第15話 双子嫌い 〈3〉

文字数 3,449文字

 検非遺使の予感は的中した。
 囮作戦を開始した、その一日目の内に双子の弟の方、婆沙(ばさら)丸が(かどわ)かされてしまったのだ……!

 日は中天高く、ちょうど成澄たちが九条を過ぎ道祖大路に入った頃、早馬が一騎追いついて来た。
 素早く手綱を絞った成澄、
「何事か?」
 馬上、少壮の使者が叫んだ。
「婆沙丸が……引っ拐われました……!」
「何だと?」

 処は三条大路の果て。鴨川の対岸はもう白河の地である。
 ここより先は洛外ゆえ引き返そうと、大江高範が合図を送ろうとした矢先、崩れた築地塀の陰よりどっと二十人ばかり湧いて出た。
 いずれも覆面で顔を覆った不善の(やから)。アッと言う間に美しい装束の田楽師に袋を被せた。
 そのまま担ぎ上げて築地の向こうへ……
 衛士たちが弓を(つが)える暇もなかった。
 大江高範は真っ先に抜刀して切り込んでいる。
 白馬が二、三人を蹴散らし、太刀が三、四人の肩や腰や首を薙いだ。だが、賊どもは怯まず、逆に蛮刀を振るって検非違使に襲いかかる。
 まず馬がやられ、引き摺り下ろされた大江高範──

「して、大江殿は?」
 使者の若者は唇を噛んで項垂れた。
「その場で落命なされたと……」
「うぬ!」
 成澄は天を仰いだ。
「大江殿は責任感の強い御仁だった」
 囮を奪われて傍観している男ではない。それにしても、天下の検非遺使を恐れぬ大胆極まるこの遣り口は──
「ハッ、狂乱丸?」
 拍車して成澄、飛び出した。先を行っている狂乱丸に追いつくと一気に鞍に引き上げる。
「これまでだ! 狂乱丸、この策、取りやめじゃ!」
 いきなりのことで全く訳がわからない田楽師の兄に、弟が拐われたことを成澄は口早に告げた。

 いったん戻った一条堀川の田楽屋敷で、囮作戦の中止を拒否したのは、誰あろう狂乱丸だった。
 弟が拉致されたことを聞いて血の気の失せた頬ながら、きっぱりと言い切った。
「嫌じゃ。止めるな、成澄。俺は今すぐにでも往来へ戻る。京師(みやこ)中を練り歩くぞ!」
「気が違ったか? 婆沙丸は拐かされてしまったのだぞ!」
「ならばこそじゃ! 今、ここで止めるわけには行かない」
 狂乱丸は言うのだ。今ここで止めては、それこそ永遠に婆沙丸の行方はわからなくなる。
 俺もそこへ行って(・・・・・・・・)居場所を突き止める以外、あいつを救う(すべ)はないではないか……!
 悲痛な決意が燦めく双眸から目をそらす検非遺使。
 幾分、声を鎮めて田樂師の兄は続けた。
「なあ、成澄よ。俺と婆沙は今まで別々の場所にいたことがないのだ。だから、俺は必ず弟の処へ行く。それに──弟を護って命を落としたおまえの仲間、検非遺使の大江高範様のためにもこの作戦は続行されるべきだ。彼の死を無駄にはできまい?」
「──」
 成澄は歯を食いしばった。
 自分こそが弟への一筋の〈糸〉なのだと言う狂乱丸の悲しい理屈はわからないでもない。だが、危険が大き過ぎる。現にあれほどの警備をつけながら白昼、まんまと婆沙丸は拉致されてしまったではないか。
 その二の舞を踏むことを成澄は恐れた。賊は相当の手練(てだれ)か、組織だった集団と思われる。連中が一体、どういう種類の人間なのか皆目見当がつかず、その点も不気味だった。
「大江殿が倒した賊どもの死骸を検分して、身元や正体を割り出すことができれば良いが。取り合えず、俺は使庁へ戻る。追捕の長と今後取るべき方策について、改めて話し合うつもりだ。もっと安全で賢明なやり方が絶対にあるはず。こんな……我武者羅に火に飛び込むような手段が正しいとは俺には思えぬ」
 最後の方は独白に近かった。
 実際に見たわけではないが、袋を被せられて連れ去られる彩羅錦繍の婆沙丸の姿が美しい蝶のようにユラユラと脳裏を掠める。同様に目の前の田楽師も篝火に飛び込む綺羅綺羅しい蝶に見えて、辛かった。
 踵を返して出て行く成澄の背にふうわりと声がかかった。
「安心しろ、成澄。今はまだ最悪ではない(・・・・・・)から」
「?」
 足を止めて成澄は振り返った。
「何故、そうと言い切れる?」
「双子だからだ。双子とはそうしたものだ。もし、あれが殺されていたなら──俺だって、今こうして息をしてはいまい?」
 否。一緒に生まれたからとはいえ、双子だとて別々に死んで行く(・・・・・・・・・)のだ(・・)
 その言葉を検非遺使はすんでのところで噛み殺した。
 
