第27話 鳥の痕 〈2〉

文字数 3,079文字

 一条堀川の、通称、田楽屋敷。
 ここは元々は田楽新座を起こした犬王の住居だった。犬王亡き後、愛弟子で当代一と評判の双子の田楽師が引き継いだ。その座敷に、今、三枚の紙片を並べて、神妙な面持ちで歩き巫女は説明した。
  
 一枚目 鳥が木の上に止まっている
 二枚目 道の上を鳥が飛んでいる
 三枚目 向かって左に尖った針と四角い箱 左側に鳥


「最初の一枚が届けられたのは、今から十日ほど前。その時は別段気にもしなかった。でも、何か曰くがありそうで捨てずに取って置いたのじゃ。そうしたら、三日後にまた1枚。明らかに同じ(たぐい)の文様じゃろう? そうこうする内に、昨日、三枚目が来た」
 付け文にしてはちょっと毛色が違う、と巫女は首を傾げて、
「一体これは何を意味しているのだろう?」
「どういう経路でおまえさんのもとへ届いた?」
 あぐらをかいた膝の上に頬杖を突いて有雪が訊く。
「一枚目は童が持って来た。誰からと問う前に駆け去った。二枚目と三枚目は担いでいる(おい)の中に入っていた。気づかぬ間に忍ばせたと見える」
「ふむ?」
 有雪は紙片に視線を走らせた。肩に止まった白い(カラス)も主人同様、不可思議な文様を覗き込んでいるように見えた。
 一方、婆沙(ばさら)丸。居候の陰陽師の隣に座って腕を組んだまま動かない。
 この時、婆沙丸が考えていたのは紙片に描かれた文様の謎についてではなかった。
(何故、兄者ばかりモテるのだろう?)
 そろそろ気づかないわけにはいかなかった。双子でありながら、しかも、見た目は瓜二つなのに、いつもモテるのは兄の方なのだ。検非遺使の中原成澄はもちろんのこと、傍らの胡乱な橋下の陰陽師でさえ狂乱丸の方を気に入っている感がある。そうして、今だって──
 狂乱丸にノボせている歩き巫女は狂乱丸の不在を嘆くくせして、そっくりの(・・・・・)俺が目の前にいるのに全く平気らしい。
(これが俺じゃなく兄者だったら、頬の一つも染めるのだろうか?)
 婆沙丸の心の声が聞こえたかのように巫女がツイッと顔を上げた。
「ねえ、弟の君?」
「うわっ、たっ、はい!」
「狂乱丸様は留守とのこと。何処へ行かれたのじゃ?」
「あ? ああ、兄者?」
 少々焦って、ドギマギしつつ婆沙丸は答えた。何のことはない、頬を染めたのは自分の方だった。
「えーと、兄者は、そう、今日は朝から懇意の検非遺使と出かけているのさ」

 その懇意の検非遺使と狂乱丸は日の暮れる頃、一緒に田楽屋敷に戻って来た。
 日頃から慕ってやまない検非遺使尉(けびいしのじょう)と同道して、さぞや上機嫌と思いきや、狂乱丸の機嫌は最悪だった。検非遺使も座敷に入って(しとね)に腰を下ろすなりむっつりと押し黙ったままである。
「どうした、兄者? 成澄と喧嘩でもしたのか?」
 縁先で袖を掴んで引き止めて、婆沙丸が尋ねた。
「喧嘩ならまだましじゃ。それなら──仲直りすることができるものな」
 狂乱丸は吐き捨てた。
「全く、成澄の人の良さにはほとほと呆れる! 俺でさえ付き合いかねるというものじゃ!」
「と言うと? また何か面倒事を背負い込まされたのか?」
 鏡を覗くように婆沙丸は首を傾げた。その視線の先で美しい兄は浅紅色の唇を噛む。
 そうして、(おもむ)ろに語りだした。
「今日一日付き合ってくれと言うから、嬉々として同道した行き先は、味も素っ気もない使庁だった。果たして、そこで別当直々言うことには──」

