第20話 毘沙門天の使者 〈2〉

文字数 5,071文字

 僧・遍快(へんかい)曰く──
 石寿と名乗った稚児は金の塊を産み落とすと、
『我は毘沙門天が、日頃の汝の信心を誉めて遣わした使者である。この子宝(・・)は汝に授ける。大切に育むべし』
 そう言い残して何処(いつこ)かへ消え去った。
 子宝を得たとはいえ、愛しい稚児を失って遍快は泣き暮らした。
 どうしても忘れることができず、とうとう出会った思い出の辻に立って、稚児を探し続ける毎日である……

「それで? 間違えられたのが兄者というわけか? よりによって参詣の帰りにえらい災難にあったものよ! これは、その信心深い僧とは反対に、よほど日頃の行いが悪いと見える」
 頻りに面白がる弟の、その顔を睨みつけて双子の兄は釘を刺した。
他人(ひと)事のように言うな。偶々(たまたま)俺だっただけで、おまえが間違えられていたかも知れぬのだぞ? 俺たちは瓜二つ(・・・)なのだから」
「ウッ」
 一方、暫く無言で考え込んでいた検非遺使、烏帽子に手をやってやおら口を開いた。
「なあ? 俺はどうも……これに似た話を以前どこかで聞いた気がしてならぬ」
 使庁の愁訴の中にあったのかも、と成澄は言う。 ※愁訴=訴え状
 兄弟は揃って生き写しの眉を寄せた。
「と言うことは──類似の事件……前歴があるということか?」
「では、やはり? その稚児とやらは詐欺が盗人の類?」
「かも知れぬ。これは早速使庁へ戻って、過去の愁状の山を今一度洗ってみる必要があるな……」
おまえ(・・・)が洗ってみるべきは〈文書〉ではなくて、むしろ〈死骸〉の方じゃ!」
 襖がカラリと開いて、白い水干に白袴、肩に白い烏まで留まらせた見るからに胡散臭げな男が入って来た。陰陽師の有雪である。
 勿論、陰陽師と言っても帝に仕えるそれではなく、無位無官、庶民相手に卜占をたれる俗に言うところの〈橋下の陰陽師〉。当世、一条橋界隈にはこの種の手合いが腐るほどいた。
「やれやれ、勝手に人の屋敷に寝泊まりしていると思ったら──今度は盗み聞きかよ?」
 弟の嫌味を制し兄は膝を乗り出した。
「何だ、有雪? おまえは何か知っているのか? 俺が被った災難の……この奇異な話の謎が解けたと言うなら言ってみろ」
 陰陽師は、元々は麗しいと形容できるはずの面貌を歪めて呵呵笑った。
「フン、俺に読めぬ未来はない! 俺に解けぬ謎はないわ!」


「では、あなた(・・・)が? 私の石寿丸を見つけ出してくださると?」
 翌日。処は出雲路。
 例によって、愛しい稚児を捜して辻に立つ僧・遍快は眩しいものでも見るように目を細めて眼前の田楽師を眺めた。
「ああ。ここで出会ったのも仏縁なれば、な? 昨日は俺も鞍馬詣での帰りだったのじゃ」
 今日も今日とて綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)の装束。水干は秘色、袴は淡青の子栗(こぐり)色と呼ばれる色目である。その袖を揺らして狂乱丸、頬の傷に触れながら笑った。
「まあ、任せておけ。必ずや、それも近い内に、おまえとその──〈毘沙門天の使者〉とやらを会わせてやる。おっと、一条橋の陰陽師も『この再会は叶う』と卜占をたれていたぞ。せいぜい大船に乗ったつもりで待っておれ」
「はあ……」
 僧は頷いたものの再び不安そうな表情に戻った。

 さて、狂乱丸がやったことは至極簡単なことだった。
 田楽の際、件の僧の摩訶不思議な体験談を歌に乗せて見物人に語り聞かせたのだ。
 また、懇意の仲間たち──同業の田楽師は言うに及ばず、傀儡師や声聞師、歩き巫女、果ては放免、清目に至るまで──浮遊の輩、異類異形の(うから)に等しく〈黄金を産んだ稚児〉の話を流布させた。但しその際、僧や稚児の名は伏せて、不思議のみを語らせる。
 風聞好きの都人のこと、この瑞奇譚は瞬く間に広く京師に伝わって行った。

