第64話 夏越(なご)しの祭り 〈1〉

文字数 3,406文字

 せっかく都を離れて遠出をしたのだから、この際、噂に聞く紀伊の温泉に浸かって帰ろうと思い立った検非遺使と橋下の陰陽師の二人連れだった。
 
 そのことが良かったのかどうか……

 

 時は初夏。緑滴る山の辺をのんびり歩いていると、背後から凄まじい足音が響いて来た。
「おや? 何だろう?」
 足を止めて、振り向くと、血相を変えた男たち――(ひな)の農民である――が十人余り、物凄い勢いで駆けて来る。
「余程の一大事と見た。道を開けてやるか」
 と有雪。
 成澄が答えて、
「へえ? 泥棒でも追いかけているのかな? いずれにしろ、鬼気迫る形相だ。
 あんなのに捕まる奴の顔が見てみたい。フフフ、タダじゃあ済まぬぞ?」
 その通りだった。
 男たちは一斉に成澄に覆い被さった。
「捕まえたぞ!」
「逃げられると思うたか!」
「観念しろっ!」
「――!?」

「ま、待て、待て、待て! これは一体、何事だ?」
 一拍置いて、有雪が質す。
「この男が何をしたと言うのじゃ?」
「口を挟むのは控えていただきたい、旅の御方」
 (おさ)らしい年配の男が答えて言った。その巌しい面貌。
「貴方様は旅の途上でこの者と同道されたかとお見受けします。だから、何もご存知ないでしようが」
「いや! ご存知だよ! そいつは俺の友人で京師(みやこ)から――おい、放せ、イタタタ!」
 藻掻いて抵抗する成澄。だが、いかに剛力屈強の衛門府武官とはいえ、多勢に無勢、アッという間に荒縄で縛り上げられてしまった。
「クソ、 これは何の真似だ?  放せったら! 人違いだ!」
 成澄は喚いた。
「有雪、言ってやれ! これは何かの間違いだ! 俺は――」
「これ、部外者に滅多なことを言うでない!」
「まずい! 黙らせろ!」
「いらぬことを喋らせるな!」
 無情にも猿轡(さるぐつわ)まで咬まされる。
「いやはや、旅の御方に見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
 有雪に向き直ると年配の男は慇懃に腰を屈めた。
「ですが、これは我等が郷の習わし。お口出しは無用です。
 貴方様は、ここで目にしたことは忘れて、どうぞ旅をお続けください」
「いや、しかし……」
 流石に、日頃はうんざりするほど口の立つ陰陽師でも、何処で突っ込んでいいかわからなかった。
「人違いだと、本人も言うておるし、それに……」
「連れて来たぞ――!」
「?」
 ここで、後続の一団が到着した。
「家族の者だ!」
「家族が来た!」
「ファフファッファ!」
 これは成澄の声。『助かった!』と言っている。
「おお、ちょうど良い。旅の御方が不審がっておられるから――確認させよう」
 集団から押し出されたのは十七、八の娘だった。
 鄙にも(まれ)な、と言う言葉があるが、その通り、鄙人とは思えぬほど色白の、美しい娘である。
 万葉歌で防人が讃えた小百合の花とはこのことか……
 細い背を押されて、縛られた成澄の方へヨロヨロ近づいて行く。
 漸く有雪は安堵の息を吐いた。
「ふう! 何はともあれ、騒動もここまでか」
 成澄の前で足を止め、キュッと両手の拳を握り締めた娘、
 次の瞬間、胸に飛びついて泣き出した。
「兄さん……!」
「ファファファ――?」
「ええええ――っ?」


「ご覧の通りです。これで、納得していただけたことでしょう、旅の御方?」
 満面の笑みで長は言うのだ。
「では、我らはこれにて。よし、邑へ帰るぞ!」
「オ――!」
 彼方此方で賛同の声が上がった。
「危ないところであった!」
「間に合って良かった良かった!」
「全く、逃げようなどと大それたことを……」
「おまえも郷の男なら、二度とこのような恥ずかしい真似をするんじゃないぞ?」
「もっと自覚を持て!」
「祭りまでもう日にちがないというのに……」
 口々に言いながら、成澄を引っ立てて去って行く一群。
 
 道の端にどのくらい呆然と立ち尽くしていたことだろう?
 騒動の間、空高く避難していた賢い白烏が肩に舞い戻って来た。
 その衝動で、有雪は我に返った。
「これは……一体、何なんだ……!?」


