第72話 呪術師 〈2〉

文字数 3,177文字

「マヤカシをご覧になりたい御方は直ちにお帰りを願いましょう! 我が名はアシタバ。真実の呪術師。そして、この私がこれからお見せするのは真実の術! 森羅万象、轟き渡る神通力とはまさにこれなり!」
 中央に進み出たのはまだ年若い人物。目元の涼しい美男である。
 先刻の娘と良く似た赤い髪を布でグルグル巻いている。上半身は裸で肩から鮮やかな彩りの布をすっぽりと被り、下肢は袋のようにゆったりした袴。
 異国風の装束に身を包んだ男は声を張り上げた。
「思いは力になる! 何事も強く願えば力となって作用する! それが私の言う〈念〉である!」
「口上はもういい!」
「聞き飽きたぞ!」
「早く、その〈真実の術〉とやらを見せろ!」
 待ちかねた観衆から声が上がった。
「されば――我が強き思い……〈念〉でモノを動かしてごらんにいれよう!」
 沸き立つ群衆をアシタバは一瞥した。
「そこの御方、貴方だ。どうぞこちらへ」
 さっき声を上げた男を呼び寄せると、
「私の〈念〉で動かしてもらいたいものは何かな?」
「そ、そう言われても」
 いきなり指名されて男は狼狽した。
「鳥目はお持ちか?」 ※鳥目=貨幣、銭
「うむ、そのくらい持っておる」
「ならば、お貸しください」
 男は懐から巾着を取り出すと、鳥目を一枚、摘んで呪術師に渡した。
 掌に包んで呪を唱えだす。
「オーン、オーン、オーン」
 不可思議な音調が場を満たす。
「……キエーーイ!」
 奇声一声、アシタバはさっと腕を伸ばした。
 その指は人垣の一番外側、様子を覗こうと子供が攀じ乗っていた木箱を指している。
「ご覧あれ!」
 慌てて周囲の人間が子供を下ろして覗き込む。
「あ!」
 紛れもない。箱の中に鳥目が1枚入っていた。
「信じられない!」
「いつの間に移動したんだ?」
「一瞬だったぞ?」
 勿論、かざしたアシタバの両手から鳥目は消えている。
「さて、次は何がよろしいか? あなたか?」
 時を置かず空になった手でアシタバは一人の女を傍らへ引き寄せた。
「失礼はこの際、お許しを。暫し、その腰紐をお貸し願いたい」
「まあ!」
 頬を染めつつも女は(うちぎ)の紐を解いて手渡した。
 鳥目の時と同様にその紐を両手の中に練り込むように包むと呪を唱えだす呪術師。
「オーン、オーン、オーン……」
 やがて――
「キェエーーーイ!」
 今度アシタバが指し示したのは、背後の伏せた籠だった。
 またしても、近くにいた観客が何人か駆け寄って籠を持ち上げた。
「あ!」
「あったぞ!」
 言葉通り、地面には女が解いたばかりの紐が出現していた。
「おおーーー!」
 観衆のどよめきは、すぐに、やんやの喝采に変わった。
「凄い!」
「よし、次は俺じゃ!」
「いや、私――」
「俺のこの(きれ)を動かして見せてくれ!」
「餅はどうじゃ? 食べ物も〈念〉で自在に移動できるのか?」



