第8話 星祭り 〈2〉

文字数 5,476文字

 双子は代わる代わる少年に詰め寄った。
「言え! 何故あのような真似をした?」
「お、お許し下さい! 他意はありませんでした……」
 少年は両手を突いて涙声で釈明した。
「私はとある寺から逃げて来た牛飼い童です。こき使われるばかりで食事も満足に与えられず文句を言えば打擲の嵐……あまりの扱いに耐えかねて逃げ出したまでは良かったのですが、行く宛のない身。それで、この辺りに野宿していたところ聞こえた来た美しい歌声についフラフラと……」
 自分は何より歌うことが好きなのだ、と少年は言う。
「最初はうっとりと聞き惚れていたのですが、『茨小木の下にこそ』など聞いては、もうどうにも堪りません。思わず一緒に歌ってしまった。どうか、どうかお許しを! この通りです……!」
 額を床に擦りつけてひたすら謝る少年だった。
 やがて、狂乱丸はヒラヒラと蝶のように白い手を振った。
「理由が知りたかったまでじゃ。これ以上責めるつもりはない。さあ、もう行け」
「おっと、忘れ物だぞ!」
 脱兎のごとく逃げ出した牛飼い童の背に、婆沙(ばさら)丸は約束通り水干を一着投げてやった。
 そうした後で、腕を組んで言う。
「ふん。橋下の陰陽師は〈熒惑(けいこく)星〉なんぞと抜かしたが──やはり、ただの人間だったな?」
「俺はそんな話、ハナから信じちゃいなかった」
 兄も憎々しげに舌打ちした。
「所詮、有雪はその程度の、口から出まかせの大法螺吹(おおぼらふき)き。似非(えせ)陰陽師さ」

 その大法螺吹きの似非陰陽師を伴って、夜明けも早々に中原成澄は田楽屋敷を発って行った。
 どうにも面白くないのは置き去りにされた田楽師兄弟である。
 特に兄の狂乱丸、日頃から成澄を恋い慕っているから今にも全身から悋気の炎が吹き出しそうだ。
「よりによって、有雪なんぞを俺たちより(・・・・・)必要だとは、成澄も鈍ったものだ!」
「俺たちのこと『派手で目立つだけ』と言い切っていたものなぁ?」
 笑いを噛み殺しつつ弟は言う。内心大いに面白がっているのだ。
「あれはないよな? 俺はともかく兄者にまで。もしあれが成澄の本心なら、あんな薄情な奴は見限ったが良いぞ。兄者の贔屓は何もあの検非遺使だけじゃないんだから」
「おまえは黙ってろ!」
「ヒェッ」
 扇が飛んで来た。編木子(びんざさら)が飛んで来る前にからかうのはやめて婆沙丸は提案した。
「どうじゃ、兄者、ここは俺たちだけで成澄の鼻を明かしてやるってのは?」
「それよ! 俺もまさにそのことを思っていた……」
 以心伝心。双子の二人はいつも同じことを考える。
 今回は、自分たちだけで例の謎の言葉、〈かみのき〉の意味を解き明かそうと思い立ったのだ。
 天下の検非遺使に、〝派手で目立つだけ〟ではないことを大いに思い知らせてやろう。
「有雪は『現場を見ないと謎は解けない』と言ったが、果たしてそうだろうか?」
 狂乱丸、淡紅色の唇を舐めながら、
「俺は〈かみのき〉とは〈神の木〉……つまり、〈神木〉と見た」
 婆沙丸、射千玉(ぬばたま)の垂髪を揺らして、
「なるほど! 〈神木〉ならば〈神社〉と決まっている……!」
 そういうわけで、先回りして、京師(みやこ)中の神木で聞こえた神社を巡ってみようと言うことで兄弟の意見は一致した。
「お待ちを!」
「?」
 庭から声がする。
 襖を開けて覗くと、濡れ縁の下に昨日の牛飼い童が膝を揃えて(かしこ)まっていた。
「ぜひ、私もお伴させてください。必ずやお役に立ちましょう!」
 狂乱丸は呆れ顔で笑った。
「よせよ、俺たちは牛車など持たぬ田楽師だぞ? 牛飼い童など不要じゃ」
「あ、牛飼いには拘りません」
 行き場のない身。身の回りの世話をする従者になりたいと少年は願い出た。
 昨夜もらった水干を着たその姿は中々臈たけて見えた。元より声の方は確認済みだし、狂乱丸も婆沙丸も弟子にしてもいい、と内心思った。

 実際、三人は三兄弟に見えた。
 燕が飛び交う六月の都大路を美しい三人連れは菖蒲、杜若(かきつばた)、鉄線花の袖を閃かせて渡って行く。
 雅に慣れた都人も思わず振り返って、夢幻の類ではないかと童形の青の道行(みちゆき)にうっとりと見蕩れたものである。

