第39話 小蕾(しょうらい)〈2〉

文字数 3,910文字

「先程はありがとうございました」
 縁先で芳心(ほうしん)丸は深々と頭を下げた。こちらは陰陽師と違って真顔である。
婆沙(ばさら)丸様のおかげで私はここへ置いていただけるようになりました」
「何の」
 婆沙丸はニヤニヤして、
「兄者だって受け入れるつもりだったのさ。俺にはわかっていた。双子だからな。ただちょっとゴネてみただけじゃ」
「はあ?」
「それというのも、おまえがあんまり美しいせいじゃ。フフフ、兄者は美少年が嫌いだからなあ!」
「え!」
 途端に衝撃を受けた顔になる芳心丸。
狂乱(きょうらん)丸様がお嫌いなのは乙女子ではないのですか? 私は、〝女嫌い〟とお聞きしましたが……」
 婆沙丸はきっぱりと首を振った。
「いや。男女に拘らぬ。兄者は自分の敵になりかねない美しい奴は誰でも嫌いなのさ!」
「楽しそうだな、婆沙? 早速、新入りと何を語らっておるのじゃ?」
「ヒエッ!」
 いつの間にか背後に立っていた兄を見て弟は跳び上がった。
「いや、何、こいつ、芳心丸が聞くので──そうだ! せっかくだからおまえが直接聞いてみるといい。何か兄者に関して知りたいことがあるのだろう? ハハハ……」
 逃げを打つ婆沙丸。片や、背中を押されて前に出た芳心丸は、少しも悪びれずに尋ねた。
「はい! では、お尋ねします! 狂乱丸様は何故、女がお嫌いなのですか?」
(あ、バカ……)
 真っ青になる婆沙丸。だが、もう遅い──
「無神経だからじゃ」
 意外にあっさりと答える兄だった。
「その上、小賢しい。後先のことなど何も考えずに好き勝手なことを言って騒ぎ立てるし」
「そうは言うがな、先を見通す力を持った女もいるぞ!」
 口を挟んだのは有雪(ありゆき)だった。
 狂乱丸は驚いた。
「おや、珍しいな? おまえが女の肩を持つとは。いつからそんな優しい人間になったのじゃ?」
「優しいとか優しくないとかの問題ではないわ」
 有雪は咳払いして、
「俺は常に真実を口にするまでじゃ」
「ほう、真実ねえ! では聞くが、おまえ以外に──いや、おまえ以上に〝先を見通す力を持った女〟はいるのか?」
 日頃、『自分が都一の陰陽師だ』と豪語している有雪に意地悪く狂乱丸は問い質した。
 と、有雪、頷くではないか。
 真実を話すと言った手前、後には退けなくなったようだ。
「まあ、俺以上か、同等の力を有す女も二、三人くらいはいるだろうさ。俺だって否定はしない」
「例えば?」
「そうだな、最近では宇治の方に一人。何やら残された物品から残像を読み取る凄い姫がいるらしい。
 そうして、古くは──歴史書にその名を残す倭姫(ヤマトヒメ)……」
「ヤマトヒメ?」
「知らぬか? 日本武尊(ヤマトタケル)の叔母君さ。伊勢の斎王でもあらせられたのだぞ」
 こうなるとこの男の独壇場である。
 首を傾げる三人の美少年を前に橋下の陰陽師は嬉々として語りだした。
 尤も、ここで断っておくが、この陰陽師自身、そう遠くない過去に美少年だったのは間違いない。そして、現在はゾッするほどの美青年なのである。
「そも、倭姫とは──」


 熊襲(クマソ)征討から帰還した途端、再び父の景行天皇に東国征討を命じられた日本武尊が頼ったのは伊勢神宮の斎王でもあった叔母の倭姫である。
「父上は私を殺したいのだ。私が死ぬのを望んでおられる……!」
 絶望の皇子に叔母はひと振りの剣と小さな袋を与えた。
「危機に瀕した時、この袋の中をご覧なさい。あなたを助けるものが入っています」
 これに勇気を得て、剣は腰に佩き、袋は腰帯へ結わえ付け、日本武尊は旅立った。
 果たして、相模国で、騙されて草原に誘い出された日本武尊。四方から火をつけられてしまった。
 迫り来る炎の中で叔母の言葉を思い出した。