「そもそも呪術、妖術と称される外術(げじゅつ)の歴史は古い……」
 その夜の一条堀川の田楽屋敷。
 夕餉の座敷で早速、博覧強記の陰陽師・有雪は講釈を垂れた。
「今を去ること2千年の昔。金字塔の墓を有す古代の王国のとある村の洞窟の壁画に、〈盃と玉〉の術を見せる2人の男が描かれている。コレが最も古い外術の記録だろう。もう少し時代が下って草の紙に、王の前でガチョウを切って、また繋げて見せた外術師のことが記されている」
「ほう! そりゃ凄い!」
 率直に驚きの声をあげる検非遺使尉(けびいしのじょう)。心底羨ましそうに目を細めた。 
「その外術、俺も見たかったな!」
「哲学者や歴史家、そして幾何学を生んだ西の国では外術師は〈小石を使う者〉とか〈盃を使う者〉と呼ばれたそうな。我が国へは平城京に都が置かれた頃、仏教と共に伝来した。散楽雑技がそれさ。〈火を噴く術〉や〈剣を飲む術〉等々、歌や曲芸の合間に帝の前で余興として演じられた……」
 橋下の陰陽師は得々として話を締め括った。
「まあ、そんなわけだから俺に言わせれば、今日のアレも児戯に等しい。何が〈最高の呪術〉だ。ありゃ古くからの焼き直しもいいところさ」
「よせよ、有雪」
 恋する婆沙(ばさら)丸は露骨に嫌な顔をした。思い人の兄を愚弄されては黙っておけない。
「おまえこそいつもながらの虚勢に聞こえるぞ、見苦しい!」
「虚勢ではない、あんな術なら俺にもできる」
「嘘つけ!」
「嘘なものか」
「ならば」
 やりあう婆沙丸と有雪の間に狂乱丸が割って入った。
「あの不可思議な〈念〉を用いた呪術、おまえもここでやって見せろよ、有雪?」
「お安い御用だ!」
 橋下の陰陽師は周囲を見回すと、酒瓶の上で目を留めた。
 その実、ぞっとするほどの玲瓏な眼差し。女人なら文句なく心を動かされたろう。だが、この場合は動かすべきは〝女心〟ではなくて〝物〟である。
「婆沙、ソレをこちらへ」
 言われたとおり婆沙丸は酒瓶を有雪に渡した。
 白衣から取り出した薄汚れた巾にそれを包むとなにやら口の中で呟く。
「×○△▽∵↺……エイヤアッ!」
「ひえ!」
 突然の大音声に仰け反った婆沙丸。白烏(しろからす)の方は慣れたものでピクリともせず肩に留まっている。
 有雪がパッと巾をはらうと、酒瓶は消えていた。
 無造作に縁の方へ腕を伸ばして、
「あっちじゃ! 見て来い、婆沙!」
「?」
 渋々腰を上げて座敷から出て行った婆沙丸。時を置かず、縁で叫び声があがった。
「うわっ?」
「どうした、婆沙?」
 大刀を引っ掴んで立ち上げる成澄。そこへ田楽師は酒瓶を摘んで戻って来た。
「あったのか? そこ(・ ・)に?」
「ああ」
「どうじゃ?」
 勝ち誇って有雪は胸を逸らせた。
「言った通り、こんなことは簡単なこと! この有雪様にかかっては造作もない」
「おい、婆沙、それは本当に同じ酒瓶か? 違ったところはないのか?」
 疑り深い兄の田楽師は確認した。
「あ、そういえば、一つだけ違った点(・ ・ ・ ・)がある――」
 婆沙丸は酒瓶を逆さにひっくり返した。
「中身がない。これは空じゃ!」
 陰陽師の呵呵(カカ)笑う声が座敷に響き渡った。
「なんの。酒は別のところに移動しておる。俺の臓腑じゃ。当然だろう? この術の披露代というわけさ!」
「それにしても、信じられぬ!」
 唯唯首を振る屈強の検非遺使だった。
「ならば、もう1度、今度はおまえが試してみるか、どうじゃ、狂乱丸?」
 有雪に水を向けられて、狂乱丸は即座に頷いた。
「いいとも!」
 さて、兄の田楽師は射千玉(ぬばたま)の髪を揺らして頭を廻らせた。
 同じ色、漆黒の闇に滲む菖蒲の花。裸足で庭に飛び降りると一輪摘んで戻って来た。
「これを何処へなりとも移動させてみろ、有雪」
「フフン」
 不適な笑みを浮かべると有雪はさっきの巾でその花を包んだ。
 再び何やらブツブツと口の中で呟くと、
「えいいやああー!」
 勢い良く払った巾の中に花はない。
「ど、何処だ?」
「花は何処へ行った?」
 有雪はニヤニヤして、
判官(ほうがん)殿の逞しい胸元を探ってみろ」
「!」
 勿論、直ちに飛びつく狂乱丸。
「うわっ、たっ、くすぐったい、馬鹿、やめろ、狂乱丸!」
「動くな、成澄!」
「やめろ、そんなとこ探ったって無理じゃ。俺は持ってない――」
「あ!」
 果たして。
 その日は非番で狩衣姿だった検非遺使の、その青鈍(あおにび)色の懐から菖蒲の花が出現したではないか……!
「――」
 水を打ったように音を失くす座敷。
 その静寂を破ったのは誰あろう、有雪自身だった。
「もうこのくらいでいいだろう。種を明かしてやるよ!」



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