第23話 野馬台詩~やまとし~〈2〉

文字数 6,673文字

 呼ばれてやって来た有雪は白衣も薄汚れた〈巷の陰陽師〉である。
 開口一番、せせら笑って、
「おまえたち、本当にモノを知らぬな? よくそれで恥ずかしげもなく生きていることよ!」
 口の悪さはいつものこと。黙っていれば一見何処の貴人の仮の姿か、と疑ってしまうほど玲瓏なのだが。陰陽師も名ばかり。無位無官で住む場所にも事欠いて、いつの頃からか田楽屋敷に居候の身なのだ。
 この時代、一条橋界隈にはこの手の胡乱な陰陽師、声聞師の類が腐るほどいた。
 その〈橋下の陰陽師〉が勝ち誇って言う。
「これは《野馬台詩》の一節じゃ」
 検非遺使も田楽師兄弟も鸚鵡返しに、
「や、ま、と、し?」
「ふん、本当に知らぬと見えるな?」
 有雪は益々得意げに胸を反らせた。
「有名な未来記だぞ。俺は出だしの一句、〝東海姫氏国〟でわかった。これは──見たところ、その野馬台詩(やまとし)からの抜粋だな?」
 有雪曰く、《野馬台詩》は実際には五言二十四句からなる詩で、遣唐使として中国に渡った吉備真備(きびのまきび)が日本に伝えたとされる。日本の終末を歌った、いわゆる予言書、未来記の類である。
「作者は中国六朝時代の宝誌和尚とか。この和尚、彼の地では観音の化身と崇められたそうな。そんな高僧が、日本は天皇が百代で終わりだと歌ったとさ。大きなお世話だ。尤も、詩句が難解で如何様(いかよう)にも解釈できるので注釈書も後を絶たぬ」
「何故、そんな不気味な詩の断片を美童が持っていたのだろう? しかも、いかにも大切そうに?」
 《野馬台詩》について、おおよその内容を知った後でも謎は謎として残った。
 床に横たわる秋津丸を改めて眺めながら頻りに首を傾げる成澄。
 有雪はそんな検非遺使を横目で見ると、
「おい、この美童はおまえに、最近続いている人死は〈殺人〉だと言い切り、その〈証拠〉を見せると約束したのだろう? その上で、これ(・・)を握っていたとすれば、答えは一目瞭然ではないか」
 田楽師兄弟が同時に声を上げた。
「では、これが?」
「この歌が〈証拠〉だと?」
「うむ。〈証拠〉に通じる……或いは〈証拠〉を暗示したもの……というところか」
 有雪は再び長身の成澄を仰ぎ見る。
「いずれにせよ、美童が生きていたら、おまえにこの詩を指し示して何事か知らせるつもりだったのだろうよ。惜しいことをしたな? おまえが関わりながら、しかも双子まで侍らせながらこの始末か。全く持っておまえたちときたら何の役にも立たない烏合の衆じゃ」
 これには流石に双子が黙ってはいなかった。
「それを言うなら、そもそも、おまえがもっと早く全てを予見して(・・・・・・・)卜占でもたれるべきだったんじゃないのか?」
「兄者の言う通りだ! おまえこそ役立たずじゃ! いつも何かが起こった(・・・・・・・)後で知ったような口を聞く。実際、先のことなど何一つ見通せないくせに。この似非陰陽師が!」
「何だと?」
「よせ」
 検非遺使が割って入った。
「今更言い合っても、それこそ何の役にも立たぬ。それより、どうだ? これから秋津丸の住処へ行ってみようではないか?」
「え?」
「秋津丸の不幸を身内の者に知らせねばならない。また、秋津丸自身の確かな素性について、もっと詳細に知る必要がある」
「……住処を聞いていたのか?」
 検非遺使に問う狂乱丸。その声に悋気の響きを嗅ぎ取って婆沙(ばさら)丸は苦笑した。
 醜いは綺麗、綺麗は醜い……
 光には翳、裏と表……
 普段、芸の上では静謐(せいひつ)な兄、激情の弟と評されるが──
 果たしてどっちが(・・・・)どっち(・・・)なのやら。
 お互いでさえ、時に、わからなくなる。

