第84話 呪術師 〈14〉
文字数 2,850文字
1ヵ月後。
爽やかに晴れ上がった夏空の下、朱雀大路の南端、西国街道を望む羅城門の前に田楽屋敷の面々は立っていた。
元呪術師の兄妹を見送るために。
今日、葦 丸は故郷へ向けて旅立つ。
その背に負ぶわれたマシラの何と嬉しそうな顔……!
信じられないことに――金鼓 の音 を聞いた後、マシラは生き延びた。
まだ完全には直りきっておらず、両足と左の腕は不自由なままだが、失ったものより得たものに心から満足しているのが誰の目にも明らかだった。
この先、たとえ体が完全に元へ戻らなくとも、最愛の人が傍にいて心を尽くして補ってくれるだろう。
この1ヶ月間そうだったように。
田楽屋敷で過ごしたこの期間、葦丸は誰も寄せ付けず、心を尽くして妹を――いや、愛する人を看病した。
二人の間には余人が入ることのできない世界が広がっていた。
「本当に重ね重ねお世話になりました。皆様にはお礼の言葉も思いつきません」
葦丸の背で頭を下げるマシラ。
「それは何度も聞いた。もういいよ」
「くれぐれも気をつけていけよ、葦丸?」
「大丈夫です。二人して、のんびり行きますよ。急ぐ旅じゃなし――なんなら術を見せながら」
「おい!」
「冗談です」
「兄様 ったら!」
頬を膨らませて葦丸を睨むマシラ。だがそれも束の間、花のような微笑が零れる。
麻痺の残る左手に右手を重ねてしっかりと葦丸にしがみついた。
さあ、別れの時……!
別れの挨拶は笑顔で言うものだ。
「それでは、さようなら! 皆様! お元気で!」
「おう、おまえたちこそ達者でな!」
「末永く、仲良く暮らせよ!」
小さくなって行く影をじっと見つめている婆沙 丸に狂乱丸が声をかけた。
「こうやって、愛する女をむざむざ見送るのは何度目じゃ? 大概おまえも不器用だな」
「……金鼓を聞けて良かった」
唐突に呟く弟。
「あれで、俺の罪も洗い清められた」
「おまえが?」
目を見張って兄が問う。
「おまえは――俺達の中で一番、罪などありそうには見えぬが……」
「有雪 にさ、威勢のいいこと言ったけど」
婆沙丸は地面に視線を落とした。
「俺、ほんとは、願ったんだよ。あの時アシタバが――」
「シッ」
狂乱丸の人差し指が伸びて、唇に当てられた。
勿論、兄は兄自身の唇にそうしたのだが。
瓜二つの婆沙丸は自分の口が優しく塞がれたような気がした。
「黙ってろ、婆沙。消え去った罪の話はするもんじゃない」
「……うん、そうだな」
瞳を上げて爽やかに弟は笑った。
「その通りじゃ、兄者!」
「今回、術そのものはマヤカシだったとはいえ、〈念〉の力は本当に存在すると俺はつくづく思い知ったぞ!」
蛮絵の袖を振って成澄 が語り出す。
「ほう?」
「あの娘がああして命を取り留めたのは、まさしく愛する男の『生きて欲しい』と願う強い思い故ではなかったか? ソレこそが正真正銘の〈念〉じゃ! 偉大なり〈念〉の力! このことから俺が思うに――広い世界には実際に〈念〉でモノを自在に動かしたり、変化させたり出来る人間が必ずやいるに違いない!」
「熱弁中悪いが、成澄、おまえに頼みがある」
折角の話の腰を折られて恨めしそうに検非遺使は眉を寄せた。
「何だ、有雪?」
「これを返して来てくれないか?」
有雪から渡されたズシリと重い袋。中を覗くと例の金鼓 が入っていた。
「?」
「おまえなら馬が巧みだから、誰よりも速く返せるはず。借りたはいいが、そろそろ返しておかないとな。流石に限界だ。紛失していることがバレたら大騒動になる」
「それはいいが。で? 一体、何処へ返せばいいのだ?」
「興福寺、西金堂」
「……南都のか?」
南都とは奈良の都のことである。
「他に何処があるよ? じゃあな」
さっさと帰りかけた有雪の袖を掴んで成澄は引き戻した。
