第105話 白と赤 〈7〉
文字数 2,648文字
「なんだ?、これは……?」
布留佳樹 の指し示す彼方。
その白い指の先には意外な光景が広がっていた。
見晴るかす緑。
どこもかしこも緑だ。
その濃い緑の中に点点と散る白。
「みどり……しろ……」
有雪 は唸った。
「今度は白と緑 だと? 白と赤ではなく?」
身を翻して問う。
「何が言いたい? おまえは俺に何を伝えようとしているのだ、佳樹よ?」
が――
振り返ったそこに帝の陰陽師の姿はなかった。
「!」
飛び起きて周りを見回す。
囂囂 と燃え盛る護摩壇の火。その周囲で蠢く黒衣の集団。地鳴りのように響き渡る咒を念じる声。
「いつの間に? 俺は寝ていたのか。ハッ、成澄 ?」
果たして、すぐ傍らには大刀を抱えて座ったまま眠りこけている検非遺使の姿があった。そしてその先、夜具に寝かされている布留佳樹。
「おまえ か? またしても、おまえが見せた夢かよ?」
背中を冷たい汗が流れる。橋下の陰陽師は座り直して自問自答した。
それにしても、今度はなんだ?
緑に白。
草原に降る雪?
いや、違うな。
有雪は首を振る。
生憎 、俺は雪には詳しいんだ。
あれは雪じゃない。雪はもっと軽やかだ。降るなら降るで動きがあるはず。止んでいるなら、もっとこう……全てを覆い尽くす。あんな風に〈緑〉を残したりはしない。
先刻の夢の中の光景の〈白〉は固まって いた。
緑の中で止まって動かず、凝結していた。だから、あの白は雪じゃない。
となると――なんだ?
「こりゃまた、凄いお屋敷ですね?」
検非遺使に連れられて布留邸の大広間に入って来た若者が思わず感嘆の声を漏らした。
「帝の陰陽師様の邸宅なんですか? へえ!判官 様が呼びにいらっしゃるから――俺はてっきり一条堀川の田楽屋敷へ行くものと思っていたのに」
「おう、よく来たな、天衣丸 ! こっちじゃ」
「あ! 有雪殿! やあ、白烏も元気そうだな!」
出迎えた一人と1羽を見て懐かしそうに若者は目を細めた。
「こんな処で何をやってらっしゃるんです、有雪殿? ひょっとして――そうか! 遂に官人陰陽師に採用されたんですね? それはおめでとうございます!」
祝福の言葉を五月蝿そうに遮って有雪、
「そんな事はいいから。今日、おまえを呼んだのはほかでもない。頼みごとがあるのだ。さあ、天衣丸、俺の言う光景をそのまま絵にしてくれ」
「は?」
天衣丸と呼ばれた若者は一瞬、目を見開いた。その後でクスクスと笑い出す。
「俺は仏師ですよ? 絵師じゃないんだけどな!」
この少年仏師こそ、後の世に天才と讃えられる運慶その人である。過去、縁あって有雪はじめ田楽屋敷の住人とは懇意の仲なのだ。
「この際仕方がない。俺は絵師に知り合いはないからな。いいじゃないか、仏師も絵を描くんだろ? つべこべ言わずに描け」
相変わらず誰に対しても偉そうな口を利く橋下の陰陽師である。
その陰陽師、出来上がった絵を見て相好を崩して叫んだ。
「なかなか上手いじゃないか! うん、こんな感じだった!」
紙一面、緑に塗りたくった中にポッ、ボッ、ポッと白くて丸い小さな塊がある。
塊はどれも静止しているようで動きは感じられない。
「なんだ、そりゃ?」
横から覗き込んで問う検非遺使尉 。
「わからぬ。わからぬから――こうして絵にしてもらった」
有雪は絵を成澄に突き出した。
「どうだ? これなら、俺だけじゃなく 万人が見ることができる。これを見せて歩いて、描かれているものが何なのか、それがわかる人間を探すのさ」
「なるほど!」
