第101話

文字数 3,036文字


源三郎江戸日記(弟四部)101

寛大な仕置きいたみいります、これよりは商人共の不正は取り締まりますと平伏したので、すこしは藩の事も考えるのじあなと言うと、奉行所を出て旅籠に戻り、富蔵これで10万5千両、
じあ、遠慮なく使うがよいぞ、思い切って開発してくれと言うと、ハイ、いつもながらのお手並み恐れ入りますと笑ったのです、おみなも帰って来て不漁でしたと言うので、軍資金は、
沢山集まったぞと笑うと、

いか程ですかと聞くので、全部で10万5千両となり、船には2万両もどしておいたと言うと、すご~いと手を叩いたのです、翌日は富蔵達はつれていけぬが、みんなで平田殿に会い、現場、
を巡察しようと言って馬を調達して木曽川の本陣に向ったのです、半日で現場につくと、平田が巡察ご苦労様ですと言うので、綿密な計画をはなし、それがしが現場の指揮をしましょう、
と言って、

地図の×を書いた場所へ薩摩藩士をともなって行き、補強の方法を教えて、誰が何を言っても無視してこの方法をとりなされと言うと、承知しましたと言うので、平田にこの方法は×の、
書き込んである場所は必ずやるのですと言って地図を渡すと、承知しましたと言うので、決壊の補修工事はそのままやりなされ、問題は関止めの場所です、そこでも指南しましょうと言、
って、

現場に行き関を作る方法を言うと、それでは水は漏れますがと言うので、理由を話すとなるほどそう言う事ですかと言うので、これを近隣の百姓に悟られてはいけません、藩士は知らぬ、
顔をさせてください、文句等言うてはなりませんと言うと、ハイ、わかりましたと言ったのです、それがしを信用しなされば1年で完成します、この工法はだれが何を言うても変えては、
いけません、

かえれば1年では済まず、せっかく作った物は壊れてやりなおしになり、費用は莫大にかかります、いい加減な工事にみえますが、実は一番強固な物が出来るのです、幕府の役人や他の、
者の言う事は無視しなされ、本当の事を言うと薩摩藩士は納得しますが、近隣の百姓は手抜きを始めます、監視等できませんぞと言うと、承知しました味方さえ騙さめばならぬのです、
なと苦渋な顔をしたのです、

とりあえず近くの宿場の居酒屋で一献傾けましょうと連れて行き杯をかさねて、費用にこまったら名古屋の玄海屋の番頭に言いなされ、用意はしてあります、武士の面子は捨てるのです、
ぞと言うと、幕府はなぜこんなに足かせをするのですかと聞くので、この前薩摩に行き琉球との交易等の指南をして、蓄財が出来るようになったのが気にいらぬバカがいるのですよ新井、
には気をつけなされ、

尾張の幹部をたきつけて邪魔をするかもしれませぬ、挑発に乗ってはいけませぬ、平田殿は藩士と幕府、尾張の間にはさまれて大変でしょうが、病気になつたふりでもして逃げる事です、
と言ったのです、色々心配くださりかたじけない、薩摩もんは律儀ゆえ参りますよと苦笑いしたのです、後は平田殿おまかせしますぞと言うと馬に乗り尾張城下に戻ったのです、富蔵に、
資金は十分ある、

もし薩摩藩が資金にこまるような事あれば融通してくれ番頭、武士は商人には頭は下げられぬものじあ、総てわしの申しつけなのでと話しをするのじあと言うと、承知いたしましたと言、
ったのです、明日は江戸に帰るが富蔵宜しくなと言うと、おまかせくだされ、資材の調達も終わります、人足の手配は小頭共が集めに行っています、殿の仕事なので張り切っていますよ、
と言ったのです、

翌日は船にのり江戸に向ったのです、1日半で江戸に戻り金は玄海屋の蔵に入れてくれ、みんなご苦労じあった、これは今回の慰労金じあとみんなに10両づつ渡したのです、上陸すると、
伊衛門が楽しい旅でした、安部様に挨拶して明日玄海屋の船で小倉に戻ります、又お手伝いする事あらば連絡くだされというので、そういえば立会いはまだでしたなと言うと、村雨は、
読めませぬ、

