第83話 呪術師 〈13〉

文字数 3,381文字

そこに血塗れのマシラが倒れていた。


「マシラ――ッ!」

 駆け寄って抱き起こすアシタバ。
「まさか」
 成澄(なりずみ)は喘いで肩越しに今一度鐘を眺めた。
「体を使って? その身(・ ・ ・)を持って、鐘を鳴らしたのか?」

 名のごとく身が軽い娘は鐘楼(しょうろう)の天井に攀じ登ってその身を鐘にぶつけた。
 
 鐘は計3度鳴った。

 マシラは3度、鐘に激突したのだ。

 背に(くく)り付けた金を重石として?
 体中の骨と言う骨が砕けるのも厭わずに?

 しかも、最後にその身を隠すことを忘れなかった。
 力を振り絞り、娘は傷ついた己の体を鐘楼の外の茂みの中へ運んだのだ。血を零し、よろめく足取りで。
 検非遺使と橋下(はしした)の陰陽師、田楽師たちでなければこの痕跡を見つけられなかったはず。
 今度も〈真実の呪術師〉アシタバの術は成功とみなされたに違いない――

「マシラ? マシラッ!」
 泣き叫ぶ兄の腕の中でマシラは薄っすらと目を開けた。
「……聞こえ……た? 兄様(あにさま)? か、鐘の音……」
「この、馬鹿っ!」
「……良かった」
 震える指先で零れ落ちる兄の赤い髪を撫で上げた。
「これで……兄様の罪は……全て……洗い流された……」
「馬鹿やろう!」
「その通り、この大馬鹿者めが!」
 有雪(ありゆき)恫喝(どうかつ)だった。
「いや、有雪、この場合おまえは黙っていろ!」
 慌てて袖を引く成澄と双子たち。
「おまえは関係ない」
「隅に引っ込んでいろ!」
「ええい、放せ! 関係大有りじゃ!」
 橋下の陰陽師は友の抑える手を振り払った。
「俺は間違った知識は許せぬ性質(たち)じゃ! マシラと言ったな? おまえは間違っている! おまえのは――〈鐘〉違いじゃ!」
「え?」
「おまえの言う、〈罪を浄化する鐘〉とはこの鐘ではないわ! それは梵鐘(ぼんしょう)にあらず〈金鼓(こんく)〉のことなり!」
「お、おい、有雪!」
 田楽屋敷の仲間達は口々にこの博覧強記の、人の心の襞を理解しない美貌の陰陽師を詰った。
「何もこの場で薀蓄(うんちく)を並べなくとも――」
「そうとも! いいから、その娘を静かに逝かせてやれ!」
「愛した男の胸の中で息を引き取らせてやれ! 邪魔をするな!」
「何を言う!」
 橋下の陰陽師は物凄い剣幕で怒鳴り返した。
「それだ、ソレこそ最悪だ! 間違った知識のまま死んでは、それこそ浮かばれぬわ!」
 有雪は常にない敏捷さで血だらけの娘の前に屈み込むとその耳に口を寄せ、叫んだ。
「本当にソレが聞きたいか? 浄罪の鐘……金鼓(・ ・)の音が?」
「あ? は、はい……」
 苦しい息の下で娘は頷いた。
「私と……母上様の……願いでしたから……」
「ならば、暫し待て! 俺が持って来てやる!」
「有雪?」
「それまでがんばれるな? まだ逝ってはならぬぞ? 気を強く持って、俺が金鼓を持って来るまで生き永らえろ!」
「はい……」
「何、ボヤッとしている、おまえたち!」
 立ち上がると周囲を見回して橋下の陰陽師は声を荒らげた。
「早くこの娘を安全な場所まで運ぶんだ!」
「ハッ、その通りだ!」 
 いち早く我に返った成澄が力強く頷いた。
「山法師どもに見つかっては面倒なことになる。ここは早く――田楽屋敷へ!」
 田楽屋敷の(あるじ)が先を引き継いだ。
「そして、薬師(くすし)の手配だ!」  ※薬師=医者




