第99話 白と赤 〈1〉

文字数 1,842文字

         ☦


「見たな? 
 (わたし)を……見たな?」

「お……おお……!」
 
 喘ぎが白い息になる。
 凍れる夜の片隅。

「おまえは……人ではないな?
 なんということだ! 私は初めて見たぞ、こんな……」
「もう遅い」
「おお! その瞳……」
 
 戦慄は寒さのせいか? それとも、
 今、眼前に立つ、その存在(もの)のせい?

「さあ、おいで。
 もはや、逆らえぬ。吾が本性を見た者は、皆、思いのままじゃ」

「おまえ? そんな眼(・・・・)でこちらが見えるのか?」
「見えるとも。さあ――」

 差し出された手。
 その手もまた、初めて見る形骸(かたち)

「おいで。妾とともに」
「――」
 
 剥き出しのその手を男は震えながら掴んだ。
 そして、誘われるまま歩き出した。
 妖怪(あやかし)とともに真っ白い世界の中へ消えて行った。



         ☦
「待ちかねたぞ」
 
 門の前に影が一つ。
 豪奢な装束で一目でわかる。蔵人所(くらんどどころ)の陰陽師・布留佳樹(ふるよしき)だ。
 片や、こちらは薄汚れた白装束。無位無官の(ちまた)の陰陽師の有雪(ありゆき)。肩に止まらせた白烏に目配せして笑った。
「聞いたか? 光栄の極みだな! 俺風情(ふぜい)京師(みやこ)随一の陰陽師が出迎えるとはよ?」
 日頃尊大な有雪がこう言うのもむべなるかな。
 蔵人所の陰陽師は帝直属の陰陽師。その為〈帝の陰陽師〉とも形容される最高位の陰陽師なのだ。
 さて。
 導かれて入った座敷で巷の陰陽師は更に驚いた。
 大甕を満たす酒。いや、それよりも――
 中央に護摩壇(ごまだん)が設けられ、天井を焦がすほど囂囂(ごうごう)と燃え盛る火焔。その周囲で白衣の麗人たちが舞い乱れている。
 
(待てよ、この光景……)
 
 思わず有雪は呟いた。
 何処かで見た(・・・・・・)ことがあるぞ(・・・・・・)

「さあ、我が盃を受けよ、有雪」
「え? あ、ああ」
 布留佳樹に酌をされて一気に飲み干した有雪。だが、その目は中央で蠢いている白い舞人たちから離れない。
「おや? あいつ……?」
 一際(ひときわ)美しい乙女がいる。
 腰で揺蕩(たゆた)射千玉(ぬばたま)の黒髪、切れ長の目、柘榴のような唇。舞を舞うたびに華奢な腕に足先に揺れる白い――
 ぞっとするほど白い古風な装束。
 が、目を凝らしてよくよく見れば、何と言うことだ!?
 その雪のごとく真っ白な衣に点点と赤い染みがあるではないか……

「!」

 息を呑んだ有雪に佳樹の声が降る。
「気づいたな?」
 満足そうに頷いて帝の陰陽師は言った。
「安心したよ。この光景を見れば……おまえなら、わかってくれると思った」
「いや、待て。何のことだ? 俺にはまだ……」
 今一度、血の染みた白衣を纏った乙女に視線を戻す有雪。
 ここで、もう一つ、気づいた。
 
 (おや? あの顔は……誰かに似ている?)

「おい、佳樹、あそこにいるあれは――」
 確認しようと振り返った巷の陰陽師に帝の陰陽師は告げた。
「では、後は頼んだぞ、有雪」
「え?」
「後を託せるのはおまえ(・・・)だけだ。無念だが私はここまで」
 布留佳樹の顔が苦痛に歪む。
「すまぬ。だが、おまえ(・・・)がやり遂げてくれ」

「おい、佳樹?」



「おい、有雪!」

 突然、肩を掴んで揺さぶられた。

「起きろ、有雪!」
「?」
 
 饗宴の光景は霧散して、眼前には屈強な黒装束。衛門府官人、検非遺使尉(けびいしのじょう)の険しい顔があった。
「目が覚めたか、有雪?」
「と言うことは――俺は寝ていたのか?」
 見廻すといつもの自室、一条堀川の田楽屋敷だった。
 検非違使が飛び込んで来たそのままに、開け放たれた襖から暁闇がドロリと染み入っている。

「何も訊くな。ともかくすぐに俺と一緒に来てくれ!」
 口を引き結ぶ検非遺使・中原成澄(なかはらなりずみ)
「何かあったのか?」
「一大事だ」
「フン、まあいいさ」
 白い影が風を切って肩に舞い降りる。
 愛鳥ともども夜具から立ち上がるや有雪は(うそぶ)いた。
「嫌な夢だったからな。現実に戻れて良かった!」



「でもないか――」

 検非遺使・中原成澄が連れて行ったのは、夢と同じ帝の陰陽師、布留家の邸だった。






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