 ── 危機に瀕したらこの中をご覧……

 日本武尊は袋の中を見た。そこには──


「何じゃ、何が入っていた?」
 待ちきれずに婆沙丸が問う。
「石じゃ」
「石?」
 思わず落胆の声を上げたのは狂乱丸。
 明らかに拍子抜けした少年たちに陰陽師は笑って言った。
「おいおい、そんな顔するなよ、おまえたち。ガッカリか? まあ、もう少し細かく言えば石は石でも、ただの石ではなくて〝火打石〟だがな」
「それで?」
「うむ、それで、まず剣で周囲の草を薙ぎ払ってから、その火打石で草に火をつけた。
 火は迎え火となって燃え盛り、迫って来た火を逆に押し返して──日本武尊は命拾いをしたというわけじゃ」
 剣の方は以来、〈草薙の剣〉と呼ばれるようになった、と有雪は締め括った。
「どうだ? まさに叔母君、倭姫の未来を見通す力が日本武尊を救ったのだ! 甥っ子が将来、どんな危機に遭遇するか倭姫には見えていたのだからな! だからこその〝火打石〟じゃ」
「凄いは凄いが……」
 首を捻ったのは婆沙丸だった。
「どうした、何をそう考え込んでいる?」
「うん。もしそのヤマトタケルとやらがもっと早い段階で袋の中を覗いていたら、どうなったのかなって……」
 これには有雪も呆れた。
「おまえはいつも変わったことを考えるな、婆沙?」
「でもさ、危機でも何でもない、普通の時に、その袋の中のもの、〝火打石〟を見たらガッカリして捨ててしまったかも知れないじゃないか。『なんだ、こんなもの』『叔母上、騙したな』ってさ」
「それとも、真実の危機ではないから、そんな時見ても袋の中は空っぽで何も入ってない、とか?」
 そう言ったのは狂乱丸。
 とうとう芳心丸まで、
「いえ、全く違う別のものが入っていたかも知れませんよね?」
「どうなのだ、有雪、どれが正しい?」
「そ、そんなこと──」
 少年たちに詰め寄られて有雪は焦った。
「お、おまえ等ガキどもと話をしていると調子が狂うわ!」
「あー、あんなこと言ってる! さては、答えられぬのだな?」
「やはり、おまえはその場限りの適当なことを言う、似非(えせ)陰陽師じゃ!」
 こうまで言われては有雪も黙ってはいられない。
「俺がこの話で言いたかったのはそんなことではないわ! よく聞け、この京雀ども!
 俺が伝えたかったのは──〝未来は変えられない〟と言うことじゃ!
 いいか? 未来というやつは少々(いじく)っても大元(おおもと)を変えるのは難しいのだ。
 些細なこと、小さな部分は変えられるかもしれないがな」
 いつになく真摯な口調だった。
「俺が思うに、倭姫は甥っ子の未来の危機を透視()てしまい、何とかそれを回避したいと試みたのじゃ。その、変えたいと願う側にも力がなくては、ああは上手くいかなかったろうよ」

 予言するだけではダメなのだ。
 もし、悪い夢……不吉な未来を透視()てしまったなら……
 そこから(・・・・)回避させようと思うのが人の常だ。

(そうだ、だから俺だって……)


「狂乱丸!」

 振り向くと日の暮れた縁の端に有雪が立っていた。
 有雪は手を伸ばして小さな袋を差し出した。
「これをおまえにやろう。芳心丸を受け入れてくれたお礼じゃ。取っておけ」
「何じゃ?」
 訊いた後で、狂乱丸はハッとした。昼間の会話を思い出したのだ。
「まさか、危険が迫ったらこれを開けろ、とか言うんじゃないだろうな、有雪?」
 美しい田楽師はせせら笑った。
「自分は倭姫並の凄い霊力者だと、今更ながら誇示したいのかよ?」
 珍しく、有雪は悲しげな顔をしただけ。
「何でもいいさ。だが、俺は──俺にできることしかできぬ。いいか、できることとできないことがあるのだ」
「?」
 怪訝そうに目を見張る狂乱丸に有雪は言い直した。
「救える場合と救えない場合がある。その境目が、俺自身、よくわからないのだ」
 益々キョトンとする狂乱丸。薄暮の中で独り言のように陰陽師は続けた。
「見えるということは辛いことなのさ。見えるのと助けるのは別物だからな。ただ見えるだけで何もできないのは……責め苦と一緒じゃ」
「おい、有雪? まさかと思うが──」
 狂乱丸が質した。
「おまえ、もう酔っているのか?」
 それには答えず陰陽師はいきなり別の話をし始めた。
「伊勢の斎王は代々霊力のある皇女が継いだ。天皇家にはその種の人間が生まれつくようじゃ。
 それでな、昼、話した日本武尊の叔母君、倭姫は成功したクチじゃ。
 同じ立場でも大伯(おおくの)皇女(ひめみこ)は辛かったろうよ。
 弟の大津皇子(おおつのみこ)を、二度と帰って来れないと知りながら、送り出すことしかできなかった。
 大伯皇女だとて、先祖の倭姫同様、愛する弟に救済の〈袋〉を持たせたかったろうに……」
 改めて有雪は袋を持った腕を伸ばした。
「と言うことで──取っておけ」
「だから? おまえはこれ(・・)を俺にくれると言うのか?」
 狂乱丸の瞳が(きらめ)く。
「おい、俺の未来はそんなに危ないのか? 命数がつきかけているとでも?」
 今度笑ったのは有雪の方だ。
「おや? それを俺に聞くのか? 日頃、似非陰陽師だと罵っている俺に?」
 狂乱丸が何か言う前に有雪は背を向けた。
「まあ、似非と言うのは当たってると思う日もあるよ。俺は愛した人を救えなかったからな」
「!」
 気づくと手の中に袋が押し込まれていた。突き返すには、既に遠い所を有雪は歩いている。
 縁を曲がりしな、陰陽師は腕だけを残して振ってみせた。
「そうだ、もう一つ。川の側には絶対に近づくなよ、狂乱丸」

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