「吃驚させて申し訳ございませんでした。
 でも、あの場合は、ああでも言わないと収まりがつかなかったのです。お許し下さい」
 娘の住居と思しき茅葺きの小屋。

 ここまで連れて来られた後、
「祭り当日までちゃんと見張っておくのだぞ?」
「二度と逃がすことのないように」
 等々、口々に諭して男たちは引き上げて行った。
 二人きりになると、すぐ娘は床に額をつけて謝った。
 それから、慌てて縄を解いてくれた。ほっそりした、優しげな手だった。
「何やら事情がありそうだな?」
 自由になった自分の手で、猿轡を毟り取って、成澄は訊いた。
「俺でよかったら、力になろう。だから、こんなことになった理由を話してくれ」
「……はい」
 涙に潤んだ瞳で、娘は〈夏越(なご)しの祭り〉について語りだした。

「豊作祈願や、暑気祓い、また。疫病退散と……
 夏に向かうこの時期、〈夏越しの祭り〉と呼ばれる祭りは方々で行われますでしょう?
 でも、私の郷一帯で催されるそれは、少しばかり変わっております。
 毎年、一人の男を選んで、〈神の従者〉とします。
 それに選ばれることはその家や家族にとって、とても名誉なことなのです。が」
「が?」
 娘はぶるっと体を震わせた。
「男は選ばれた印に片方の目を潰さなくてはならないのです」
「何処かで聞いたことがあるぞ?」
 何しろ、博覧強記の巷の陰陽師と付き合って長いので、成澄は物知り顔で頷いてみせた。
「〈聖痕〉と言うヤツだろう? つまり、傷をつけることで、普通の人間とは違う(・・)こと、
 〈選ばれた者〉だというのを民にも、また、神にも知らしめているわけだ、フムフム……」
「今年は私の家がその役に当たりました。つまり、私の兄、トウヤが選ばれたのです。
 でも、兄は、目を潰すのを嫌がって、引き伸ばした上、実はこっそり逃げ出してしまったのです」
「逃げた? それはいつのことだ?」
「もう三日も前……」
何だって(・・・・)?」
「兄は目も潰していません。ただそのフリをして片目をしばっていただけです。
 祭り当日になったら、そのこともバレてしまうので、それもあって逃げたのだと思います」
 両手を絞るようにして娘は言った。
「三日前の朝、私が起きた時には兄の姿はもう何処にも見えませんでした。
 私は恐ろしくなって……それを、すぐに、邑長たちに告げられなかった……」
「だろうなあ。その気持ちは充分わかるよ」
 真剣に頷く成澄だった。
「それで?」
「はい、私は兄は体調を崩して寝込んでいる、と近所の人たちには言い続けてきたのですが、流石に、全く姿を見せようとしない兄を心配した邑長や、郷の長たちがやって来て……」
「それで、もう騙せなくなって、兄さんが逃げたことを洗いざらい白状したわけだ」
 成澄は烏帽子に手をやった。
「まあ、そうなった以上、仕方ないわなあ」
「いえ、ただし、あんまり長たちが喚き立てるから、怖くて、逃げたのは今さっきだって言ってしまったんです」
 成澄は手を叩いた。
「あ! だから? あんなに街道を爆走して、探し回っていたのだな?」
 娘は頷いた。
「そう。でも、私は――私にはわかっていました。
 どんなに駆け回って探したしたところで、もう見つかりっこないって。
 だって、兄が逃げたのは、本当は三日前なんですから。今頃は都にでも上って、こんなところをウロウロしているはずはないんです。ところが偶然」
「片目を縛ったこの俺と遭遇したってわけか!」
 そこまでは、わかるがよ、と成澄は豪快に笑った。
「それにしても、いくら片方の目を縛って顔を半分覆っているとはいえ、俺がおまえの兄でないことくらいわかりそうなものだが?」
 娘は真剣な顔で首を振った。
「いいえ、他人の顔なんて、身内ですらそれほど細く見たりはしません」
 花のように微笑みながら、娘は重要なことを付け足した。
「それに、この〈夏越しの祭り〉で選ばれる男は、代々、よく似ているんです」
 長身で、端整な美丈夫。
「だって、供奉する神様が女神様ですから……!」
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