第50話

文字数 2,717文字


源三郎江戸日記(弟四部)50

対馬屋が開発資金のことを言うと、それは又申し訳御座らぬというので、藩の台所も大変であろう、開発資金は十分に用意したので気にしなくても良いですぞと言うと、有難う御座る実は、
藩財政立て直しに頭を痛めていたのです、これで気が楽になりもうした、手伝える事あらばなんなりと助力します、申しつけくだされと言うので、そのうちロシアが南下してくるでしょう、
ここは我が国の西の砦に御座る、

逐一様子を教えてくだされと言うと、承知しましたと言うので、もしそうなればどうすればいいので御座るかと聞くので、一番いいのはエゲレスに牽制させますエゲレスは西洋でもロシア、
と争っています、シナにロシアが進出するのは嫌っていますので、これを利用するのです、今回の事があったら大いにエゲレスに貸しを作るのですと言うと、なる程、わかりました、シナ、
はロシアには何も出来ませぬ、

ウラジオと言うところを、割譲させられて、おおくのロシア人が入植していると聞いていますと言うので、源三郎が直ぐには来ないでしょうが、100年後にはわかりませんと言ったのです、
幕府に申請して大砲10門くらいは海岸に設置しなされと言ったのです、その大砲は幕府に言えば、下げ渡してくれますと言うと、承知しました幕府に、申請しますと言うので、蝦夷は、

伊達藩に言うて警備をさせています、蝦夷の稚内に大砲10門をそなえていますので、必ず許しが出るはずですと言ったのです、軍船につんである大砲はと聞くので、あれは秘密に御座る、
のでお渡しできないのです、あれを外国に作られると、もっと脅威になりますと言うと、そうですか、わかりもうしたと返事したのです、色々歓談して家老と藩主は帰っていったのです、

翌日は対馬を後にして博多に行き源蔵に会い、抜荷は洋銀の取引をして玄海屋に両替してくれるように頼んだのです、蝦夷の海産物、コンブ、フカヒレ、ハムを売っておる、絹、水晶細工、
錦鯉、金魚も入れよう、生きたまま運べるので珍しいので高値で売れるじあろうと言ったのです、ここには逗留しないが又江戸であおうと言うと、黒田藩と小倉藩に国境で揉め事がある、
そうなんじあ、

黒田藩の郡奉行が相手は親藩なので、幕府に訴えれば両方にもお咎めがあるやもしれんと言うておったと言うので、どんな揉め事なのだと言うと、まずは中へと言うので座敷に上がると、
地図を見せて、この小倉に流れている遠賀川と言うのがあるが、この上流の呼野と言うところがあり、この川が黒田藩と小倉藩の国境になっている、この呼野あたりが100年に一回位い、
流れが変わり、

一体が去年の大雨でこういうふうに流れが変わり、川を国境とする約100町分1000石が小倉側になってしまったそうだ、藩としては大した事はないが、この当たりの黒田藩側の村がその分、
収穫少なくなると言う事で、元の川の場所を国境とするように小倉藩に申し入れたそうじあが、昔から川が国境になっていると聞いてもらえぬそうじあ、この村は川の分と100町分が少な、
くなると言うわけなのじあよと言うので、

そうすると100年前は今の川の場所に、流れていたのじあろう、そのときはどうしたのじあと言うと、100年前は荒地だったそうで誰も文句言わなかったのじあろうと言うので、それでは、
元の場所に川を戻せば良いと言うと、どうやってと聞くので、多分この辺が塞がったのでここに流れこんだのだろう、ここを爆破してこちらを、塞げば川の跡があるので、そちらに川は、
うつるはずだなと言うと、

その工事を小倉藩は許さないじあろうと言うので、わしに何とかしろと言うわけじあなと言うと、まあ、そういう事じあと言うので、小倉に巡察に行くのでついでに調停してくるよと言、
うと、恩にきる、郡奉行とは懇意にしておるので喜んでくれるよと言うので、源蔵の頼みでは断れんなと笑ったのです、しかし小倉側の村にも何かお土産をやらねばならぬな、この辺、
には何かないのかと聞くと、

その直ぐ傍の呼野の南側には金と銅山があり、細川家が採掘を始めて家光公の時代には、大勢の人足がいて賑わっていたそうじあが、掘りつくしたのか、細川家が熊本に移封になり小笠、
原家が入封した時は閉山になっていたそうじあと言うので、そんな短期間で枯渇するわけはない、多分ガスか水が出てそれ以上は掘れなくなったのじあろう、何にか方法があるかも知れ、
ん調べてみようと言ったのです、

それではこれから小倉に行き巡察して明日現地に向かおうと言うと、わしと配下も同行しても良いかと言うので、5人程度なら良いぞと言うと、承知した山師をやっていた者もいる同行さ、
せようと言うので、ここに呼んできてくれ何か知っているかも知れんと言ったのです、源蔵が呼んでくると、三衛門と言いますというので、そなたは元武士かと聞くと、よくわかります、
ねと言うので、

右手にあるのは竹刀蛸じあろうと、山師も剣の修行をやるのかと聞くと、一応武士ですよと笑ったのです、先祖は細川藩の金堀衆でしたが奉行といざこざを起こし、お家を退散して浪人、
になり、私はそのひ孫に御座います、先祖は忍藩領の武蔵野の山で滑落してなくなったそうです、父は忍藩を退散して全国を旅したのですが、父はなくなり、わたしは福岡に流れ着き、
源蔵殿に拾うてもらったので御座いますと言うので、

呼野鉱山での揉め事じあなと言うと、どうしてそれをと言うので、細川家が熊本に移封された途端に閉山するとはおかしいではないかと言うと、父から聞いたはなしによりますと、採掘、
中にガスが出たので、一旦中止するように先祖が言うたのだそうですが、金山奉行はそのまま採掘を続けさせたそうなのです、ついに坑道が爆発して埋まり、その影響で水源を壊した、
らしく、

水びたしとなり、多くの人足が生き埋めになり取り残されたそうですが、助けようともしなかったので、先祖が口論の揚句奉行を切り殺したのだそうです、それで岩を爆破して多くを助、
けだしたのだそうです、それを聞いた重役は幕府に知れると改易になるかもしれないと、先祖を闇討ちにしょうとしたのだそうですが、辛くも藩を脱出して武蔵野の忍藩の友人を頼って、
行ったそうです、

そこで奉公する事になったので、細川家も忍藩は親藩なので手はだせなかったそうです、しかし滑落して金鉱山は発見できずに、父はお家を退散して全国の金鉱山を探して歩き回りました、
それがしも一緒に旅をしたのでが、父がなくなり、この博多に来て源蔵殿と知りおうたのですと言うので、そうなのか、因縁のある呼野だが同行してくれるかと聞くと、ハイ、一度行って、
みたいと思っていたのですと言ったのです、

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