと言ってるんで先生の話はどうでもええですねん、まぁどうでもええと言っちゃあ失礼ですがあくまで今日はワシが患者ですのでね、その点、ヨロシク」
 ハゲオヤジが最初と違って声のトーンを上げながら早口で言う。
「そうですか、あーたは患者でしたかねぇ、私にはあーたがドクターに思えたもんでね」
「そりゃ先生も辛いのは解りますがね、仕事はちゃんとやってもらわんとね」
 ハゲオヤジは、この病院に来た事を後悔しはじめていた。
「けど先生も、何時までもそうやって奥さんの事思ったって、奥さんが生き返るわけでもないしね、めそめそしてないで前向きに生きないと……」
「ふーん、しかし、あーたはそう仰いますけどね、中々愛する妻に先立たれた空虚感は、あーたなんどにゃ解りますまい」
「いくら愛していたとしても死んだんだから仕方ないじゃないですか、往生際が悪すぎですよ」
 ハゲオヤジは少しずつ腹が立って来た。
「あーたね、あーたの奥さんがどんな奥さんか知りませんがね、うちの家内とあーたのそこら辺にいる様な気の利かない不細工な奥さんと、一緒にされちゃ困りますよ。何を言ってるんだね、失礼な!」
 メガネの医者が気色ばむ。
「ちょっと先生よ、さっきから聞いてりゃあんまり事じゃござんせんかね、ワシは患者なんですよ、何で先生の奥さんの事で怒られなきゃいかんのですか。早くちゃんと診察して下さいよ、まったく。ワシの割り当ての時間三十分しかないんですからね、ほらぁ、もう十分も過ぎてるじゃないですか」
「なーに、あーた、診察なんてええ加減なもんでね、患者の言う事を適当に聞いておったらそれでいいんじゃよ。ほんでぇあーたは、死にたいと仰いましたかね? 別に死んだらいいんじゃないですか、そんなもん勝手に。私にそんな事同意を求めてどうするのかね、遺書に医者が自殺を唆したとでも書くんかねぇ、えー、あーた。何ね、死にたいなんて言う人間に限って死んだりはしませんよ。あーたにはね、ビタミン剤でも打ってあげるからね、それでよござんすかね」
 メガネの医者が投げやりに言う。
「先生、そんなざっとした事を医者たる者が言っていいんですか? 先生も医者なら何でワシが死にたいと思っているのかまず聞かなきゃいかんでしょうが? それもせんと死にたきゃ勝手に死ねなんてそんな医者がどこにいるんですか? ワシはね伊達や酔狂でここに来たわけじゃないんですよ。本当に苦しくて眠れなくて食欲もなくてやる気も起こらないから来たくもないのに心療内科にやって来たのに、何ですか一体!」
 中年ハゲオヤジは興奮から全身ワナワナ震わせて言う。
「まぁまぁ、あーたね、落ち着きなさいよ。どうもあーたは血が上りやすいタイプのようだね。そしたらビタミン剤打つのはよしとこうかね。……君も眠れないかね? そうかそうか、私も愛する妻を亡くしてから眠れなくてなぁ、そんなら私が一つ良い案を授けよう、酒をたらふく飲みなさい、ビールと焼酎とウイスキーと日本酒で割って飲むんだよ、これねぇ、以外と効いてね、私も実践中だがね、やってみたまえ」
 メガネの医者が得意になって言う。
「先生、あなたはそれでも医者ですか? 眠れない時は酒をチャンポンにして飲めだと、ふざけやがって! ワシは酒を一滴も飲めない体質でね、そのワシがチャンポンで酒を飲んだら、急性アル中であの世に行くわー、ボケ!」
 ハゲオヤジが憤慨している。
「ほぉー、世の中には酒も飲めない男がいるとは知らなんだ。私なんどは毎晩愛する女房の手料理と女房の酌でグビグビやったもんじゃ、女房も中々いける口でのぅ、お互い浴びる程飲んでそれからまぐわったもんじゃよ、フ・フ・フンフン」
 メガネの医者が思い出し笑いをしながら言う。
「何も先生のまぐわった話なんど聞きたかねえや、そんな汚らしい話を何でワシが金払って聞かんといかんのじゃ、このカス! 早くちゃんと診察しろ! あーもういいから薬をくれ薬を!」
 ハゲが切れて叫ぶ。
「うちではのぅ、ビタミン剤と風邪薬しか置いてないんでね、何なら風邪薬余分に出しとこうかね」
「このやぶ医者がぁ! 何で心の病にビタミン剤打ったり風邪薬が必要何じゃあー、ドアホー!」
 ハゲオヤジは最早怒りでクラクラし、倒れそうになっている。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み