第86話 キグルイ 〈2〉

文字数 2,097文字

「おかえり!」
 
 玄関まで出迎えたのは美しい田楽師兄弟の、弟の方、婆沙(ばさら)丸だった。
「なんだ、有雪(ありゆき)? その様子ではもうできあがってるな。 どこぞでタダ酒を馳走になったとみえる」
「おうよ!」
 有雪は笑って目配せした。
「さても田楽屋敷には、今宵、客人有りと見た! 俺も相伴(しょうばん)に預からせてもらうぞ!」
「流石にこういうことになると鼻が利くな」
 婆沙丸は露骨にがっかりした顔をした。
「折角、驚かせようと思ったのに!」
「フン、俺様に見通せない未来はない! 解けない謎はない!」
 例によって胸を反り返して口上を述べる(ちまた)の陰陽師。
「チェ、そこまで言うなら……じゃ、客人がどんな奴か当てて見せろよ!」
 少々意地悪く唇の端を引き上げて笑う田楽師の弟。
 とはいえ、兄と違って根が優しいのですぐ続けて言った。
「おまえなんぞに当てられっこないから教えてやるよ! 成澄(なりずみ)が連れて来たんだ! まだ10かそこらの子供だぞ!」
「ほう?」
 これには少々驚いた顔をする有雪だった。
「何でも、人買いに襲われていたのを成澄が助けたらしい」
 それは驚くに値しない。いかにも検非遺使らしい行動である。
 有雪が心から驚いたのは田楽師の次なる言葉だった。
「その子がさ、なかなか見目麗しい男の子なんだ!」
「ググ……そりゃまあ……よく狂乱(きょうらん)丸が屋敷に上げるのを許したな!」
 当屋敷の主、兄の狂乱丸の嫉妬深さは格別だった。
「そこさ!」
 座敷を振り返って愉快そうに肩を揺らす弟。
「連れて来た成澄以上に、今じゃ兄者の方がその子にゾッコンなんだ!」
 小さく婆沙丸は付け足した。
「まあ、俺も、そうなんだけど」
「?」
「その子の境遇だよ! 知ったらおまえだって、(ほだ)されるというものさ!」
 婆沙丸は瞳を潤ませながら言うのだ。
「たった一人、母を捜して紀州の山奥から遥々この京師(みやこ)までやって来たのだと!」



沙耶(さや)丸と申します。どうぞよろしくお願いいたします!」

 婆沙丸の後について座敷へ入った有雪にその子、沙耶丸は床に両手を付いて深々とお辞儀をした。
「おい、そうまで礼を尽くす必要はないぞ、沙耶丸。コイツは居候にすぎぬ。いわば屋敷の厄介者さ!」
 すかさず横槍をいれる兄の田楽師、狂乱丸。
「うむ、こちらこそよろしくな」
 なるほど、一瞥して有雪は大いに納得した。婆沙丸が「見目麗しい」と称したごとく、少女と言っても通る可愛らしい少年だった。
 長旅の上、都に入ったとたんに人買いに追い掛け回されて着物はぼろぼのどろどろ。だが、月影のような眉、涼しい目元、桜貝の唇に漆黒の髪……
 人買いに目を付けられるのもむべなるかな。
「おまえは沙耶丸というのか。それでーー」
 頷きながら視線をややずらして有雪は訊いた。
おまえ(・・・)はなんと言う名じゃ?」

「――」

 狂乱丸、婆沙丸、杯を呷っていた中原成澄(なかはらなりずみ)
 座敷にいた者、全員、棒を飲んだごとく固まった。
 身じろぎできない一同の前で巷の陰陽師は今一度繰り返した。
「だからよ、もう一人の方、おまえ(・・・)はなんと言う名じゃ?」

「――」

 ややあって、座敷を支配する沈黙がどうやら自分のせいだと気づいた有雪、周りを見回して訊いた。
「何じゃ? 何をそう引き()っている? 俺が何か変なことを言ったか?」
 付け加えて、
「俺はいつも正しいことしか言わぬ男だが?」
「モロ、変だろ!?」
 婆沙丸が叫ぶのに呼応して、狂乱丸も声を荒げた。
「もう一人って 誰のことだ?」
「え?」
 有雪は目を瞬いた。
 眼前、検非遺使が助けて連れて来たという少年たち。
 その一人、沙耶丸の名は聞いた。だが、その後ろのもう一人、そっちの名はまだ聞いていない。
 有雪にすれば至極(しごく)(まっと)うな問いだった。
「だから、二人の内の、残りの方の名を聞いたまでじゃ。悪いのか? ソレを知ると何ぞ不都合があるのか?」
もう一人(・・・・)だって(・・・)?」
 再び双子たちが同時に声をあげる。
「大丈夫か、有雪?」
 遂に検非遺使も杯を置くと神妙な顔で質した。
「タダ酒をどれだけ飲んだかは知らぬがよ、有雪? 悪酔いにもほどがあるぞ」
「へ?」
「〝もう一人〟とはどういう意味だ? 〝二人の内の残り〟とは?」
 狂乱丸が改めて言い切った。
「良く見ろ! ここに居るのは沙耶丸一人きり(・・・・)じゃ! 成澄に助けられ、連れられて、田楽屋敷へやって来たのはこの沙耶丸だけ(・・)じゃ!」

「!」

 (ば、馬鹿な……!)
 慌てて有雪は両目を(こす)った。
 そうして、再び目を開ける。自分の前に座っている少年は……

「――」
 
 確かに一人だった。
 だが、さっきは二人いた。
 いや、二人いるように見えたのだが――
 
 これは一体どうしたのだろう?
 こんな事は始めてだ。


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