          +

「最近、京師(みやこ)で、若い女が行方知れずになったという訴えが相次いでいる。年明けから数えて七人。流石にこのまま見過ごしにしてはおれぬ!」
 検非違使庁別当・藤原宗忠は苦々しげに唇を歪めた。
 『獄前の死人、訴えなくんば検断なし』と揶揄されたこの時代のこと。(たとえ、使庁の門前に死体が転がっていてもそれを訴える者がいない限り放って置く、の意)
 漸く重い腰を上げた王城の守護であった。
 検非遺使は古く嵯峨帝の御代に設置された。警察権と司法権を二つながら担う重職として代々武略軍略に秀でた左右衛門府官人が選抜されて来た。一方で、口さがない京雀たちには『容貌第一』と嘲罵されている。長駆端整な美丈夫が、多くこの役に就いたからである。
 蛮絵と呼ばれる獣文様の黒衣、これに(じょう)の位は純白の袴という凛々しいいでたち。同じく蛮絵を纏う近衛府と並び、院や帝の寵愛者を多数輩出したのもむべなるかな……
「今回、行方知れずになっているのはいずれも市井の娘たちである。普通に暮らしていたのに、ある日を境に忽然と姿が見えなくなる。そのせいで巷では『天狗の仕業』とか『神隠し』などと騒がれ始めた。
 だが、そんなはずはない! 悪事を働くのは大抵〈物怪〉ではなく〈人間〉である!」
 今回の七人の娘の失踪も、拉致や拐かしの類と使庁では見ていた。
「我等、使庁の名に置いて、不善の輩はすべからく追捕してみせる!」
 堂々と言い放った後で一旦言葉を切り、別当は眼前に控える綺羅綺羅しい田楽師へ視線を向けた。
 今日も今日とて綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)の装束。水干の色目は薔薇(そうび)、腰まで届く垂髪は夜空を零したよう。
「……とはいえ、どうしていいものか、我等、皆目わからず、手を(こまね)いている」
 正直という点では使庁別当は賞賛に値した。
「そこで、だ! 我々が思いついた策略というのが──」

          +

「〈囮作戦〉だとさ!」
 縁の柱に凭れて狂乱丸は鼻を鳴らした。背後の庭には燕子花(かきつばた)の花が揺れている。
「陳腐なことよ! 何が策略だ、行き当たりばったりもいいところ! その上、流石に娘を使うのでは万が一にも危険過ぎる、だと。そこで──」
 美しい若者に女装させようというのである。白羽の矢が当たったのが当代随一と賞賛される田楽師・狂乱丸だった。
「何のことはない。成澄と懇意だから都合がいい、連れて来い、というわけさ」
「そうだったのか」
「俺が何故、腹を立てているか、わかるか?」
 サッと弟は首を振った。
「やり方が気に食わない。水臭いじゃないか? 面と向かって『力を貸してくれ』と頼むならともかく、素知らぬ顔で誘って、上司にそれを言わせるとは……!」
「なるほど」
 兄の怒りも尤もだ、と婆沙丸は思った。
「少し懲らしめてやろうと俺はその場では承諾しなかった。以来ずっと……帰る道中、どちらも口を聞いていない」
 座敷を振り返って、困り果てている検非違使の姿を婆沙丸は盗み見た。
 あの様子では、何故、狂乱丸が腹を立てているのか、その理由すらわかってはいないだろう。
(まあ、兄者も意地っ張りだからなあ……)
 婆沙丸は剛直で不器用な検非遺使が可哀想な気もして来た。
「いよう! 来てたのか、判官殿?」
 もう一人、別の意味で人の心の機微などわからぬ陰陽師が座敷に入って来た。
「暇そうだな? ちょっと面白いものがあるぞ、見るか?」
 昼間、歩き巫女が持って来た例の不可思議な文様を並べる有雪。
 あの後、考えてみようと言って、文様を写し取ったのだ。実物の方は巫女が持ち帰った。
「どうだ、これらが何を意味しているか、読めるか?」
「う、うーむ……」
(無理だろうな!)
 人の心が読めない男に、文様の意味など読めるはずがない。縁に立って婆沙丸はこっそり微苦笑した。


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