「待て、有雪。おまえ……どうやってこれを持って来たのだ? あの日、おまえが不在だったのは……一刻にも満たなかったと俺は記憶しているのだが?」
「だから!」
腕を振り払ってイライラと有雪は弁解した。
「あの時は必死だったんだ! だが、返すとなると……これが、どうも、さっぱり巧くいかない」
「――」
「そういうことだ。頼んだぞ、判官 !」
スタスタと歩みさる橋下 の陰陽師だった。
その肩で珍しく白烏が一声鳴いた。
「カアアア~~~~~ェセ!」
今回、有雪が(どんな手段を用いたかはさておき)持ち出した興福寺西金堂の金鼓とは、現在同寺の国宝館に所蔵されている華原磬 のことと思われる。
天平6年(734)創建の西金堂の〈興福寺流記 〉には、はっきりと〈金鼓 〉と記されている。
仏教の教えの中で、この音を聞けば犯した罪の全てを消し去ってくれると伝わる尊い仏具である。
常時展示中なので誰でも目の当たりにすることができる。但し、当品は鎌倉時代の補作。またガラスケースの中なので音を鳴らすことは不可。
残念なことである。
追記:この話を書いていた平成26年4月4日読売新聞朝刊に《国宝「華原磬」の台座復元》の見出しで記事が載っていた。《大理石で1300年前の姿に》
それに拠ると、華原磬の台座が奈良時代に使われていたものと同じ奈良県天川村洞川地区の大理石で復元されたそうだ。また、正倉院文書や寺に伝わる「興福寺流記」には、台座は〝洞川で採取し、延べ70人が5日かけて興福寺に運んだ〟と記されているとか。〝平安から江戸期に4度の火災に遭う間に台座は失われ木製の代替品を使っていた〟云々。現在興福寺内の国宝館で公開中との事。
もちろん、今話の中で橋下の陰陽師・有雪が持ち出した際の金鼓の台座は正真正銘、大理石だった。
そして、何よりも、特記したいのは――
あまりにもタイムリーにこの記事が掲載されたという事実である。
これこそ、この《検非遺使秘録》を読んで下さっている心優しき読者諸氏に〈金鼓〉について知って頂きたいと願う作者の〈念〉がもたらしたモノでは……なかろうか?
あ、やっぱり、違いますね。失礼しました。
―――― 第14話 呪術師 了 ――――
★参考文献 「今昔物語」いまむかし 野口武彦(著) 文芸春秋
絵巻に中世を読む 藤原良章・五味文彦=編 吉川弘文舘
中世の民衆と芸能 京都部落史研究所/編 阿吽社
死者たちの中世 勝田 至(著) 吉川弘文舘
※華原磬に関するサイトです。
http://www.kohfukuji.com/property/cultural/061.html
爽やかに晴れ上がった夏空の下、朱雀大路の南端、西国街道を望む羅城門の前に田楽屋敷の面々は立っていた。
元呪術師の兄妹を見送るために。
今日、
その背に負ぶわれたマシラの何と嬉しそうな顔……!
信じられないことに――
まだ完全には直りきっておらず、両足と左の腕は不自由なままだが、失ったものより得たものに心から満足しているのが誰の目にも明らかだった。
この先、たとえ体が完全に元へ戻らなくとも、最愛の人が傍にいて心を尽くして補ってくれるだろう。
この1ヶ月間そうだったように。
田楽屋敷で過ごしたこの期間、葦丸は誰も寄せ付けず、心を尽くして妹を――いや、愛する人を看病した。
二人の間には余人が入ることのできない世界が広がっていた。
「本当に重ね重ねお世話になりました。皆様にはお礼の言葉も思いつきません」
葦丸の背で頭を下げるマシラ。
「それは何度も聞いた。もういいよ」
「くれぐれも気をつけていけよ、葦丸?」
「大丈夫です。二人して、のんびり行きますよ。急ぐ旅じゃなし――なんなら術を見せながら」
「おい!」
「冗談です」
「
頬を膨らませて葦丸を睨むマシラ。だがそれも束の間、花のような微笑が零れる。
麻痺の残る左手に右手を重ねてしっかりと葦丸にしがみついた。
さあ、別れの時……!
