第63話 鄙の怪異 〈9〉

文字数 4,231文字

「おまえだな? 受領(ずりょう)一家を殺したのは?」

 暫く誰も動く者はいなかった。
 川風が吹き過ぎて行くばかり。

「な、何を突然言い出す?」
 我に返って声を上げる成澄。
 有雪は犬飼の方を向くと訊いた。
「アヤツコ、この邑で最近続いた人死(・・・・・)は三人ではないだろう?」
「え?」
 吃驚する犬飼に、畳み掛けるように、
「受領一家の他に、もう一人、殺された者がいたはず」
 目を細めて、有雪はその姿形をすらすらと再現した。
「……歳は十七、八くらいか。ほっそりして、優しげな顔立ち。左の目の下に黒子があるな?」
さわ(・・)か!」
 思い当たって犬飼は叫んだ。
「それは、さわのことだな? 確かに、ひと月ほど前、その娘は死んだ。だが、あれは殺されたのではない、事故だった。さわは川に落ちて溺れ死んだのじゃ」
「いや、殺されたんだ。なあ、飛騨丸?」
 呼びかけた有雪の目を真っ直ぐに見返して、飛騨丸。
「その通りです、陰陽師様。
 さわは殺されたんだ、受領一家に」
 そして、あっさりと認めた。
「だから、さわの無念を晴らすために――俺自身の無念を晴らすために、俺が殺しました」


 両親が死んで身寄りのなかったさわは、今の受領が赴任してすぐ下働きとして雇われた。
 その野の花のような可憐さに受領が手をつけた。
 邸で働く者も、邑人たちも、そのことは知っていた。
 だが、誰も、口を出す者はいなかった。
 唯一、口を出せる者――奥方が最近になってそのことに気づき、悪いのは自分の夫なのに、誘惑したと詰って、折檻して、山へ捨てた。
 そのままならさわはそこで果てたかも知れない。
 助け出して介抱したのが飛騨丸だった。
 しかも、それは、ある意味、さわと飛騨丸にとって天の恵みであった。
 受領の邸に仕える二人はお互いを好きあっていたから。
 とはいえ、受領が目をかけている限り、夫婦(めおと)にはなれなかったのだ。
 これで遠慮なく一緒に暮らすことができるようになった。
 飛騨丸はさわを母の家に隠して養生させた。
 だが、幸せな日々は長くは続かなかった。
 その日、時間を見つけて、さわに会いに戻った飛騨丸は、受領の息子がさわを無理やり連れ出すのを目にした。

「すぐに私は後を追いかけました。山奥の川縁で資盛(すけもり)様はさわに言い寄った。『親父殿の女だったのだから、俺の相手もできるだろう?』と」
「なるほど。それで?」
 成澄が沈痛な声で質す。
「おまえが止めに入ったのだな?」
「いえ、違います。俺は引き返そうとしました。さわの居所が見つかって、所望された以上、もう仕方ありません。所詮、私たちは舎人の身ですから……」
 そう思って、諦めてその場を離れた時、飛騨丸はさわの声を聞いたのだ。
 きっぱりと拒絶するさわの声を。

 ―― お言葉でございますが、お相手できかねます。私は、今は飛騨丸の妻なれば。
 ―― 私は受領の嫡男だぞ? それでも嫌と言うか?

「資盛様は怒り狂いました。でも、さわはその手を掻い潜り逃げ出しました」

 ―― 受領の息子より牛飼いが良いとは、馬鹿な女じゃ!
 ―― お許し下さい! 私の腹にはややが…… 
 ―― こいつ……
 ―― いやっ! 触らないで! あっ?
 

「俺は、資盛様がさわを川へ突き落とすのをはっきりと見ました。
 すぐに、俺も飛び込んだのですが、上流の流れは早く、さわは見る見る流されて――」

「翌朝、下流で上がったさわの亡骸(なきがら)を俺も見たよ」
 静かな声でアヤツコが言った。
「集まった邑人たちが身寄りのない娘だと言っていたが……
 では、あの後、遺骸を引き取ったのはおまえだったのか、飛騨丸? 
 俺はてっきり、雇い主の受領かと思っていた」
「俺以外の誰が、あいつを弔ってやれましょう?」
 牛飼いは微笑んだように見えた。
「俺が埋めてやりました。山のもっと奥……
 今度こそ、俺しか知らない場所に……
 俺しか会いに行けない場所に……」

 風がまた吹き過ぎた。

「そ、それにしても――」
 検非遺使が烏帽子に手をやりながら呻いた。
どうやって(・・・・・)殺したのだ? 受領の殺し方はわかるが。
 先の二人、息子と奥方はまるで死に方が違っていたじゃないか?」
「いや、一緒さ」
 有雪が答える。
「実は、受領も含めて、三人とも同じもの(・・・・)で殺されたんだ」
 有雪は川縁りに続く夾竹桃(きょうちくとう)の並木を指差した。

