第49話 眠り姫 〈6〉

文字数 2,367文字

「ハークション!」
「何だ、まだ治らんのか?」
「どうもなあ……」
 件の豪奢な廃屋。
 〈玉〉の入手は、蔵人所陰陽師・布留佳樹が引き受けた。
 成澄と有雪はその間、布留に代わって身辺警護ということで姫の眠る御帳台の傍に詰めているのだ。
 頻りに鼻ばかりかんでいる有雪。
 片や、暇を持て余して成澄が訊いた。
「そういえばさ、おまえは犬と猫、どっちが好きだ?」
「なんじゃ、唐突に? 」
 驚いたものの、頬を掻きながら有雪は答えた。
「まあ、強いて言えば犬かな。猫のことはよく知らぬ。近くで見たことがないからな。
 おまえも、犬だろう?」
「それが、そうとばかりも言えぬ。父親の話を聞いて育ったからな。
 今はそれほどでもないが、昔は京師(みやこ)中、野犬が徘徊してたろう?
 しょっちゅう〈犬狩り〉に駆り出されて親父殿は閉口してたからな」
「犬狩り、か……」
 橋下の陰陽師の玲瓏な顔に何やら微かな翳が奔ったのだが、検非遺使は気づかなかった。
「ところでさ、狂乱丸が、おっかないことを言うのだ。猫は懐かない、愛するだけとか──」
 刹那、大刀の柄を掴んで身構える成澄。
「誰だ!」
「キャッ!」
 縁の簀子に腰を着いたのは唐衣(からぎぬ)装束の女人──女房だった。
「お助けを! 怪しい者ではありません。わ、私は姫様にお使えする者……」
「お、これは失礼」
 成澄は慌てて衛門の太刀を納めた。


 女房は名を小郷と名乗った。
 姫が眠りに陥って以降も、目醒めた際は不自由がないよう、傍で世話をしているとのこと。
「帝の陰陽師であらせられる布留様が、こちらへ姫君をお移しになった後も、女房の我等、西の対屋(たいのや)に控えております。そして、一日に数度、ご様子を伺いに渡って来ています」
「そうだったのか。脅かして悪かったな?」
 成澄は率直に詫びた。
「あの、布留様は?」
「布留殿は、今、他所に行っている。姫君の覚醒のために索を嵩じて奔走しているのだ。
 我々は、代わりに姫を警護している」
 それを聞いて小郷は安心したようだ。
「姫君にお変わりはございませんか?」
「今のところ変わりはない。つまり──眠っておられる」
 小郷はため息をついた。
「そうですか。お眠りになっている姫君には、我等も近づかぬよう、布留様に言われております。
 では、私はこれで。また夕刻、参ります」
「あ、もし」
 去ろうとする女房を呼び止めたのは成澄だった。
「小郷殿と言われたか。今、暫し。
 貴殿は、常日頃、姫君の傍近く侍っておられぬのだな?」
「はい」
「姫が眠りに取り憑かれた前後のこと、できるだけ詳しく教えてくれ」
 こういうところ、やはり中原成澄は検非遺使であった。
 小郷は一瞬眉を寄せたものの、成澄の蛮絵装束を見つめて、こっくりと頷いた。
 こうして改めて見ると、姫と年端の変わらぬ、まだ少女といっていい風貌だ。
 きっと遊び相手として仕えているのだろう。
「何をお知りになりたいのでしょう、判官様?」
「突然、眠りに陥った、と聞くが、その日、姫には何か特別に変わったことはなかったかな?」
「特別に変わったこと?」
「姫の周囲でもいい。いつもと違ったことはありませんでしたか?」
「……」
 幼い女房は暫く考える風だった。
 やがて、顔を上げると
「いえ、別に。これといって変わったことはありませんでした」
「本当か?」
 念を押したのは有雪だった。
「わ、私が、偽りを申していると?」
 言葉とは裏腹に声は震えていた。
「いや、そうは言っておらぬ。気を悪くしたなら謝る、女房殿」
 慌てて成澄が間に入った。
「こやつは、ご覧の通り、巷の陰陽師だ。物言いが独特でな。何、悪気はないのだ。
 引き止めて悪かったな、もう行って良いぞ」
 女房は萌黄の(におい)の裾を引いて、滑るように渡殿を去って行った。
「ハークション!」
 またクシャミをする有雪。
「こりゃ、どうも、解せぬ……」
「日頃の不摂生のせいじゃないのか?」
「バカ、俺の……ハークション! ことじゃない。あの女房殿、何か隠しているぞ」
「え?」
 成澄が、女房の消えて行った西透廊(にしのすきろう)へ頭を巡らせた、まさにその瞬間、
 有雪が叫んだ。
「動くな、成澄!」
「何だ? ──うぁっ?」
 主殿、〈(ひさし)の間〉の奥。
 据え置かれている御帳台の横に〈眠り姫〉が立っていた。
 
 いつの間に(・・・・・)
 いや、そのことよりも──
 姫はパッチリと(・・・・・)両目を開けている(・・・・・・・・)……

「たま」
 姫の唇が動く。
「たまはどこじゃ?」
「──」
「のう? たまはいずこ?」
「ハッ」
 我に返って、成澄が答える。
「い、今、帝の陰陽師が捜しに行っております」
「ほんとう?」
「本当です。ですから、もう、暫くお待ち下さい」
「た……ま……」
 ゆっくりと瞼が閉じられて、姫はその場に崩折れた。


「ふぅ……」
 肩を揺らして成澄は大息を吐いた。
「な、何だったんだ、今のは?」
「一時、覚醒したのだろう。今までも時折、目を醒まして、食事などすると言っていたからな」
 有雪が言う。
「ほら、あれが、布留の言うところの〝半覚醒〟の状態なのだろうよ」
「どうする?」
 今、姫は完全に眠っているように見えた。
「取り敢えず──御帳台へ戻そう。
 やんごとない姫君を、床にあのままにしておくわけにもゆくまい?」
「だ、大丈夫か?」
 珍しく検非遺使が躊躇した。
「取り込まれないか? 眠っている姫(・・・・・・)に近づくのは危険なんだぞ?」
 大仰に橋下の陰陽師は頷いた。
「安心しろ、俺がついているから」

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