別れの挨拶は笑顔で言うものだ。
「それでは、さようなら! 皆様! お元気で!」
「おう、おまえたちこそ達者でな!」
「末永く、仲良く暮らせよ!」
小さくなって行く影をじっと見つめている
「こうやって、愛する女をむざむざ見送るのは何度目じゃ? 大概おまえも不器用だな」
「……金鼓を聞けて良かった」
唐突に呟く弟。
「あれで、俺の罪も洗い清められた」
「おまえが?」
目を見張って兄が問う。
「おまえは――俺達の中で一番、罪などありそうには見えぬが……」
「
婆沙丸は地面に視線を落とした。
「俺、ほんとは、願ったんだよ。あの時アシタバが――」
「シッ」
狂乱丸の人差し指が伸びて、唇に当てられた。
勿論、兄は兄自身の唇にそうしたのだが。
瓜二つの婆沙丸は自分の口が優しく塞がれたような気がした。
「黙ってろ、婆沙。消え去った罪の話はするもんじゃない」
「……うん、そうだな」
瞳を上げて爽やかに弟は笑った。
「その通りじゃ、兄者!」
「今回、術そのものはマヤカシだったとはいえ、〈念〉の力は本当に存在すると俺はつくづく思い知ったぞ!」
蛮絵の袖を振って
「ほう?」
「あの娘がああして命を取り留めたのは、まさしく愛する男の『生きて欲しい』と願う強い思い故ではなかったか? ソレこそが正真正銘の〈念〉じゃ! 偉大なり〈念〉の力! このことから俺が思うに――広い世界には実際に〈念〉でモノを自在に動かしたり、変化させたり出来る人間が必ずやいるに違いない!」
「熱弁中悪いが、成澄、おまえに頼みがある」
折角の話の腰を折られて恨めしそうに検非遺使は眉を寄せた。
「何だ、有雪?」
「これを返して来てくれないか?」
有雪から渡されたズシリと重い袋。中を覗くと例の
「?」
「おまえなら馬が巧みだから、誰よりも速く返せるはず。借りたはいいが、そろそろ返しておかないとな。流石に限界だ。紛失していることがバレたら大騒動になる」
「それはいいが。で? 一体、何処へ返せばいいのだ?」
「興福寺、西金堂」
「……南都のか?」
南都とは奈良の都のことである。
「他に何処があるよ? じゃあな」
さっさと帰りかけた有雪の袖を掴んで成澄は引き戻した。
「待て、有雪。おまえ……どうやってこれを持って来たのだ? あの日、おまえが不在だったのは……一刻にも満たなかったと俺は記憶しているのだが?」
「だから!」
腕を振り払ってイライラと有雪は弁解した。
「あの時は必死だったんだ! だが、返すとなると……これが、どうも、さっぱり巧くいかない」
「――」
「そういうことだ。頼んだぞ、
スタスタと歩みさる
その肩で珍しく白烏が一声鳴いた。
「カアアア~~~~~ェセ!」
今回、有雪が(どんな手段を用いたかはさておき)持ち出した興福寺西金堂の金鼓とは、現在同寺の国宝館に所蔵されている
天平6年(734)創建の西金堂の〈興福寺
仏教の教えの中で、この音を聞けば犯した罪の全てを消し去ってくれると伝わる尊い仏具である。
常時展示中なので誰でも目の当たりにすることができる。但し、当品は鎌倉時代の補作。またガラスケースの中なので音を鳴らすことは不可。
残念なことである。
追記:この話を書いていた平成26年4月4日読売新聞朝刊に《国宝「華原磬」の台座復元》の見出しで記事が載っていた。《大理石で1300年前の姿に》
それに拠ると、華原磬の台座が奈良時代に使われていたものと同じ奈良県天川村洞川地区の大理石で復元されたそうだ。また、正倉院文書や寺に伝わる「興福寺流記」には、台座は〝洞川で採取し、延べ70人が5日かけて興福寺に運んだ〟と記されているとか。〝平安から江戸期に4度の火災に遭う間に台座は失われ木製の代替品を使っていた〟云々。現在興福寺内の国宝館で公開中との事。
もちろん、今話の中で橋下の陰陽師・有雪が持ち出した際の金鼓の台座は正真正銘、大理石だった。
そして、何よりも、特記したいのは――
あまりにもタイムリーにこの記事が掲載されたという事実である。
これこそ、この《検非遺使秘録》を読んで下さっている心優しき読者諸氏に〈金鼓〉について知って頂きたいと願う作者の〈念〉がもたらしたモノでは……なかろうか?
あ、やっぱり、違いますね。失礼しました。
―――― 第14話 呪術師 了 ――――
★参考文献 「今昔物語」いまむかし 野口武彦(著) 文芸春秋
絵巻に中世を読む 藤原良章・五味文彦=編 吉川弘文舘
中世の民衆と芸能 京都部落史研究所/編 阿吽社
死者たちの中世 勝田 至(著) 吉川弘文舘
※華原磬に関するサイトです。
http://www.kohfukuji.com/property/cultural/061.html