「あれだ」

「!?」
 
 驚愕する検非遺使と犬飼。
 有雪は淡々とした声で説明した。

「夾竹桃は毒の木じゃ。
 河原で一人で飲み食いしていた息子に近づき、おまえ(・・・)は魚を焼くのを手伝った。
 その際、魚を突き刺したのが、夾竹桃の枝を削った〝串〟だった。
 串から染み出した毒の魚を食べ、息子は悶絶した」
「だっ、だが、奥方は?」
「奥方は魚など食べた気配はなかったぞ?」
 口々に問う二人に、
「毒の使い方は色々ある。おまえたちも憶えているだろう? ほら、奥方の室にあった〝伏せ籠〟を」
「あ!」
「あれか?」
 尤も、伏せ籠は貴人宅なら何処にでもある生活必需品である。
 伏せておいて上に衣類を掛ける。籠の中には香炉や火鉢を置いて、香を焚き染めたり、暖めたりするのだ。
おまえ(・・・)は人目を盗んで奥方の室へ忍び込み、伏せ籠の火鉢に夾竹桃の串を入れておいた。
 香と一緒に燃えた串は毒の煙を燻り出した。閉め切った室でそれを吸って、奥方は絶命したのだ」
 有雪は続けた。
「そして、最後に、受領の番が来た。あの仏間にも香炉があった……」
 頷く牛飼い童。
「その通りです。俺は最初、受領様も奥方同様、香炉に串を仕込もうと思っていたのです。でも」
「でも?」
「実際、邸に侵入して、その姿を目の当たりに見たら……激しい怒りが湧いて来て……
 気づいたら、喉に直接串を突き立てていました……」

「知らなかった。日頃、目にするこの木がそんな猛毒を持つ恐ろしい木だったとは……!」
 風に揺れる雪洞(ぼんぼり)のような可愛らしい花を隻眼で眺めやって、成澄は言うのだ。
「それにしても――おまえは、どうしてこの木が毒の木だと知っていたのだ?」
「それは」
 飛騨丸は薄く笑って答えた。
「牛飼いなら誰でも知っております。牛がこの木を食って狂死(くるいじに)する話が伝わっているんです。
 ですから、俺たち牛飼いは注意して、この木には牛を近づけないようにしています」
 飛騨丸は両手を差し出した。
「どうぞ、絡め取ってください。俺はもうこの世で思い残すことはない」
「おまえが、心優しい男だということは知っているよ」
 有雪は誰に言うともなく呟いた。
「あの子に、絵を描くための筆を、わざわざ枝を削って作ってやったのもおまえだろう?」
 熱心に絵を描いている少女を振り返って見つめる。
「おまえはそれには夾竹桃は使わなかった。ちゃんと別の木でこさえてやった」
「――」
「もしおまえが、復讐に目が眩んだだけの殺人鬼なら、迷わず検非違使に突き出せたものを。
 俺を、悩ませるなよ、飛騨丸」
 つくづくと息を吐いて橋下の陰陽師は頭を振った。
「そうだな、取り敢えず、さわを埋めた場所に、別れの言葉を言いに行って来いよ。
 おまえを絡め取るのはその後にしよう」
「え?」
「どうせ、これから行くつもりだったのだろう?」
 流石に飛騨丸はひどく驚いた。
「陰陽師というものは凄い! 何もかもお見通しなのですね!」
 それから、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。それでは、すぐ行って、戻ってまいります!」
 駆け出して行く牛飼い。その後ろ姿を見ながら成澄が堪えきれずに訊いた。
「何故だ? 何故、あの男が、大切な娘を埋めた場所へ行く途中だとわかったのだ?」
「知れたこと。魚を下げていたからな」
「だったら、余計、そんな場所へ行くとは思わないだろう?」
 目を剥く成澄。 
「埋葬地に生臭物(なまぐさもの)を供えるなど、聞いたことがない」
「それはおまえが都人だからさ」
「え?」
「鄙ではなあ、亡くなった者を埋めた場所に、敢えて魚――生臭物を供える習慣がある。
 成仏させないためにさ。特に、赤ん坊が死んだ時、それをやるな。
 この世で充分に生きられなかった命が、またすぐ帰って来ることを望んで」
 有雪はポツンと言い添えた。
「……悲しい習俗じゃ」
 思い出したように犬飼も頷いた。
「さわの腹にはややがいたのだったなあ……」
「これで、おまえの犬の死んだ理由もわかったろう?」
 やや明るい声で有雪は指摘した。
「おまえの犬は山に分け入って、飛騨丸がさわに捧げた魚を食ったのだろうよ」
「あ!」
 犬に生魚は禁物である。
「さあて、全ての謎が明らかになったから、俺はここを去るとしよう。
 達者でな、アヤツコ! また会おう!」
 すたすたと歩き出す有雪だった。
「って、飛騨丸を待たないのか? 戻ってから絡め取ると言ってたじゃないか?」
「それは検非遺使の役目じゃ。俺ではなく、検非違使に問え」
「俺? 俺か?」
 突然、名指しされて成澄は大いに慌てた。
「え? ええと…… そう! 俺も今回は検非遺使ではなく、ナリユキであった! 
 し、師匠に遅れるわけにはいかない。では、さらばだ、アヤツコ!」
 一目散に駆け出す成澄。
「おう! 二人とも、道中、気をつけて帰れよ!」
 気を取り直して犬飼はちぎれるように手を振る。
 有雪は一度だけ振り返った。
 川縁りに佇んで、いつまでも見送っている幼馴染と、その傍へやって来て、同じように手を振っている少女が見えた。
 だが、村に入って以来、あれほどつきまとって離れなかった()の姿はもはや何処にも見えなかった。

 ―― この決着のつけ方で満足か、さわさん?

「……本当に呪い殺されてはたまらんからな」
「どうした、何を見ている? 何か変わったものでも見えるのか?」
「おまえは黙っていろ、ナリユキ」
 いつの間にか、白い烏が肩に戻って来ていた。


          
          ――――   了   ――――


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