  秋津丸は一人で暮らしていたのだろうか?
 成澄が秋津丸から聞いていたそこは西ノ京、九条坊門の辺り。古寂びた、いかにも風流人の隠れ家と言った(おもむき)である。
 門前からいくら声をかけても返事はなかった。誰か他に同居人はいないか近隣の人に話を聞きたくても四方十里、家らしきものはない。
「身なりは立派だった。金に窮している風には見えなかったぞ。とすれば──誰か後見人がいるに違いない」
「あの美しさだものな」
 一同、庭に廻って縁より屋敷内に入った。
 屋敷は広くはないが清潔できちんと整えられていた。中でも、南の室に据えられた瀟洒な厨子が目を惹く。狂乱丸はやや皮肉っぽく笑った。
「へえ? 形ばかりでもないらしい。寺童らしく一応、経なぞ読んでいたと見える」
 果たして、厨子の中には何巻かの経文が収められていた。
 その厨子の横の壁に絵が貼ってある。婆沙(ばさら)丸は興味を覚えて近づいた。
「?」
「ほう!」
 成澄も気づいて寄って来た。
「野に遊ぶ馬の絵か……中々よく描けている」
「秋津丸は馬が好きだったのかな?」
「自慢の黒毛に乗せてやれなくて残念だったな、成澄?」
 またしても言葉に(とげ)がある。婆沙丸はそっと兄の袖を引いた。
「兄者……」
「ふん」
 狂乱丸は唇を噛んで縁へ出た。
 ふと気づくと、肩先にスルスルと降りて来たものがある。
 蜘蛛だ──
 自慢の射千玉(ぬばたま)の髪を揺らせて狂乱丸はひっそりと微笑んだ。
 現代人には意外かもしれないが、上古から平安のこの時代に至るまで、〝天井から蜘蛛が糸を垂れる〟ことは吉兆、瑞気として喜ばれた。
 狂乱丸も思わず、古い歌など口遊んでみる。
「〈わが背子が来べき宵なり ささがにの蜘蛛のふるまい かねてしるしも〉……か」
   
   恋人が今夜きっとやって来るにちがいないわ。
   だって、ほら、蜘蛛が糸を垂れている。良いことが起こるよって……

 だが、せっかくの奇瑞に酔う時間は長くは続かなかった。次の瞬間、屋敷内に無粋な声が響き渡ったのだ。
「何だこりゃあ? おーい! 皆、こっちへ来てくれえ!」

 一人勝手に、庭先の離れと思しき一室に潜り込んでいた陰陽師の叫び声だった。
「どうした、有雪? 何か見つけたのか?」
 真っ先に駆けつけた成澄が戸口で息を飲んだ。
「ムッ、これは──」
 主屋(おもや)の方の清潔さとは打って変わって、その室の有様たるや凄まじい。
 ちょうど方丈ほどの大きさ。窓もない、入口の扉が唯一の明り取りらしいそこは、無残なまでに荒れ果て至る処、蜘蛛の糸が樹木のごとく繁茂している。
「ゴホッ、ゴホッ……何だ、ここは?」
「一体、ゴホッ……何に使っていたんだ?」
「使っていないから──こうなったんだろ? それにしても酷い、コホッ、コホッ……」
 室の前で一同、埃に()せながら口々に言い合う。
 だが、やがて、それら悪罵の声は徐々に小さくなって行った。
 暗がりに目が慣れてこの惨憺たる小部屋の奥に蚊帳らしきものが吊ってあるのが見えたからだ。
 皆、ゾッとして肌が粟立った。
 こんな場所に誰か──人が寝ていたのだろうか? いや、今現在、寝ているなんてことは……ないだろうな?
 暗闇にボウッと浮かぶ蚊帳の影……
 とうとう有雪が双子を振り返って、言った。
「おい、どっちか見て来てくれ。おまえたち田楽師なら身が軽くて潜り込み易いだろ?」
 これには兄弟、即座に首を振って、
「おまえこそ行けよ、有雪! 陰陽師はこの手(・・・)の不気味な場所は専門のはず」
「そうとも! あんな処にいるのは、それこそシャレコウベか鬼か……兎に角、物怪(もののけ)の類に決まっている」
「でなければ──秋津丸の後見人か? よし、俺が行こう」
 恐れを知らぬ検非遺使が一歩前へ踏み出した。
 こういう時、やはり頼りになるのはこの男である。

