女の部屋に忍び込む

文字数 2,417文字

 私は夜分マンションの女の部屋に忍び込んでいる。
 以前この部屋の修繕をした時、テーブルに置いてあった予備の鍵の番号を控え、合鍵を作っていたから、難なく侵入できた。
 女は深夜のコンビニでバイトしていた。二十才前後で、昼間は専門学校に通っている。女は私のタイプだった。
 私は部屋に忍び込んで、女の下着を持参したバッグに詰め込んだ。
 女の部屋は甘い果実の匂いがした。
 すると、玄関のドアが開き、女が帰って来た。体調が悪く、早引きしたのである。
 女は部屋にいる私を見て、「キャー」と叫んだ。
 私は腰を抜かすほど驚いている女に向かって、
「許可なく部屋に入って、大変申し訳ありません。実は今夜、アナタに求婚しに来たのです。決して怪しい者ではありません」私は落ち着いた口調で言った。
 女はまだ、置かれている状況がよく呑み込めないように、ただオロオロしている。
「大丈夫です。アナタに危害を加えたりはしませんので」と私が言うと、
「ア、ア、アナタは、どど、どちらさんですか?」と震える声で女が言う。
「私はこの向かいに住んでいる者です」と私が言うと、
「この部屋に、どうやって入ったんですか?」と、女が訝し気な顔をして聞く。
「私はアナタの部屋の合鍵を拾ったから、実はそれを届けることも今日の目的ではあったのです」と私は白々しい嘘を吐いた。
「しかし、その鍵がどうしてこの部屋のものだと分かったんですか?」と女が、納得のいかない顔をして聞く。
「それは何というか、第六感っていうやつですかね」と私が少し笑って言うと、
「あり得ない」と女が言った。
「しかし確率的には低くても、世の中にはアンビリーバブルなことって、よくあるじゃないですか。そう考えれば、特別不思議なことでもないと思いますよ」と私は口から出まかせを言う。
「それにしても、いきなり他人の部屋に勝手に入って来た見知らぬ人から求婚されて、はいわかりました、喜んで、なんていう人が果たしているかしら?」
「たしかに常識からいうと、あり得ないかもしれませんが、当たり前でないことから出発する結婚こそ、上手くいった時の喜びが倍増する、という考えも一方ではあっておかしくないでしょう」
「そんな馬鹿な、そんな理屈は通りませんよ。結婚をそんな風に決めるなんて私には絶対あり得ない」
「もちろんそうですね、私の気持ちを一方的にアナタに押し付ける気はありません。それはアナタが判断することですから」
「だいいち初対面で、いきなり結婚してくださいは、おかしいでしょう? まずは付き合ってくださいというのが筋じゃないですか?」
「私は物語でも何でも、筋通りに進むことが嫌い、というか、性に合わないというか、飽きるというか、まあ結論から言うと、やっぱり嫌いなんです。ほらカフカの小説のように先の読めない展開、不条理というか、シュールというか、そういうものが好きなんですよ」 
「それはアナタの好みの問題でしょう。アナタの都合のいいようには、全てのことがいきませんよ。相手にも、それなりの思想信条があるのですからね」
「しかしアナタは世間一般に、ある年齢になったら結婚をして、子どもを産んで、家も建てて、子どもに十分な教育を受けさせて、やがて子どもが巣立っていき、老後を迎える。そんなステレオタイプの人生が楽しいと思いますか?」
「それは人として、世間一般にいわれるような、人並みな幸せを味わいたいとは思いますよね。それは誰だって同じだと思いますけど」
「それですよ、問題なのは。世間一般の幸せ。それは世間体にしばられた相対的幸福なんですよ。他人と比較して、よく見られたい、その発想にしばられている以上、本当の幸せにはありつけない。自分がしあわせかどうかなんですよ。他人からどう思われようが、そんなことどうでもいいんです。他人の目なんて、いい加減なものですよ。そうじゃなくて、大切なものは絶対的幸福をつかむことなのです。自分の人生を自分らしく行き切ることが、最も重要なんですよ」
「アナタの言い方を聞いていたら、自分がホームレスになっても、どんなに貧しくても、自分が幸せと感じたらそれでいいという風に聞こえるけれど、やっぱり人間、貧すりゃ鈍するって言うでしょう。アナタの言っていることはワタシにはきれいごとにしか聞こえないわ」
「ちょっと話が飛躍した感もあるけれど……。誰も望んでホームレスや貧乏になろうと思っているわけじゃなくて、結果的にそうなっているのだから……。ボクの言いたいことはそんな事じゃなくて、世間体を気にして、本当に自分のやりたいことが出来なかったり、何かを決める時にそのことが障害になったりすることが、残念だということを言っているんです」
 私は話の展開が真面目な方向に行き過ぎているので、ここらで話題を変えようと思った。
「ところでアナタは、芸能人でいうと誰が好きなんですか?」
「今は、『嵐』のサクライ君かな」
「サクライっていうと、『ニュースゼロ』に出ていた奴だよね。ところで、今はってことは、その前は誰が好きだったの?」
「そうね、ガッキーかな」
「ガッキーっていったら、アラガキユイのこと? 『ニゲハジ』に出ていた可愛い子だよね」
「そうそうそうそう」
「しかし、アラガキユイって女でしょう? 女の子でも女優が好きなんだね」
「そうなのワタシ。実は男でも女でもどっちでもいけるの」
「それはレズでもあるってこと?」
「今はショウ君って言っているけど、本当のところどっちかって言うと、女性が好きね」
 私はレズビアンが苦手である。
「しまった」と思った。
「わかったよ。今晩はもう遅いから、帰ることにする。今日のことは確かにボクが悪かった。今日のことは無かったことにしてください」と私が言うと、今度は女が、ポカンとした顔をした。
 私は女に合鍵を渡して部屋を出た。
「人間っていうのは、やっぱりよくわからない」
 私はそう呟くと、向かいのタヌキ山に帰って行った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み