第94話

文字数 2,936文字


源三郎江戸日記(弟四部)94

いくつか現場を回り、昼過ぎには城下に戻り、後は須藤が手の者を使いため池は優先してやるのじあと言うと、承知しましたと言うので、船から1万両を降して城に行き勘定奉行に預けて、
この金寸は須藤しか使ってはならぬと念を押したのです、御座所に行くと頼常が上座を勧めるので、ここで結構で御座る、干ばつの防止方は指南しておきました、その費用は1万両を勘定方、
に預けておきました、

早急に郡方が中心になってやらせてくだされというと、かたじけない、これで干ばつに怯える事もなくなると喜んだのです、村上殿と2人にせよと頼常が言うと、みんなが下がったのです、
2人から聞きました、してどうすればと聞くので、やはりここは将来の騒動を避けるために、頼豊殿を跡継ぎにするのが良いと思います、頼正殿には2万石で分家させれば良いと思います、
頼正殿について行きたい者は行かせれば良いですよ、

ただし2万石なので藩士は約150人と言うところです、これ以上なにると減禄しなくては藩は維持できませぬと言うと、そうですな、それしか家中をまとめる手はありませんなと言ったの、
です、さつそくみなに申し渡します、立ち会ってくだされと言うので、承知すると、小姓が全員集めて、頼豊、頼正を最前列に座らせて、これより正式に世継を決める、世継ぎは頼豊と、
して、

頼正は2万石で分家させる、頼正について行きたい、者は申し出よ、150人以上になれば、俸禄を下げねばならぬ、よく考える事じあ、次席家老は付家老として、頼正について行くが良い、
この決定に不服あらば屋敷に戻り、戦支度をせよ、わし自ら忠罰すると言うと、みんながハハハッと言って平伏したのです、用は済んだ役目に戻るのじあと言うと、みなが御座所を下が、
ったので、

頼豊、頼正これで良いな兄弟同様に仲良くせいと言うと、ハイ、承知しましたと言ったのです、頼常が須藤を呼び頼正は2万石で分家することになった、この領内も干ばつ対策、新田開発、
も頼むぞ、領地は丸亀藩の国境から東の2万石になると地図を示すと、国境近辺には広大な野原があります、台地が川より高い為に田には向いておらず野原のままですが、ご老中の指南に、
より、

開発可能になりました、およそ2万石は新田開発可能ですと言うので、それでは実収は4万石になるなと言うので、頼正がそれは凄い、して頼豊殿の領地は、と聞くと5万石は新田開発可能、
です、一気にやらず、1万石と2万石の開発をします、後は後世の為に取っておきます、藩士、領民が増えますので合わせての開発が宜しいかと思いますと言うと、なる程と三人が頷くと、

後は殖産の奨励です、開発した収入の半分は別会計として殖産の奨励と将来の蓄財に当てます、頼正様の領地では毎年5000両になりますので2500両の半分1250両が蓄財、1250両が殖産の、
奨励となり、頼豊様の領地では毎年1万両になりますので、5000両の半分2500両が蓄財、2500両が殖産の奨励にします、干ばつがなくなれば頼豊様の領地で2万石、頼正様の領地で4000石、
が増収する事になりますと言うと、

頼常が何と凄い事ではないか、もう少し早くやっておけばこんなに苦労しなくて良かったなと言うので、源三郎が知恵があっても金がなければ何も出来ないのです、将来に対する蓄財と、
殖産奨励を継続的にやってこなかったつけが回ってきたのです、関が原から100年たちました、今やらねば幕藩体制は崩壊して群雄割拠の戦国時代に戻るのですと言うと、神が村上と言、
う人材を送ったと言う事ですなと言うので、

それがしに多くの知恵が元からあるのではないのです、国中を回れば先人の知恵は沢山あります、それを知らないだけなのです、昔は沢庵和尚などが諸国を歩き色々な文化を伝え、又、
吸収して他国に広めたのです、家康公の祖先もその僧侶だったと聞きますと言うと、頼常がそう言えばわしもこの城の中と江戸藩邸しかしらぬな、せめて領内くらいは知らねば、家臣、
が危険だとして止めるのが通例じあが、

忍びで巡察は必要で御座るなと言うので、そのために警護の近習頭は剣の腕の優れたものを選ばなければなりませぬ、それがしが全国を巡察できるのは、一騎当千の者がついているから、
なのですと言うと、なる程剣の腕の立つ者も必用と言うわけですなと頷いたのです、さて須藤殿の処遇ですが今何石取りなのじあと聞くと、250石に御座いますと言うのでならば、本家、
で125石、分家で125石を負担しなされ、

さすれば両方の役目をやる大儀名文が出来ます、両藩に開発方と言う部署をもうけ藩主直属として、その頭にすればよろしい、屋敷は本家におき家族もそこに済み、分家は役宅とすれば、
よろしい、この辺をピシ~としていないと中途半端となり開発には専念できませぬ、藩主直属とするのは邪魔をさせぬ為に御座ると言うと、承知つかまった、そのようにしますと言って、
祐筆に体制を書かせたのです、

頼常がこれから何処に行きなさるのかと聞くので、後は木曽川の治水工事の巡察に行きます、さぞや薩摩藩は苦労している事でしょうと言うと、あの100里にもなる暴れ川を何とか出来る、
ので御座るかと聞くので、非常に困難に御座るが一旦手がけたのなら完成するしかありませぬと言うと、言い出したのは新井白石でござろう、言うだけで責任は取らない奴ですからなあ、
何者かに襲われて右手を切り落とされたそうですがと言うので、

通りかかったそれがしが繋げておきました、右手の指は動きませぬが、左手を修練すれば不自由もなくなりますと言ったのです、すこしは反省しておるのですかなと言うので、多分無理、
でしょうなと笑ったのです、後は丸亀藩で四国の巡察は終わりにござる、これにて失礼つかまつると言って城をさがり旅籠に戻り、さて金比羅山に参って大阪にもどるぞと言うと、船に、
乗り丸亀に向ったのです、

丸亀で上陸すると丸亀藩家老島田新座に御座いますと言うので、城下の巡察にのついでに、金比羅宮にお参りいたします、お気づかい無用にしてくだされと言うと、ご自由に巡察して下、
されと言ったのです、京極高或殿は若年寄りにて町方差配に御座れば江戸詰めにござるな藩内はどうで御座るかと聞くと、去年の干ばつでは四国の藩は大変なめに会いました、今年が、
まともに刈り入れできれば良いのですがと言うので、

何割減だったので御座るかと聞くと、およそ2割り減に留まりましたと言うので、ほう、ため池は大丈夫だったので御座るかと聞くと、用心の為に沢山増やしてあります、それで助かった、
のですと言うので、中々の治世で御座るなと言うと、京極家は琵琶湖の近くが領地でしたので水にはことかかなかったのですが、この地に来て水の少なさに愕いたのです、それで先々代、
より、

ため池を優先的に作ったのが良かったのでしょうと言うので、なる程琵琶湖には水はいくらでもありますからな、それに比較すれば四国の川は大きいのは土佐の四万十川位のものです、
それでは失礼いたすと言うと、みんなで馬に乗り金比羅山へ向ったのです、着いて見上げると、これは凄い階段じあな、1300段以上あるそうじあ、さて行くぞと登って行ったのです、
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み