「有雪の姿が見えぬが……知らぬか?」
 田楽屋敷の門前、馬を引いて来た配下の衛士に成澄は質した。
 日頃はこれでもかと言うほど目に付くこの屋敷の居候、橋下の陰陽師の姿が今日に限って見当たらない。こんな時こそ、有雪には狂乱丸の(そば)に付いていてもらいたかったのだが。
「全く、いつも肝心の時におらぬ奴よ」
 成澄は改めて部下に屋敷の警護を命じると愛馬に飛び乗った。
 まさか、婆沙(ばさら)丸を拉致した連中が双子の片割れを求めて屋敷にまで乗り込んで来るとは思えないが、用心するに越したことはない。

   ── 婆沙丸? おまえ、今、何処にいる……?

 狂乱丸は自身の念持仏を手に乗せて語りかけてみた。
 屋敷の中は森閑として、たった一人欠けただけとは思えない静けさだ。
 気を紛らわそうと、弟の鼓を鳴らしてみたが、却って胸はさざめくばかり。

   ── だが、安心しろよ、婆沙。おまえが何処にいようと必ずやこの兄が助けてやるからな!

 背後でカラリと襖の開く音。
 振り返ると、そこに藤原盛房が立っていた。どうやら成澄と入れ違いになったようだ。
「聞いたぞ! 大変なことになったな?」
 大股に室を突っ切って狂乱丸の前に来ると、両の拳を打ち振るって〈追捕の長〉は叫んだ。
「こうなった以上、一刻の猶予もない。大路へ戻ってくれぬか、狂乱丸?」
 今回の、〈連続双子拉致騒動〉の総隊長である自分のために、いや、何よりもおまえの弟のために、今一度力を貸して欲しい。盛房はそう言って田楽師に懇願した。
「私には今、誰よりもおまえ(・・・)が必要なのだ、狂乱丸!」
「その言葉を待っていました!」
 袖を翻して立ち上がる狂乱丸。
「私だってこんな処にグズグズしてなどいたくない!」

「おい、狂乱丸はどうした? 何処にも姿が見えぬが──」
 門前に侍る衛士たちに声をかけたのは、いつの間に、何処から湧いて出たのか、薄汚れた白衣の巷の陰陽師である。肩には例のごとく純白の烏。
「これは……有雪殿?」
 衛士たちは吃驚して、口々に訊いてきた。
「先刻、我等が主、中原様が探しておいででしたよ!」
「一体、今まで何処にいらしたのです?」
「大変なことが起こったのです! こちらの田楽師の婆沙丸殿が連れ去られて──」
「なあに。出先で全て耳にしたわ。それで、界隈の妖しい〈気〉の出ている場所を一渡り探って来たところじゃ」
 当然だろう、という顔をしてから、有雪は端整な顔を崩して鼻に皺を寄せた。
「それにしても──拉致された婆沙丸が屋敷にいないのはわかるが、狂乱丸の気配(・・・・・・)すらないのは何故だ?」
「ああ! それならご心配には及びません」
 衛士の一人が笑顔で答えた。
「先ほど、追捕の長である藤原盛房様が直々にいらっしゃって、婆沙丸殿を救うべく、狂乱丸殿と一緒に出て行かれました」
「それは、つまり──囮作戦とやらを続行すると言うことか?」
 瞬間、有雪の顔が引き攣った。
「馬鹿な! まずい……それは、まずいぞっ!」
 日頃の緩慢な動きに似ず、陰陽師は身を翻した。反動で肩の烏がギャッと鳴いて羽ばたいた。
 烏はそのまま天空へ舞い上がる。
「おまえは先に行けっ!」
 大空を一度旋回した後、矢のごとく飛び去る白い護法。続いて有雪も門を走り出た。
 途端、まともにぶつかった人影があった。
「おっと……!」
「──失礼」
 懐から零れた小刀を慌てて拾い上げているのは、先日の少年仏師、天衣(てんね)丸ではないか。
「道祖大路で美しい田楽師が拐われたと聞いて……もしやと思ってやって来たのですが。では、やはり、こちらの?」
「オッ! ちょうどいい! これは僥倖だ! おまえも一緒に来い!」
 言って有雪は少年の腕を掴んで走り出した。
「え?」
「事の仔細は道々話してやる……!」
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