 
 かれこれ五日後のことである。
 その日も日がな一日、辻に立って稚児を捜した遍快が、願い果たせず重い足を引き摺って自坊に帰って来た。
 出雲路よりおよそ一里。なるほど寺と呼ぶのもおこがましい、凄まじく荒れ果てた堂宇である。
 寝待ち月も既に昇って、あちこちに虫のすざく声がする。
 築地塀などとうに崩れて、何処からが境内か定かでない庭の中にうっそりと佇む影が見えた。
「お懐かしゅうございます、遍快様」
「まさか──」
 その、まさかの、石寿丸だった。
 今宵はきっちりと被衣(かづき)を被って、その下は目も綾な金紗の水干に淡紅色の胴長の袴姿。
 雲居の桜、曙に霞の間より咲き出し、匂いの漏るる……とはまさにこの風情。
 だが、狂喜して駆け寄る遍快をスルリと交わして稚児は唇を尖らせた。
「あんまりではありませんか、遍快様?」
「とは?」
「件の出来事は二人だけの秘事。心の深奥に(とど)めこそすれ──よもや他言はなさるまいと思っておりましたのに。浅はかにもあのありがたい瑞顕をどこぞの下臈に漏らしましたね?」
 稚児は頬を薄らと上気させて僧を(なじ)った。
「おかげで京師(みやこ)中、私たちの噂(・・・・・)で持ちきりだ」
「そ、それは……私は何としても再びおまえと会いたかったから……だから、人に頼んででも──」
「申し上げたはずです。私は鞍馬の毘沙門天の使者。毘沙門天様は日頃の清廉なる貴方様の御心を愛でて富をお授けになりましたのに」
 あえかな稚児はきっぱりと告げた。
「こうなっては致し方ない。毘沙門天様はお怒りになっておられます。今宵、再び私が化現しましたのはお預けした物を引き取るためです」
「──」
 茫然自失、身動ぎもできない僧を押しのけて石寿丸はズンズン本堂へ入って行く。
「さあ! お渡しください。毘沙門天様からの授かり子(・・・・)。私が産み落としたアレは何処?」
「シ──ッ、静かに……」
 本尊などとうの昔に失っている空座の沙弥壇の前で(うずくま)っていた人影が囁いた。
「〈授かり子〉なら今、漸く寝かしつけたところなんだから……」
 