 そこは、蚊帳が吊ってあるだけで夜具もなければ寝ている人もいない、(もぬけ)(から)であった。
 改めて、手燭を探して来て、もう一度念入りに室内を調べたものの何もなかった。
 ただ、蜘蛛の巣だらけの室……
 いつ吊ったのかも定かではない蚊帳の内まで蜘蛛の巣は重く垂れ下がっていた。
 烏帽子は無論のこと、自慢の熊の蛮絵装束まで蜘蛛の巣だらけにして成澄は戻って来た。
「どうやら秋津丸はここ(・・)は全然使ってなかったと見える。主屋で暮らしていたのだろう。──誰だっ!」
 背後の不気味な室内ではなく、明るい光に満ちた庭に向かって検非遺使は声を荒らげた。
誰だ(・・)! そこにいるのは(・・・・・・・)……!」
「誰って……あなたたちこそ(・・・・・・・)、誰だ? 兄の住まいに勝手に上がり込んで?」
「──」
 検非遺使始め、一同暫く凍りついたように身動(みじろ)ぎできなかったのには訳がある。
 庭に立つその影が、今は亡き秋津丸に瓜二つだったからだ。
 今さっき清目に命じて鳥辺野に埋めさせたあの美童が息を吹き返して山を降りて来たのかと──
 蘇って自分の家に帰って来たのかと、皆、総毛立った。
 勿論、そんなはずはなかった。
 よくよく見れば、眼前の若者は、面立ちも背格好も確かに秋津丸と似てはいるが、纏っている装束が明らかに違う。稚児装束に垂髪だった秋津丸と異なり、こちらはきちんと(まげ)を結い烏帽子を着けている。香染の狩衣、濃紫の袴。歷とした武家姿である。
「……秋津丸の身内の者か?」
 漸く、成澄が低い声で質した。
 若者の方も黒刷りの蛮絵に気がついたようだ。
「あ! これは検非遺使様? では、まさか、兄の身に何か……?」
 姿勢を正すと一揖した。
「申し遅れました。私の名は──蜻蛉(せいれい)丸。いかにも、秋津丸の弟にございます」

 検非遺使の中原成澄から兄、秋津丸について悲しい報告を行けた後、蜻蛉(せいれい)丸は暫く動こうとしなかった。
 庭に生えた笹百合の如くその場にじっと佇んで風に弄られていた。
 どのくらいそうしていただろう、やがて、深々と頭を下げた。
「そうですか。皆様には色々とお世話をおかけしました……」

「いつかこんな日が来るのではないかと心配していたのです。その通りになったな」
 屋敷内に一同を招き入れ、(しとね)に座ってから、改めて蜻蛉丸は言った。
「兄は、弟の私が言うのも何ですが、いつまでたっても幼子のようなところがあって──だから、あんな生き方をし続けたんだ」
 元々、両親(ふたおや)を幼くして亡くし二人一緒に寺に預けられていた。が、自分は寺に出入りの武士の目に留まり養子にと望まれると嬉々として寺を出た。その養父の下で元服もした。
 いつまで寺童でもあるまい、先行きが知れている、と兄の身を案じて意見しても兄の方は生活を変えるのを拒んだ。そっちの暮らしが性に合っていると言うのだ。
「花を数え、月を読み、風の音を聞いて暮らすことを兄は好みました。鳥を呼び、虫を愛で……」
馬も(・・)、でしょう?」
「え?」
 婆沙(ばさら)丸の言葉に一瞬、蜻蛉丸は怪訝そうに眉を寄せた。
「兄上はとりわけ〝馬〟がお好きだったのでは?」
「いえ、兄は馬なんか──」
 美しい田楽師の一人が指し示した指の先、壁に貼ってあるその絵を、吃驚したように振り返って眺める弟だった。
「ああ、そうか? そうだった、その馬か……」
 慌てて頷いてから、蜻蛉丸は口早に話を締め(くく)った。
「そう言うわけで──そんな兄の身を心配して、私は月に何度か兄の住まいを訪れていたのです」
 今日もそのつもりで西瓜など下げてやって来たのだ。