「時々あいつは訳のわからんこと言う……」
「全くじゃ!」
「本当に奇怪(きっかい)な男だな?」
 
 
 兄に抱きかかえられて馬を飛ばし田楽屋敷の一室に運ばれたマシラ。
 薬師の診たてでは傷は重篤だった。
 それでも微かな息をし続けている。懸命に命を繋いでいる。
 (あし)丸はその手を握って放さなかった。
 最早、自分達がやるべき事は何もない。兄と妹を残し、座敷へ戻って来た双子の田楽師と検非遺使尉(けびいしのじょう)だった。
 現在三人の話題はこの邸の胡乱(うろん)居候(いそうろう)、橋下の陰陽師・有雪に集中していた。
 それというのも、鐘の下で大見得を切ったは良いが、ソレっきり鳴りを潜めてしまった。
 行方がわからないのだ。
 呪術師の妹を田楽屋敷へ担ぎ込んだ時はその場にいたように思う。が、その後、掻き消えたようにいなくなってしまった。
 いったんは邸の自室へ入る姿を小者が見ている。だが、それから、狂乱丸、婆沙(ばさら)丸と入れ替わり声をかけても全く反応がない。試しに(ふすま)を開けようとしたところ、びくとも動かなかった。
「どんなやり方をしたのか知らぬが――勝手に封印して出て行ったな、あの陰陽師め!」
 兄の田楽師は怒った。
「中に見られて困る何があるというのだ? ここは俺達の邸だぞ? それを好き放題やりやがって」
 どうやら気づかぬ内に外へ出て行ったらしい。
 きっと今時分、瀕死の娘と約束した〈金鼓〉なるものを求めて京師(みやこ)中を駆けずり回っているのだろう。



 その奇怪な男、有雪が座敷へ顔を出したのは一刻ほど経った後だった。
「……ただいま」
「あ! 有雪!?」
「おまえ……今まで何処にいたのじゃ?」
 田楽師の兄弟は異口同音に食って掛かった。
「ったく、いきなりいなくなるから困惑したぞ!」
「行き先ぐらい告げて出ろ。さすれば俺達だって――出来る限り協力するのに」
「鐘の形状や、場所を教えてくれれば一緒に探すぞ? 一人で走り回るより遥かに効率的だろうが?」
「おまえ達では無理だ」
 陰陽師は襖に凭れ掛かったまま大きく息を吐いた。
「そんなことより――娘の様態はどうじゃ?」
 呪術師兄妹が籠る部屋の方を振り返って、成澄が答える。
「うむ。何とか持ちこたえているが――」
「ふう、間に合った……!」
 ガクリと膝を突く有雪。
 よくよく見ると、橋下の陰陽師はやつれきっていた。余程、力を尽くして浄罪の鐘なるものを探し回ったのだろう。
 流石に見かねて、射千玉(ぬばたま)の髪を揺らして狂乱丸が弟を振り返る。
「婆沙、(気付け)を一杯持って来てやれ」
「ほう? 珍しく優しいな、狂乱丸?」
 吃驚して眼を剥く成澄。有雪も鼻に皺を寄せて確認した。
「もちろん、ソレはおまえの驕りだろうな?」
「五月蝿い! 黙って飲め」
 差し出された盃を一気に(あお)ると有雪は生き返ったように身震いした。
 肩の純白の烏が羽ばたきするのと同時に颯爽と白衣を翻して、
「では、行こう!」
 




「これじゃ、これが〈金鼓〉――人の犯した罪を洗い流してくれる浄罪の鐘なり!」

 
 橋下の陰陽師が持ち込んだソレは確かに奇妙な、見たこともない、不可思議な形をしていた。
 鐘というより小型の銅鑼(どら)に近い。
 高さはおよそ96cm。
 前方を睨んで伏す凛とした獣――狼なのか獅子なのか――その背に六角の柱が伸び、雌と雄の四匹の龍が尾を巻きつけて絡み合っている。まさにそこ、その龍たちに守られるかのように平たい鐘が下がっている。

「良くがんばったな?」
 陰陽師は息も絶え絶えの娘を(ねぎら)った。
「さあ、では、マシラ。そして――」
 娘とその背後で包むようにしっかりと抱きかかえている男に有雪は言った。
「マシラが一番に聞かせたいと願った、おまえ、葦丸よ。存分に聞くがいい……!」
 床に据えて有雪は鐘を鳴らした。

 
 コーン……
 コーーーン…… 
 コーーーーン……コーーーーーーン……


「聞こえるか、マシラ? 
 これが金鼓の音。
 聞いた者の、この世で犯した罪の全てを洗い清めてくれる鐘の音とは、
 まさに、この音なり!」

 コーン……コーーン……コーーーーン……

「良かったな? これで、おまえの大切な人の罪は消え去った!」

 コーン…コーン…

「なんて……綺麗な音……兄様?」
「ああ、本当にな、マシラ?」

 
 風のように透明で、羽のように軽やかで、花びらのように優しい。
 その金鼓の鳴り響く中、葦丸の胸の中に頬を寄せる。
 マシラはゆっくりと瞼を閉じた。

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