猫を轢く

文字数 1,329文字

 私が、仕事帰りにバイパスを軽自動車で走行中、道路沿いの川堤から目を光らして猫が飛び出してきた。
 慌ててブレーキを踏んだが間に合わず、「ドーン」という大きな音がして猫が車にぶつかった。
 私は道路脇に車を停め、事故現場に引き返したが、猫の死骸が見つからない。それどころか猫が出血したあとすらもない。
 私は狐につままれた様に思い、その辺りに猫の死骸がないか、探した。
 バイパスはスピードを出した車が頻繁に通るが、何処かに横たわっているはずの猫の死骸を避けて通る様子もない。
 私は咄嗟の事で、動転していた。
 車の何処かが凹んでいるに違いないと、停めている車に戻り、損傷部分を確認したがそれらしきあとも見当たらない。
 私は猫の幻を見たのだろうか?
 なら、あの大きな音は何だったのだろう? 
 七十キロで走行していた車に、猫がぶつかり、死なない訳がないと思った。
 私は腑に落ちない気持ちのまま、家に帰った。
 併し数日は、轢いたはずの猫の事が頭から離れなかった。
 猫が生きているとは到底思えないが、万が一、猫が血を流しながら何処かに逃げたとしても、血のあとが見当たらないのはおかしい。
 私は数日、猫の事が頭から離れず、重く嫌な気分のままでいた。

 半年くらい経った頃には、あれ程私の頭の中を支配し続けた猫の存在から、徐々に解放されつつあった。
 そんな頃、私は突然勃起障害になった。
 私はまだ三十代前半で、妻は二十代後半。子供がまだなかった事から、頻繁に子作りに励んでいた。が、ある夜、何時もの様に、子作りに励んでいた時、いざ挿入しようとしたら勃起していたいちもつが萎えてしまった。
 その時、妻は「疲れているのよ、気にしなくていいわ」と笑って云ったが、その後、何度もそうなるにつれて、不満そうな顔をする様になった。
 私は日頃から血糖値が高く、父も重度の糖尿病だったから、普段から菓子や糖分の高いものは出来るだけ控えていた。
 併し、まさか勃起障害になるなんて夢にも思った事はなく、何方かと云えば、立派に屹立するいちもつを自慢にさえ思っていた。
 私は狼狽えた。
 妻が云う様に、仕事のストレスからきているのだろうか?
 昨年の春、係長に昇進した事で、ストレスを抱えていた事は事実である。
 併し、そこからもう一年以上も経っているし、役職にも慣れた事から、仕事のストレスとは思えない。
 なら、何故だろう?
 酒もよく飲んでいるが、毎晩浴びる程飲むという訳でもないし、酒が原因とも思えない。
 じゃあ、何故だろうと思っている時、私は半年前に轢いた猫の事をふいと思い出したのだ。
 その時、私は雷に打たれた様に猫の一件を思い出し、確信したのである。無論、根拠などない。変に信心深い小心者の私が、勝手に納得してしまっただけである。

 爾来私は、猫を轢いたと思われる場所に毎日出向き、道端で線香を焚き、手を合わせ、猫の成仏を祈った。私は心が納得するまでその行為を続けた。又その間、妻とのまぐわいを避けた。
 そして、半年が過ぎた頃、私の心に自然と猫への償いが果たせたと感じたのだ。

 その夜、私は妻と久しぶりにまぐわった。
 妻は私が以前の様に元気なまま果てた事に満足して、「ニャーニャー」と猫撫ぜ声で笑った。

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