「天衣丸よ、悪いが同じものをあと10枚ほど描いてくれ。早速、検非遺使に持たせて京師 中を走ってもらう」
「お安い御用です」
ささっと描き出す少年仏師。
「こんなのなら何枚でも描ける。軽いものだ。私はまた菩薩でも描けと言われるのかと思った」
「そうだった! おまえら仏師の専門はそれだったな」
思い出すように遠い目をする巷 の陰陽師。
「観音菩薩に勢至 菩薩……おまえが双子に彫ってやった日光・月光 も見事だったものな!」
「博識の有雪殿にお褒めいただき光栄の極みです」
「そうか、菩薩は得意か……」
橋下の陰陽師の切れ長の目が底光りした。
「ならば、ささっとそっちを描いた後で……もう一枚、描いてもらおうかな」
「な、何です?」
白と緑の、不可思議な模様のような絵の後で、南都出身の少年仏師が描いたのは……
有雪が最初に見た夢の光景だった。
白い装束に赤を散らした舞人たち――
腰までの長い黒髪を風に靡かせ、手に手に緑の葉が揺れる枝を持っている。
「ふう! 今度のは流石に時間がかかりましたよ」
汗を拭う天衣丸。
それでも満足そうに注文主に視線をやって微笑んだ。
「如何です? お気に召しましたか?」
その注文主・有雪は、出来上がったばかりの絵を無言のまま食い入るように見つめている。
「――」
「……おや? これなら俺にもわかるぞ!」
肩越しに覗き込んだ成澄が声を上げた。
「狂乱丸 だ! そうだろ?」
「おまえもそう思うか?」
静かに頷く有雪。
「俺にもそう見えた。だから、そのように天衣に頼んで描かせたのだが」
つくづくと息を吐いて、
「そうだ、このとうりだった……」
「では、これが? 瀕死の佳樹がおまえに見せたという光景なのか? ウーム……」
頭を寄せて絵に見入る二人だった。
肩の白烏 が窮屈がって羽ばたいた。
我に返って、ボソッと有雪が漏らした。
「まあ、こっちの光景の意味は大体わかるのだが……」
「え? そうなのか? ならば教えろ! すぐに教えろ! 勿体ぶるなよ!」
「うむ。おまえは知らないだろうがな」
例によって、一言、言わなくてもいいことを口にしてから巷の陰陽師は語り出した。
天衣丸も筆を仕舞って興味深そうに姿勢を正す。
「《古事記》という古い時代の出来事を記した書物にこれにそっくりの場面がある」
白と赤。
それを連想させる光景はあそこしかない――
その白い指の先には意外な光景が広がっていた。
見晴るかす緑。
どこもかしこも緑だ。
その濃い緑の中に点点と散る白。
「みどり……しろ……」
「今度は
身を翻して問う。
「何が言いたい? おまえは俺に何を伝えようとしているのだ、佳樹よ?」
が――
振り返ったそこに帝の陰陽師の姿はなかった。
「!」
飛び起きて周りを見回す。
「いつの間に? 俺は寝ていたのか。ハッ、
果たして、すぐ傍らには大刀を抱えて座ったまま眠りこけている検非遺使の姿があった。そしてその先、夜具に寝かされている布留佳樹。
「
背中を冷たい汗が流れる。橋下の陰陽師は座り直して自問自答した。
それにしても、今度はなんだ?
緑に白。
草原に降る雪?
いや、違うな。
有雪は首を振る。
あれは雪じゃない。雪はもっと軽やかだ。降るなら降るで動きがあるはず。止んでいるなら、もっとこう……全てを覆い尽くす。あんな風に〈緑〉を残したりはしない。
先刻の夢の中の光景の〈白〉は
緑の中で止まって動かず、凝結していた。だから、あの白は雪じゃない。
となると――なんだ?
「こりゃまた、凄いお屋敷ですね?」
検非遺使に連れられて布留邸の大広間に入って来た若者が思わず感嘆の声を漏らした。
「帝の陰陽師様の邸宅なんですか? へえ!
