第76話

文字数 2,677文字


源三郎江戸日記(弟四部)76

これは老中全員がわしに無頼んだのじあよと言うと、承知しました準備してさつそく現地に行きまと言うので、平田殿の居場所は尾張藩に聞けばわかるぞと言って、諸国巡察視の配下で、
ある添え書きと平田殿への文を渡して、ここに5000両の手形がある両替商で交換してくれ、富蔵の取り分は500両じあよ、後は治水の為に自由に使うてくれと言うと、500両は多すぎます、
よと言うので、

いいのじあよ、色々やって貰っているので、褒美じあよと言うと、それでは遠慮なく貰ろうておきますと受け取ったのです、武士が相手なので残りの金寸で用心棒を小頭分雇い、一緒に、
行動するのじあぞと言うと、承知しました、知り合いの浪人がいますので頼みますと言ったのです、七衛門が仁蔵をつれてやって来て準備は整いました、1万両も積み込んでありますと、
言うので、

ご苦労じあった、仁蔵宜しく頼むぞと言うと、七衛門の旦那に代わり働きますと言うので、再び杯を重ねたのです、暫く歓談して明日は早いのでこの辺でお開きにしょうと言って解散し、
たのです、翌日は深川の桟橋から船に乗り込むと大勢見送りに来たのです、船を出せというと、仁蔵がイカリをあげろ帆を張れとって、桟橋を離れたので手を振ると、みんなが船が見、
えなくなるまで手を振り続けたのです、

伊衛門がこの船は風が前から吹いても、前に進めるのですか凄いですねと言うので、夜も走れるぞ、四国の徳島までは2日も掛からぬというと、さらに愕いたのです、江戸湾の浦賀水道、
を抜けて左に大島をみて西へ西へと向かつたのです、2日目の昼には和歌山につき鳴門の渦潮をみながら徳島へ渡り港に停泊したのです、大砲6門を備えた幕府の軍船をみてみんなが愕、
いていたのです、

小船で上陸すると諸国巡察視の村上様ですね、それがしは船手奉行蓮田新座衛門にございますと言うので、旅籠にとまりますのでお構いくださるなと言うと、ご自由に巡察してくだされ、
と言うと傍を離れたのです、旅籠に草鞋を脱ぎ、船旅じあ湯にでも入るとしょうと言うと、一風呂浴びてすっきりしたのです、一服するとおみなも湯から戻って来たので、それでは2人、
連れで巡察してくれと言うと、

山形が伊衛門殿はそれがしと行きましょうと言って、旅籠を出て行ったのです、それではおみな行くかといって連れ立って町にでたのです、歩いていると川で反物を流しているのでこれが、
阿波のあゆ染めか、中々綺麗じあのうと言って、流していた女子に徳島はあゆ染め屋は多いのかと聞くと、そんなに多くはありませんだ、城下でも5件あるだけですと言うので藍栽培は盛、
んではないのかと聞くと、

米の作付けがおざなりになるので、藩のお許しは中々でないのですと言うので、幕府を特に警戒している国じあよ、隠密は阿波と薩摩には行きたがらぬのじあよと言うと、藍と何か関係、
あるのですかと聞くので、盛んになれば大阪から沢山商人が来るであろう、その仲に混じってくる隠密を警戒しての事じあろう、蜂須賀家正公はなんと言っても太閤秀吉公の片腕といわ、
れていたからなあと言ったのです、

しかし藩の財政は大変になはずじあがもつたいないなと言ったのです、前から歩いて来た町人が村上様お話がと言うので、そなたはと聞くと、伊賀100人組の白木源斉といいますと言う、
ので、傍の料理屋に入り酒と魚を頼んだのです、女中が膳をもって来て酌をするので杯をかさねると、ごゆっくりと部屋を出て行て行ったので、これをと文を渡すので見ると源四郎か、
らです、

内容は阿波屋がどうも阿片に係わっているようで、抜荷の線で調べましたが、仕入れ先は判明しませんでした、詳しくは源斉より説明します、なにとぞ助力の程をお頼みしますと書いて、
あったのです、源斉が江戸で南町の同心が見回り中に松吉という怪しい男を捕まえまして、調べたら金寸20両と銀のキセルをもっていたそうで、盗んだのだろうと問いただしたら、博打、
でかせいだ金で、

キセルは自分の持ち物だと言い張ったそうです、捕まえた場所が日本橋浜町だったそうで、近くの商家に聞き込みましたが、どこも盗まれたものは無いといって、銀のキセルもみた事が、
ないとみんな答えたそうなんです、キセルは大した細工ものだったそうで、キセル職人に聞いたら、大店の主人がもっている値打ちのある物だと言ったそうです、よく調べて見る事にし、
て中を調べると、

何かつまっている見たいなので、分解したら油紙に包んだ黒い玉が3つ程隠してあるので、阿片ではないかと医師に調べてもらったら、間違いなく阿片と言う事なので、松吉を責めたよう、
ですが口はわらなかったそうです、色々聞き込みをすると松吉がその日の夕刻に阿波屋に入るのをみた者がいたのだそうです、阿波屋から頼まれて誰かに渡すつもりだったろうと、再度、
責めたそうですが、

ガンとして口はわらなかったそうで、奉行が阿波屋の手入れを許したので、出店をくまなく調べたそうですが、何も見つからなかったのだそうです、それで私が阿波屋を探る為に長崎に、
行き長崎奉行の源四郎様に頼んで調べたのですが、阿波屋は長崎会所には入っていないのです、阿片に詳しいオランダの医師にもう一度調べて貰ったら、南蛮品では無いとの事なのです、

それで本店のある徳島に来て調べていたのです、阿波屋は一番札所近くの山あいで藍を栽培させています、大阪、京都、江戸で大きな商いをやっているようです、独占させる為に他の百姓、
には栽培を藩は許可していないそうなんです、その藍の畑に行ってみましたが、警戒厳重で立ち入れませんでした、ひょっとしたら阿片の元になるケシも栽培しているのではないかと思い、
います、

藍畑ならあんなに警戒する事はないと思いますと話すので、なる程大阪、京都、江戸では沢山出回っていると聞いたが、阿波屋が独占しているのか、相当な賂を藩の重役に渡しているのじ、
あろう、もし、ケシを栽培して、阿片を作っているのなれば見逃すわけにはいかんなと言って、そなたは目をつけられていないのかと聞くと、この城下の呉服屋の手代に成りすまして、
います、

主人とは顔なじみですと言うので、その者も隠密かと聞くと、いえ、わたしの妻の兄です、私が隠密とは知りませんと言ったのです、そなたの内儀は町家の出かと聞くと、兄は徳島藩100石、
取りの藩士だったのですが、江戸家老の失脚で連座の罪に問われて20石に減封されたので、お家を退散して商人になったのです、伊賀100人組はすべが隠密ではありません、徒歩組が殆どで、
すと言ったのです、

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み