 時間が早いせいか、はたまた、流石に調べ尽くした感があるのか、(くだん)の屋敷にこの朝、成澄と有雪以外人影はなかった。
 皇子一行が方違(かたたが)えに選んだだけあってそこは豪壮な一町屋である。 ※一町は約120m四方の広さ
 四足門を入ると典型的な寝殿造り。寝殿を挟んでコの字型に東西の対屋(たいのや)が張り出している。遣水(やりみず)を引いた池には泉殿、釣殿も整えられていて南側の庭園も見事である。
 とはいえ、特別変わった処は見受けられない。
「この屋敷の中に皇子の居場所を知らせる〈印〉があると、命に変えて長衡殿は言い残したのだ」
 成澄は急き立てた。
「俺はもう何度も巡ってみたが、有雪、おまえは今日が初めてだ。存分に探って見てくれ。そも、長衡殿が臨終(いまわ)の際に残した〈かみのき〉とは何を意味するのか? 〈かみのき〉に〈印〉が隠されていると考えるのが妥当だと俺は思うが、おまえはどう思う?」
「うむ……」
「おい、なんなら──その鳥(・・・)は俺が預かるぞ?」
 橋下の陰陽師がいつも肩に留まらせている白い(カラス)のことを検非遺使は言ったのである。
 これには、有雪よりも烏のほうが吃驚して羽をバタつかせた。

「一口に神木(・・)と言っても……限りがないものだな?」
 陽は中天に近い。
 午前中いっぱい、これで幾つ目の神社だろう?
 意気込んで出て来たものの狂乱・婆沙(ばさら)の兄弟も流石に疲れ果てた。
 ここは五条と西洞院の交わる辺り。緑濃い森の中にある神社の一隅。
 神木ではないがそれなりに立派な(つき)の大樹の根元に腰を下ろして一息ついている最中だ。
「もう十は神社を見て歩いたが──さっぱりだな?」
 額の汗を拭いながら婆沙丸がぼやいた。
「やっぱり〈かみのき〉即、〈神木〉というほど単純なはずないのではないか? その程度の謎なら誰でも容易(たやす)く読み解くぞ?」
「だが、実際、神社は人を隠すには都合の良い場所だぞ」
 兄は譲らなかった。
(やしろ)の中に誰か隠れていても畏れ多くて滅多に人が開けたりしないだろう? 繁繁と覗かれる心配もないし」
「そうは言っても、今までのところ誰か隠れている(・・・・・・・)気配のあった社などなかったじゃないか」
 一人だけ元気な元牛飼い童の少年、竹筒を掲げて駆け戻って来た。
「どうぞ、水を」
「おお!」
 険悪な空気が一変した。竹筒を受け取りながら満面の笑顔で婆沙丸、
「気が利くな、熒惑(けいこく)丸!」
 狂乱丸も笑った。
「ところで、おまえ、本名は何と言うのだ?」
「本当の名は逃亡の際、捨てました。ですから、その熒惑丸(・・・)で結構です」
「……美味い!」
 竹筒の水を喉を鳴らして飲みながら婆沙丸が叫ぶ。
 悋気心はともかく、こういうことには冷静な兄は殊更不思議がりもぜす、
「ここは元々水神を祀った神社だからな。良い水流の地に立っているのさ」
 一方、感動屋の弟は訊かずにはいられなかった。
「おい、熒惑丸、こんな美味い水、何処で汲んで来た?」
「あそこ──」
 熒惑丸(・・・)は振り返ってその方角を指さした。
調御倉(つきのみくら)の陰に清水が湧いておりました」
「ほう? あの社はそう言う名か? つきのみくら(・・・・・・)とは……」
 婆沙丸は目を細めた。
「お月様の宝物(ほうもつ)でも入れてあるのかな? ぜひ一目見てみたいたいものじゃ!」
「やれやれ」
 兄は微苦笑した。
 側に落ちていた木の枝を拾うと地面をなぞりながら教える。
つきのみくら(・・・・・・)とはこう書くのよ。調御倉(・・・)調(つき)とは稲や穀物……要するに神に供する貢物を保管する倉という意味じゃ」
「チェッ、同じ日に生まれたというのに」
 珍しくしんみりした口調で婆沙丸は言った。
「兄者に比べて俺はどうしてこう(うつ)け者なんだ?」
 左小指の赤い珠を繋いだ指輪を撫でながら、
「そのせいでいつも面倒を起こす。こんなバカな弟で悪かったな?」
 何を隠そう、この指輪こそ瓜二つの兄弟を識別する唯一の物なのだが──その経緯(いきさつ)はまた別の物語。
「いや、待て! 悪くない(・・・・)!」
 今経っても自分が書いた地面の字を凝視しながら狂乱丸が叫んだ。
「むしろそのバカさ(・・・)……大いに役に立った! 」
「え?」
「今度こそ、〈かみのき〉の謎、解いたり!」

