第65話 夏越しの祭り 〈2〉

文字数 2,008文字

「さても、さても……」

 検非遺使が連れ込まれた(むら)の周囲を隈なく歩き回って、つぶさに観察する有雪だった。
 そこは何処にでも見られる、ありふれた、平和な田舎の風景である。
 開けた土地は水が引かれて稲田になっている。
 田植えも済み、目の届く限り青々とした苗の葉先が風に揺れていた。
 豊かな田圃の合間に、こちらに四、五軒、あちらに二、三軒と、鄙びた家々が並ぶ。
 目を引いたのは、こんもりと木々に覆われた小高い丘だ。
「ふーん……?」
 
 早速、登ってみた。

 途中、膝を折って有雪は地面に耳を当てた。
「?」
 起き上がると、(たもと)を探って、取り出したのは勾玉である。
 虎眼石。真ん中に穴が穿ってあって紐が結んである。
 それを振り子のように揺らしながら再び丘を登り始めた――

 丘の天辺は開けた平地になっていた。
「ほほう! こういう場所を〝天狗の集会所〟と言うんだな。おや?」
 ちょうど真ん中辺りに丸い大きな井戸があった。
 直径にして二十尺はありそうな古い石組みの井戸である。 ※二十尺=約3m
 しっかりと蓋が閉じられている。
 蓋は何枚かに分割された木の板だ。
 これなら、一枚板よりも軽くて、順番に開けていけばいいのだから一人でも楽だろう。また、人数がいれば素早く開け閉めできる。
 改めて頭を上げて四方を見廻すと、井戸を取り巻くようにして茂っている周囲の木々に細い注連縄らしきものが張り巡らされていた。

「――……」


 



 コツン……

 投げ入れられた(つぶて)
 成澄は起き上がった。
 騒動の後で疲れたと見える。つい、うたた寝をしていた。
 「?」
 見ると、いつの間にか眼前に白装束の陰陽師。
「一人か? 娘はどうした?」
「夕餉の支度かな。それより――よくここがわかったな?」
「俺を誰と心得る? 当代一の陰陽師である」
 お決まりの台詞を吐いてから、
「それはともかく、さあ、今の内に逃げよう。こんな処、長居は無用じゃ」
 袖を引くが、検非遺使は岩のごとく動かなかった。
「どうした?」
「俺はここに残る。祭りが終わるまで、代役を務めることにしたのだ」
「この馬鹿! もう娘に(ほだ)されたな?」
 見れば、掴んだ検非遺使の袖の装束が違っている。こざっぱりした蝉の羽色の水干。
 引き摺り回されてドロドロになった装束を脱がせて、娘が兄のものと着替えさせてくれたのだろう。
「そうは言うがよ、可哀想ではないか」
 座り直して、成澄は言うのだ。
「このままでは、祭りが済むまで、あの子はこの郷内で立つ瀬がないのだぞ? 
 俺で務まるなら、身代わりくらいなんてことはないさ!」
「おまえの人の良さには呆れるばかりじゃ」
 有雪は歯噛みした。
「だが、言い争いは邑を出てからでいい。とにかく、今は、一刻も早くここを去ろう」
「何故?」
「……嫌な予感がする」
「ブハッ!」
 成澄は笑い飛ばした。
「安心したぞ! おまえの占いや予言は当たった試しがないものな! おまえが『ここは安全だ』と言ったなら、俺は、即刻、逃げ出したろうがよ!」
 大いにからかった後で、
「おまえは先に例の温泉で待っていてくれ。
 夏越しの祭りは明後日だそうだから、終わり次第、追いかけるよ」
 そうだ、と思い出して、検非遺使は尋ねた。
「俺のあれ(・・)衛門太刀(えもんのたち)はおまえが持っているんだよな?」
 昼の街道で、鄙人に襲われた時、咄嗟に成澄はそれを有雪に投げ渡したのだ。
 取り上げられるのを憂慮したと言うより、鄙人たちが触れて怪我をしないかと、そのことを慮った。
 この男はそういう男だった。
「ああ、俺が預かっている。ほら」
 有雪はクルッと反転して、背中に差したそれを見せた。
「良かった! では、それで、俺が追いつくまでは、何かあったら、自分の身は自分で守れよ?」
「俺は陰陽師じゃ。こんな武具がなくても己の身くらい守れるわ!」
「シッ!」
 土間の方で音がした。娘が帰って来た気配。
 慌てて成澄は手を振った。
「おっと! カサネに見つからない内に早くゆけ!」
「カサネと言うのか、あの娘?」
「おう。可愛らしい名だろう? 見た目とよう合っておる。フフ」
「……」

 縁から摺り抜けて、外の暗がりに戻ってから、橋下の陰陽師は悪罵した。
「あーあ! ここ(・・)で殺されるか、それとも、京師(みやこ)に戻ってから、狂乱丸に殺されるか、せめて選ばせるべきだったな?」

 ―― 死に方としちゃあ、おまえ、どっちを取る? 成澄よ?



 

 夜半、月が陰った。

「!」
 今は片目を布で塞いで隻眼の身とはいえ、寝所に忍び込んだ人の気配に成澄は跳ね起きた。
「誰だっ? 何者?」
「あ、私です」
「おまえ? ……カサネか?」


 
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