 灯はない。開け放たれた堂の扉と、それから、破れた屋根のあちこちから零れる月の光だけが光源である。石寿丸は目を瞬いた。
「誰だ、おまえは?」
「まんまと姿を現したな? 〈毘沙門天の使者〉とやら」
 ありがたい〈授かり子〉を抱いて立ち上がったのは田楽師の、こちらは兄の狂乱丸。頬に曳かれた一筋の赤い傷でそれとわかる。艶やかな垂髪を扇のように揺らして一歩前へ踏み出した。
「石寿丸、おまえの魂胆はお見通しじゃ。観念しろ!」
「はて? 何のことでしょう?」
 同じく漆黒の髪を揺すって石寿丸、訝しげに首を傾げる。
「では、言おう。俺の抱いている(・・・・・)これ。毘沙門天の授かり子(・・・・)などとは真っ赤なデタナメ。これはおまえの盗んだ金塊だろうが?」
 稚児は全く動じる気配がなかった。
「これはまた、妙なことを言う」
 狂乱丸の豪奢な装束──今日は花兎文様の水干が蘇芳色、袴は青の萩経青(はぎたてあお)の色目──を目を細めて眺めながら、
「ふむ? おまえもどこぞの稚児と見えるが? 同業ならわかろうというもの。我々稚児が金塊など目にする機会など金輪際ありえぬ。まして、盗むなど、それこそ夢物語も良いところ……」
 破れた天井に稚児の玻璃のような笑い声が響いた。
「やれ、〈観音の化現〉だ、〈一稚児二天王〉だ、などとありがたがれ、天童に持幡童にと持て囃されても……所詮、稚児は稚児。稚児灌頂(かんじょう)を受けし日より、その聖教(おしえ)(のっと)り心身を砕いてお仕えしても、歳をとれば惨めに放り出され、何処で野垂れ死のうが顧みられることもない。真実、我等は憐れな運命よ」
 大阿闍梨や僧都に仕える稚児は元々生まれも良く、強力な後ろ盾を有す一握りの例外である。
 実際、ほとんどの稚児は歳をとって稚児をやれなくなった後、他の生き方を知らず、現実社会に適応できないまま世を儚んで自死する者が多かった──と古書は伝えている。
「フン、生憎だな? 俺は田楽師。稚児じゃあない。従って、おまえたちの恨み辛みに(くみ)する立場にはない」
 狂乱丸はピシャリと言い切った。
「おまえがどんな理屈を()ねようと、この金塊(・・・・)を盗み取ったのは紛うことなき真実じゃ! お望みなら説明して見せようか?」
 そもそも、仕える僧侶に捨てられたと言うのからして偽りだろう、と狂乱丸。
「おまえは、その仕える僧侶とやらを殺めて、金塊を奪い取ったのじゃ。そして、取り敢えずの安全な保管場所として、こっちの──見るからに貧しい僧に目をつけた」
 傾いだ扉の前で震えながら成り行きを見つめていた遍快(へんかい)を狂乱丸は振り返った。
「遍快殿、最初出会った時、こいつの水干が血塗れだったと言っていたよな? さもあらん。水干を汚していた血は虐待の痕ではなくて──主人殺害の際の返り血(・・・)じゃ!」
 絶句する遍快。
「……まさか」
 構わず、視線を稚児へ戻すと狂乱丸は続けた。
「おまえは血塗れの姿を道行く人に不審がられる前に、取り敢えず身を隠し、且つ、懐に入れている金塊を保管する場所を思案して……ちょうど行き当った貧しい僧をまんまと利用したのさ!」
「よもや、こんな荒れ寺にお宝が眠っていようとは誰も思うまい。ここなら未来永劫、押し入る酔狂な賊もおるまいよ!」
「?」
 新たな声がした方を眺めやって稚児は一瞬、硬直した。
 これは妖しか、幻か? そっちにももう一人、全く同じ田楽師がいるではないか……
 水干の文様も同じ花兎──だが、色目はこちらは萩重ね、上は紫、袴が二藍である。
 双子の弟、婆沙(ばさら)丸は兄の横までやって来ると並んで立った。
 兄弟は歌うように声を重ねて言い切った。
「この策略、中々どうして上手く考えたものよ……!」
「おまえ等……双子かよ? まさか、人を(たぶら)かす天狗や狐狸(こり)の類ではあるまいな?」
 謎の兄弟に対峙して、流石に石寿丸も狼狽し始めた。額には汗が滲んでいる。
「き、聞けばさっきから、さ、さも見て来たような嘘ばかり並べ立ておって──」
「おや? 見て来たのさ(・・・・・・)!」
 また、別の声。
 今度、沙弥壇の陰から現れたのは、二天にも見紛う屈強な体に黒摺りの蛮絵を纏った検非遺使である。
「この中原成澄が、おまえの殺めた僧侶の死骸、この目でしっかと見届けたぞ!」
「あ!」
「処は二条、二つの川の流れる河原。頭をぶち割られて果てたその僧の懐には守り袋が残っていて──陸奥国は浄念寺、圓貞と墨書してあった……!」

「……もはやこれまでか」
 先刻までのたおやかな微笑は消えて、稚児は険しい目で舌を鳴らした。
「チェッ、京師(みやこ)に死骸は珍しくもない。誰も毛ほども気に留めるまい、と思ったのは誤りかよ? こうまで一人ひとり気を配っていたとは知らなんだ!」
 この皮肉に中原成澄は紅潮した。
 剛直なる検非遺使は心底恥じ入って、認めた。
「確かに。死体放置は我々検非遺使庁の怠慢である。京師に山成す死者の身元を一々確認することなど到底できかねる」
 当時、『獄前の死人、訴えなくんば検断なし』と言う諺があった。たとえ使庁の門前に死体が転がっていても訴える人がいなければ放って置かれた、その現実を言っている。
 が、気を取り直して検非遺使慰は言う。
「ただ、今回ばかりは特別に助言してくれた者があってな。意識的に捜した(・・・・・・・)から見つけ出せたのだ。そうして──全てが明白になった。奥州は陸奥国の僧・圓貞は造仏の志を持って、遥々都へ上って来たのであろう」
 時は末法の世である。 ※末法=釈迦入滅後到来する混乱と破壊の期間。一万年続くとされた。
 浄土の教えは今や都に留まらず津々浦々まで浸透し始めていた。
 遠く鳥が鳴く東の地から陸奥(みちのく)奥州まで、昨今、寺の建立が相次ぐ。
 とはいえ、いくら寺を建てても肝心の本尊が足りない。いきおい仏像を求めて都にやって来る遠国の僧が多くなった。中でも、東北は金が地中に埋まっているという噂。
 彼等僻奥の僧たちは仏に変えようと黄金を携えてやって来るのだ。
「そこまで読まれてしまっては仕方ない」
 大きく息を吐いて石寿丸は項垂れた。

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