「どうした、有雪? まだ解けんのか?」
 とうとう検非違使は焦れて露骨にこぼし始めた。
「おまえが日頃吹聴している知恵や博識に期待して連れて来たというのに。やっぱりあれは双子たちの言う通り大法螺だったのか?」
「まあ、待て。例の平氏に声をかけられたのがここ(・・)だと言ったな?」
 結局、広い屋敷を一廻りして主殿の月次屏風(つきなみびょうぶ)の前に戻って来た二人だった。
「おまえが立っていたのか? それとも先に平氏がここにいたのか?」
「さあ、どうだったかな?」
 思い出そうとして首を捻ってから、成澄は突如色めき立った。
「おい、すると、やはり? この屏風(・・・・)が〈印〉と何か関わりがあると?」
「おまえたちはどの辺りに立っていた?」
「ここだな。ほら、ちょうど書き留められた歌の辺り」
 成澄が指し示したのは七月。唐衣裳装束の姫君が描かれてあった。
 

  絵自体は別段、何の変哲もない──
「……そうか!」
 いきなり陰陽師の大音声。肩の白烏が驚いて飛び去りかけた。
「ど、どうした、有雪?」
この絵じゃ(・・・・・)! よく見ろ、成澄。七月の姫君の(まと)っている一二単の……この御衣の文様(・・・・・・・)を何と見る?」
 促されて、成澄は改めて屏風の絵を凝視した。
「これは──〈梶の葉〉(もん)?」
「その通り! では再び聞くぞ。この姫の名は何と言う?」
「いや、俺は……」
 検非遺使は烏帽子に手をやった。動揺したり困惑した時見せるこの男の癖である。
「俺は知らない。俺の見知っている姫ではないな?」
「馬鹿か? 誰がおまえの懸想している姫の名を明かせと言った? これだから検非遺使は〝容貌第一〟と揶揄されるのだ」
 今度焦れて声を荒らげるのは巷の陰陽師だった。
「聞き方を変えよう。いいか? これは月次屏風だ。その七月に描かれている姫と言ったら、名は何だ?」
「……織姫(おりひめ)?」
「当たり! この姫は織姫……織女星じゃ! ところで、その織女星のことを別名〈梶の葉姫〉とも言うのだ」 
 有雪は言う。
 月次屏風の七月に描かれた姫は織女星(・・・)で言わずもがな〈七夕〉を表している。
 〈七夕〉はもともとは中国の五節句の一つ、〈乞巧奠(きこうでん)〉が奈良時代の宮廷儀式に取り入れられ今では民間にも広く定着した行事となった。
 この七夕、古くは梶の葉に歌を記して祝った。
 それ故、織女星を梶の葉姫(・・・・・・・・)とも呼ぶのだ(・・・・・)
「庭へ行こう、成澄! 庭に梶の木(・・・)はなかったか?」

 果たして、広大な庭園の、池の築山の向こうに堂々たる梶の木が植わっていた。
「さてもさても……」
 幹に手を置いて満足げに見上げる橋下の陰陽師。
 検非違使が追いついた時、東門から息急き切って駆け込んで来たのは双子の田楽師とその従者だった。
 濃き薄き青から紫の水干の袖が夏の日盛りの陽光に煌めいて、宛ら、天から零れ落ちた星の子たちのよう……
「成澄──っ!」
「おう、おまえたち……どうした?」
「〈かみのき〉の謎を解いたのじゃ! それを知らせたくて──」
「五条から駆けに駆けて……やって来たぞ……!」
「それはそれはご苦労なこった。だが、こっちも解いたぞ」
 大樹の下でしたり顔の有雪。
「あ! それじゃ(・・・・)、梶の木! 梶の木のまたの名は〈紙の木〉だものな?」
 古来、梶の木の若枝の皮で紙を産したので、この名がある。
「だから、あの検非違使が死に際に残した『かみのき』とは、かみ(・・)かみ(・・)でも〈神の木〉ではなくて〈紙の木〉なのだ……!」
 〈調御倉(つきのみくら)〉を〈月の御倉〉と婆沙(ばさら)丸が取り違えたように、言葉は音で聞いただけではわからない。そのことに気づいて〈かみ〉を様々当て嵌めて、紙の木(・・・)梶の木(・・・)に行き着いた狂乱丸だった。
「梶の木ならば、何も神社を探す必要はない。もし屋敷内にその木があれば、そこにこそ何らかの〈印〉が隠されているはずと悟ったのさ!」

 ひとあたり幹や根元や(うろ)を探ったが何も見つからなかった。
 長駆を反らせて、見上げて成澄が言う。
「残るは上──枝か?」
「さもありなん」
 有雪は含み笑いをして、
「何しろ、〈七夕〉……梶の葉姫とくれば……やはり〈印〉は枝に吊るして(・・・・・・)あろう」

 
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