死ぬ前までには分かるわかるかもしれませぬ、その時にお願いすると言うので、今お見せしましょう、この剣は夜昼は関係ないので御座ると言うと刀を抜き、2間離れて正面からみなされ、
と言って、振りかぶりえ~いと一気に振り下ろし目線の下で止めると、顔の場所の5寸の空気に立ての溝が出来光を発したのです、刀を納めてお分かりですかと言って真剣のみにて出来る、
技に御座ると言うと、

なる程あの5寸の間は空気を切り裂く程の速さがあるので御座るか、空気との摩擦にて稲光が出るので御座るな、示現流の達筋と同じで御座るが、全部を振りぬくのでは御座らぬ、全部を、
振りぬけば空気の乱れを起す事は出きず摩擦による稲妻はおこりませぬ、あの光で一瞬目がくらむのでござるといったのです、良いものを見せていただいた、到底それがしが及ぶところ、
ではごさらぬと笑うと、伊衛門は安部の屋敷に向ったのです、源三郎達は上屋敷に戻ると、

お玉とお春が出迎えたので、お玉やや子はと聞くと、つわりも終わりました順調ですと言うので、それは良かった、暫くは江戸じあと言うと、お疲れ様でした、おみなも元気そうじあ、
なと言うと、京都で土産を沢山買いました、後でお部屋にお持ちしますと言うと、それは楽しみじあなとお玉が言ったのです、御座所に入り江戸家老に長い間留守したが変わりないか、
と聞くと、

長の巡察お疲れ様にございます、何もなく平穏に御座いますと言うので、それは重畳じあ暫くは江戸にいるぞと言うと、承知しました出仕される、場合お知らせくだされと言うので、
わかった、少し出掛けてくるぞと言うと、屋敷を出て若狭屋に行くと、お律がお戻りなされませと言うので、隠居はと聞くと横浜の様子を見にいっています、4、5日で戻ると言いま、
したがと言うので、

そうか、後でおみながお律に土産を持って来ると言うていたぞと言うと、まあ、何をくださるのでしょうと喜んだのです、金寸は大変役にたったぞと言うと、それは良かったです旅、
でおみな殿は懐妊しましたと聞くので、さあ、それはわからんと笑って、店を出て居酒屋に行くと、おみちがいらっしゃい一人ですかと聞くので、金払いにだれか来るじあろうと言、
うと、

戸が空いて三蔵が入って来て、お戻りと聞いてきてみましたら、ここでしたかと言うので、まあ上がれというと、上がるとおみちが酌をして、三蔵さんでは、無理ですねと笑うので、
三蔵が殿の飲み代位、あっしが払うよと言うと、おおきにとおみちが笑ったのです、何か用かと聞くと、ハイ、新井白石が最近頻繁に尾張宗春様と会っているそうです、会う場所は、
吉原の花月楼だそうです、

吉原番所の同心の時田様が新之助の旦那に言ったそうで、殿が木曽川の工事に係わっていなさるので、知らせて来いと言われたので来たのです、花月楼と言えば平助の店じあなそこに、
宗春殿が好いた太夫でもいるのかと聞くと、ヘイ、村雨太夫という吉原でも売れっ子の女郎がいます、なんでも、元は西国の藩の藩士の娘とかで、家中の揉め事で父上がお亡くなりに、
なり、

江戸に出て来たそうです、母上が労咳にかかり、治療代の借金がかさみ女郎屋に身売りしたのだそうです、その後直ぐに母上はなくなったそうですと言うので、その西国の藩とはと聞、
くと、ヘイ、高鍋藩だそうですと言うので、苗字はわからぬかと聞くとそこまでは分かりません、平助さんなら知っているかも知れませんと言うので、村雨とは西国に良くあるいきな、
り大雨にになり前が見えなくなる事を言うのじあが、

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