「可哀想なことをした。結局、常々有雪が言う通り、俺は無力だ……」
 こういうことがあるたびに呟く言葉を、成澄はまた繰り返した。
 一同、一条堀川の屋敷へ戻って盃を酌み交わしている。今宵は秋津丸の弔いの酒である。
「……可哀想な兄弟だ」
 検非遺使に同意して嘆く婆沙丸。すかさず狂乱丸が、
「美しい兄弟でもある。どこの寺にいたのか知らぬが、二人して稚児だった時はさぞや人気を二分したろうな?」
「そこさ」
 割り込んで来たのは陰陽師。
「美し過ぎて何やら妖しい。ありゃ、幻かも知れぬぞ?」
 この言葉を聞いて検非遺使も田楽師も一斉に白衣の男を眺めやった。
 肩に白い烏を留まらせ、やたらに盃をあおっているのはいつものことだが。目が妙に底光りしている。こういう時この男は一段と奇怪である。
「何が言いたい、有雪? まさかあの兄弟が妖しの類だとでも?」
「だが、秋津丸の方は普通の人間だったぞ」
「だからこそ──死んでしまった。妖しみたいな存在しないもの(・・・・・・・)は死にもしないんだろ?」
 美童が握りしめていた紙片。その手を開いた時の、かぼそい骨の音を思い出しながら婆沙丸は言う。
「それに、蜻蛉丸だって、今日、確かに庭に立っていたじゃないか?」
「ふふん、庭に立つ(・・・・)のは人ばかりではない。蚊柱も、陽炎も、立つぞ。確かに立つぞ?」
「──?」
 ポカンとする三人の顔を見回して陰陽師は露骨に舌打ちをした。
「チッ、本当に無学で鈍い奴等よ。これだけ謎かけしても気づかないとはな! ああ、嫌になる。物足らん。こんな連中と酒を飲まなきゃならぬとは」
 狂乱丸が素早く盃を奪い取った。
「何、飲んでくれなくとも良い。これは俺たちの酒だからな」
「おっと──」
 有雪は慌てて、
「わかった、ちゃんと説明するからそれをこっちへ戻せ。つまり、俺の言いたかったのは……おまえたちに気づいてもらいたかったのは……あの兄弟の名前(・・)さ! 面白いじゃないか?」
 改めて陰陽師は意味深な目つきで一同を見回した。
「兄は秋津丸、弟は蜻蛉丸と来た。おい、そりゃ、古語で言うところ、どっちも〈陽炎〉の意じゃ!」
 有雪は胸を反らせて呵呵笑った。
「どうだ? このこと、おまえたちは気づかなかったろう? 俺はすぐわかった! 学のあるものはこれだから楽しい!」
「くだらん」
 言下に狂乱丸。
「何かもっと実のある話かと期待したら──単に名前(・・)の話かよ? 兄弟で似た名をつけるのはよくあること。それが何だと言うんだ? 現に俺たちだって、最初、師匠は菖蒲丸と綾目丸にしようかと悩んだそうだぞ」
 綾目丸になるところだった婆沙丸も吐き捨てた。
「全く、おまえときたらいつもそうやって役にも立たぬ自分の知識をひけらかす他、能がないのかよ?」
 成澄がピシリと言い切った。
「おい、有雪よ? その自慢の博識とやらを大いに活用して、例の秋津丸が握っていた《野馬台詩》に隠された意味を解いて見せろ。それができたなら──その時こそ、俺は心底おまえを尊敬してやってもいいぞ?」

「成澄には悪いが、それこそ時間の無駄じゃ」
 宴も果て、酔い潰れて床で鼾をかいている検非遺使に夜具を掛けてやりながら狂乱丸は呟いた。
 有雪の方は決して酔い潰れることはない。酒がなくなるとさっさと自室へ引き上げるのが常だった。
「死者の悪口は言いたくないが、秋津丸は成澄の気を引きたくてあんな突飛なことを言ったに違いない」
 倒れた酒瓶や盃を片付けていた婆沙丸が手を止めて何か言おうとしたが、兄は遮って、更に続けた。
「現に弟の蜻蛉丸も言っていたじゃないか。秋津丸は寺童の暮らしに執着していたと。だが、住まいを持っていたというのはもう寺からは出たということ。俗人の暮らしをせず稚児並みの優雅な日々を送るためには、純真な恋心にせよ金銭的な下心にせよ、検非遺使の成澄は格好の獲物だったはず」
「ならば、握っていたあの詩は何だったんだ?」
「だから、単に持っていたに過ぎない。あれに特別の意味などないさ。逢引の際のちょっとした話題作り……或いは、単に好きな詩だから、とか」
 婆沙丸は同意しなかった。
「待てよ、兄者、蜻蛉丸はこうも言っていた(・・・・・・・・)。『兄は花を愛で月を読む』いたく風流な好みだと。そんな奴が、未来記か何か知らぬがあんな訳のわからない詩を好むとは俺には思えない。逢引用の小道具ならもっとマシな、それらしい詩を選ぶさ」
 だから、絶対、あの詩には何か特別な意味(・・・・・)が込められているのだ。
「──」
 珍しく兄弟の意見は分かれた。
 謎は田楽屋敷を覆うその夜の、新月の闇よりなお一層濃い。




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