「おう、よく来たな、
「あ! 有雪殿! やあ、白烏も元気そうだな!」
出迎えた一人と1羽を見て懐かしそうに若者は目を細めた。
「こんな処で何をやってらっしゃるんです、有雪殿? ひょっとして――そうか! 遂に官人陰陽師に採用されたんですね? それはおめでとうございます!」
祝福の言葉を五月蝿そうに遮って有雪、
「そんな事はいいから。今日、おまえを呼んだのはほかでもない。頼みごとがあるのだ。さあ、天衣丸、俺の言う光景をそのまま絵にしてくれ」
「は?」
天衣丸と呼ばれた若者は一瞬、目を見開いた。その後でクスクスと笑い出す。
「俺は仏師ですよ? 絵師じゃないんだけどな!」
この少年仏師こそ、後の世に天才と讃えられる運慶その人である。過去、縁あって有雪はじめ田楽屋敷の住人とは懇意の仲なのだ。
「この際仕方がない。俺は絵師に知り合いはないからな。いいじゃないか、仏師も絵を描くんだろ? つべこべ言わずに描け」
相変わらず誰に対しても偉そうな口を利く橋下の陰陽師である。
その陰陽師、出来上がった絵を見て相好を崩して叫んだ。
「なかなか上手いじゃないか! うん、こんな感じだった!」
紙一面、緑に塗りたくった中にポッ、ボッ、ポッと白くて丸い小さな塊がある。
塊はどれも静止しているようで動きは感じられない。
「なんだ、そりゃ?」
横から覗き込んで問う
「わからぬ。わからぬから――こうして絵にしてもらった」
有雪は絵を成澄に突き出した。
「どうだ? これなら、
「なるほど!」
「天衣丸よ、悪いが同じものをあと10枚ほど描いてくれ。早速、検非遺使に持たせて
「お安い御用です」
ささっと描き出す少年仏師。
「こんなのなら何枚でも描ける。軽いものだ。私はまた菩薩でも描けと言われるのかと思った」
「そうだった! おまえら仏師の専門はそれだったな」
思い出すように遠い目をする
「観音菩薩に
「博識の有雪殿にお褒めいただき光栄の極みです」
「そうか、菩薩は得意か……」
橋下の陰陽師の切れ長の目が底光りした。
「ならば、ささっとそっちを描いた後で……もう一枚、描いてもらおうかな」
「な、何です?」
白と緑の、不可思議な模様のような絵の後で、南都出身の少年仏師が描いたのは……
有雪が最初に見た夢の光景だった。
白い装束に赤を散らした舞人たち――
腰までの長い黒髪を風に靡かせ、手に手に緑の葉が揺れる枝を持っている。
「ふう! 今度のは流石に時間がかかりましたよ」
汗を拭う天衣丸。
それでも満足そうに注文主に視線をやって微笑んだ。
「如何です? お気に召しましたか?」
その注文主・有雪は、出来上がったばかりの絵を無言のまま食い入るように見つめている。
「――」
「……おや? これなら俺にもわかるぞ!」
肩越しに覗き込んだ成澄が声を上げた。
「
「おまえもそう思うか?」
静かに頷く有雪。
「俺にもそう見えた。だから、そのように天衣に頼んで描かせたのだが」
つくづくと息を吐いて、
「そうだ、このとうりだった……」
「では、これが? 瀕死の佳樹がおまえに見せたという光景なのか? ウーム……」
頭を寄せて絵に見入る二人だった。
肩の
我に返って、ボソッと有雪が漏らした。
「まあ、こっちの光景の意味は大体わかるのだが……」
「え? そうなのか? ならば教えろ! すぐに教えろ! 勿体ぶるなよ!」
「うむ。おまえは知らないだろうがな」
例によって、一言、言わなくてもいいことを口にしてから巷の陰陽師は語り出した。
天衣丸も筆を仕舞って興味深そうに姿勢を正す。
「《古事記》という古い時代の出来事を記した書物にこれにそっくりの場面がある」
白と赤。
それを連想させる光景はあそこしかない――