巨人

文字数 2,382文字

 向かいの山に沈む夕陽を眺めていると、赤く染まる稜線から黒い影が立ち上がって来た。
 その影が徐々に姿を現した時、それが初めて山男であると思った。
 山男は、稜線に沿って北東に向かって歩いている。
 そのまま行けば、私の住居のある新興住宅地に着くはずである。
 山男の姿が肉眼ではっきり判明出来るという事は、恐らく山男の身長は二十メートルくらいあるかと思われる。山男のすぐ近くに鉄柱が立っており、鉄柱の高さと山男の身長は一緒くらいであるが、鉄柱の高さが咄嗟にわからないため、何とも言えないが……。
 いずれにしろ、そんな高さの山男が、今歩いて新興住宅地に向かっている事実を、消防か警察に通報しなければいけないだろうかと悩んでいるが、これだけの大男が歩いている姿を、私以外にも絶対誰かが発見し、すでに行政機関に通報しているだろう、と思った。
 ちょっとまてよ、あの巨人が山男でなく、山女という事はないだろうか? あるいは北京原人かもしれない? いやいやきっと、私が知らないだけで映画の撮影でもしているにちがいない? 
 そんな考えを巡らしながら眺めていると、巨人が新興住宅地に後二十メートル程先のところまでやって来た。
 案の定、誰かの通報により、消防車が新興住宅地に何台もやって来た。
 消防車は、一斉に巨人に放水をした。 
 巨人は放水が、水浴びの様に気持ち良かったのか、嬉しそうに両手で体を掻きむしっている。
 消防も放水が何の効果もない事は初めからわかっていたが、何かをしなければマスコミも煩いし、取り敢えずやってみただけの事である。
 他にも行政の要請で集められた猟友会のハンター達が鉄砲をかまえて待機していたが、巨人が何か人間に被害をもたらすか、もしくはその危険が予想されない内に、撃ち殺す事は問題だと、人道的なハンターの棟梁が言った。
 巨人といえども、人間である。
 ではどうしたらよいか?
 災害対策本部を急遽設置し、色魔のボンクラ市長はじめ茶坊主の管理職連中が市役所に集まったが、集まるだけで何もしない。ボンクラ達は前例がない事にすこぶる弱い。ましてやマニュアルが無いとなれば、只オロオロするだけである。
 マスコミからは、やいのやいのと問い合わせがあり、市民からは何とかせいと、非難の電話が殺到している。
 取り敢えず、色魔で目立ちたがりの只のボンクラ市長が、「自衛隊を要請しろ」と防災担当課長に指示した。なすすべがない時は、親方日の丸宜しく国へ泣きつくのである。
 自衛隊がこの市にやって来るまでに、市民の身の上に何かあれば、
「これは想定外の災害であり不可抗力でした。今後は、こういう場合にも対応できる様、早急にマニュアルを見直し、取り組んでまいります」
 とお決まりの神妙な顔で、謝罪の言葉を述べるのである。謝れば、それで済むとボンクラ市長は思っている。
 自衛隊が来るまでのパフォーマンスをどうするかという事であるが、アホ面した災害対策本部の管理職連中は、溜息しか吐く事をしらず、何の対策も立てない。めったな事を進言し、それが受け入れられて対応が失敗に終わったら、マスコミから袋叩きに会うため、ダンマリを決め込むのである。
 そんな時、緊急招集だったために、昼間っから酒を飲んでいた大酔いの、平素はクマにぶつかってもモノを言わない、ムッツリ助平のウスノロ課長が叫んだ。
「巨人といっても、人間やろう? 話したらわかるんじゃないの? ものは試しで説得したらどうやねん? それでだめだったら、ザ・ピーナッツみたいに歌でも唄うたらええがじゃないかい? モスラーや、モスラーってね、ハハハハハ」
 酔っ払いウスノロ課長の案でも、こんな時には採用されるのである。
 取り敢えず現地に赴いて、拡声器を手にしたボンクラ市長が、巨人に向かって話しかけた。
「アナタは、言葉が分かりますか?」
 巨人はボンクラ市長の方に顔を向けて、聞き耳を立てているが、何も答えない。それもそのはず、この巨人は中国人で、日本語がさっぱりわからないのである。
 ボンクラ市長は、余程頭が混乱しているのか、元々バカなのか分からないが、酔っ払いウスノロ課長の歌を唄う案まで実行した。
 ザ・ピーナッツの様な双子はいないが、似た様な若手女子職員二人に、
「何でもいいから、巨人が注目してその場を動かず、時間稼ぎになるような歌を唄え! もしそれでダメなら、二人で踊れ!」
 と叫んだ。
 訳の分からない女子職員二人は、咄嗟の事で童謡しか頭に浮かばず、「月の砂漠」を唄った。
 少しだけ巨人が興味を示したように、目線を女子職員に落としたが、すぐに視線を外して新興住宅地側に歩いて来そうになる。
「やばい! 来るぞ! 来るぞ! 早く踊れ! 踊れ!」
 とボンクラ市長が狼狽して叫ぶ。
 女子職員は昨年踊った「よさこい踊り」を夢中で踊った。これに興味を示した巨人が、何とその場で一緒に踊り始めた。
 反応があったと喜んだボンクラ市長は、そこに来ていた職員全員と野次馬達にまで、「よさこい踊り」を踊るよう叫んだ。もちろんボンクラ市長も踊った。若い女子職員の踊りを真似しながら皆が踊っていたが、さすがに三十分も踊ると疲れが出て来た。
 年配の職員や野次馬の老人が踊りを止めると、
「踊りを止めたらいかん! 自衛隊が来るまで踊れ! 踊れ!」
 とボンクラ市長が叫ぶ。ボンクラ市長もフラフラになっているが、一心不乱に踊っている。
 脱水状態になりかけたボンクラ市長が、一緒に踊っている消防士に、
「水をワシらにかけるんだ!」
 と叫んでいる。
 消防車に戻った消防士が放水をした。
 しかし踊り続ける内に、到頭倒れるものが続出した。気が付くとボンクラ市長以下踊り子隊全員が倒れてしまった。
 巨人は踊りが止まった事で興醒めした様に、大きなあくびを繰り返し、やがて元来た方へ帰って行った。


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