第60話 鄙の怪異 〈6〉

文字数 3,934文字

「おや? またあの子だ!」
 川への道すがら、成澄の声に有雪は顔を上げた。
 昨日の、口がきけないという少女がまた三人の後ろを遠巻きについて来ていた。
 成澄は明るく笑って、
「フフ、あの子の目に、俺たちはよほど物珍しく見えてるんだろうな?」

「ここか?」
 そこはかなり大きな川の河原だった。
 勿論、宴を張っていた際の酒瓶や盃、皿の類は綺麗に取り片付けられていた。
 残っているのは魚を焼いたらしい炉を組んだ跡だけ。
「ここで、ちょっと待っていてくれ」
 犬飼が言った。詳しい状況を聞くために、その日、長男と一緒に魚を釣っていた邑人(むらびと)を連れて来ると言う。
 有雪と成澄は河原で待つことにした。
「うまいもんだな!」
 暇つぶしに川面へ石を投げる有雪を見て成澄が感嘆の声を上げる。
 試しに自分もやってみたが、四、五回であっけなく石は水中に沈んだ。有雪は優に十回は跳ねさせる。
「それも、陰陽道の術の一つか?」
「馬鹿な。子供の頃覚えた、遊びの技さ」
 勝負にならないので成澄は石を捨てて、土手の上に蹲っている少女の傍へ行った。
「逃げなくてもいい。俺たちは恐ろしい人間ではないぞ。
 ほう? おまえ(・・・)もうまいものだな!」
 少女は地面に絵を描いて遊んでいた。
 川縁にそよぐ夾竹桃や山吹、紫陽花の花。
 人の顔もある。
「これは飛騨丸、そして、安芸丸だな?」
 特徴を巧く捉えているので成澄にもすぐ名を言えた。
 この他にも、成澄が知らない何人かの顔。多分、邑人だろう。優しげな女の人や、老婆……
「やや! これは─」
 烏帽子の男を見つけた。
「受領の甥だろう? あはは、こりゃあいい! 小狡くて意地の悪そうな顔つきがそっくりだ!」
 少女の頭を撫でながら成澄は褒めた。
「モモといったな、おまえ? 本当に上手だ! 絵師になれるぞ!」
 木の枝を削った棒を握って少女が描き出す線画の世界。
「どれ、俺の顔も描いてくれ」
 喋れなくとも言っていることは理解できるようだ。少女はニコッと笑って地面を引っかき始めた。
「うまい、うまい!」
 アッという間に描き上がったそれを見て成澄は手を叩いて喜んだ。
 片目を布で縛った検非遺使の精悍な感じがよく出ている。
 有雪もやって来た。
「おう、見てみろ、有雪。うまいもんだろう?」
「本当にな!」
「よし、モモ、次はこの男を描いてみろ」
 成澄が言うと、また嬉しそうにこっくり頷く少女。
 小さな手にしっかりと握られた枝の筆から、たちまち束髪の陰陽師が描き出される。
「ほほう?」
 犬飼が証人を連れて戻るまで、二人は少女の描く絵を見て過ごした。


 男は名をオビトと名乗った。受領の長男・資盛(すけもり)と同じ年の若者だった。
「何をお知りになりたいのでしょう?」
「受領の長男が亡くなった日の様子を詳しく話して欲しい」
「あの日、私たちは昼過ぎから魚を釣っていました。資盛様がお食べになりたいというので。
 そして、魚を釣って、帰りました」
 オビトの話は素っ気無かった。
「ちょっ……もっと詳しく話してくれ」
「詳しくも何も、それだけですよ。魚を釣って、それを資盛様に渡して、それで、私は帰りました」
「一緒に飲み食いしたのではないのか?」
「まさか。私は資盛様と一緒に食事をしたことなどありません。誘われるはずがない」
「友人なのに?」
 薄っすらとオビトは笑った。
「私は資盛様の友人などではありませんよ。私は子分……召使です」
「でも、仕えていたわけではないだろう?」
「それはそうですが。手当をもらえる従者の方がまだましかも知れません。受領様御一家はここでは特別だ。邑人は全てあの方たちの従者みたいなものです」
 川の反射が眩しい、と言うように若者は目を細めた。
「ですから、あの日も、魚が食べたいとおっしゃる資盛様に、私が釣って、充分に釣った後で私は帰りました」
「それが本当なら、資盛が死んだところは、おまえは見てはいないのだな?」
「はい。ここに筵を敷き、食器を並べ、食事の準備はして帰りました」
「これを組んだのもおまえか?」
 有雪の指は河原の炉を指していた。
「そうです。火を起こして、すぐに魚が焼けるように、そこまでは用意して帰りました」
「受領の長男が死体で見つかったのは翌朝だったな?」
「はい。通りがかった者が見つけて、凄い騒ぎになりました。私も駆けつけましたよ」
「死に様を見て、どう思った?」
「哀れだと。ひどく苦しんだ様子でしたから」
 若者は乾いた声で訊いた。
「もう行ってもよろしいですか?」


 オビトが去ってからも暫く有雪は腕を組んだまま考え込んでいる様子だった。
 成澄が声をかけた。
「どう思う?」
「さっぱりわからぬ」
 正直に有雪、
「この長男と、昨日は奥方。そして、今朝の(あるじ)
 これで一応全員の死に様を見聞きしたが。はて? さっぱりわからぬ」
「おまえでもか?」
おまえこそ(・・・・・)、検非遺使なのだ。死体に接することの多い役目柄、何か気づいたことはないのか?」
「え?」
「え?」
 成澄と犬飼、二人一緒、異口同音に驚いた。
「チェ、今更、隠す必要もなくなったからな。
 アヤツコ、こいつは俺の弟子じゃあない。検非遺使だよ。天下の判官殿さ」
「!」
 犬飼は狼狽した。いきなり河原にひれ伏す。
「いいから」
 そんな犬飼の腕を引っ張って立ち上がらせる成澄だった。
「だっ、でも、判官様を? 雪丸は友のように〝こいつ〟呼ばわりしているのかよ?」
 弟子と偽ったこと以上に、そのことに犬飼は吃驚している。
「友だからな」
 成澄は笑った。
「そして、おまえも、そうだよ、アヤツコ?」
「!」
「だな。一緒に飲み食いした者は――饗食した者はその時より友になる」
 有雪も頷くのだ。
「鳥辺野で俺たちがそうだったようにさ?」
 15歳。葬送の山で粥を分け合った雪丸とアヤツコ。
「うむ。我ら、昨夜は、大いに飲みまくったものなあ!」
 鄙のあばら屋で鍋をつつき濁り酒に酔った成澄、有雪、犬飼。
「それを思うと――」
 受領の長男を『友ではない』と言い切ったさっきの若者の思いが痛烈に三人の胸を刺した。

「改めて訊くがよ、受領一家の死に様について、おまえはどう思う、成澄?」
 有雪が話を戻した。
「皆、別々だな。つまり、共通点が一切ない」
 検非遺使らしく成澄が指摘した。
「三人とも、全く違う(・・)死に方をしている。
 俺が思うに、長男は〈中毒〉、奥方は〈急な病〉、というところか。
 一番はっきりしているのは主の〈殺人〉だな」
 犬飼が首を傾げた。
「俺なんかに言わせると、主以外は、〈呪詛〉に因る死に見えなくもないのだが……」
「俺も、実は引っかかるのはそこ(・・)なのだ」
 幼馴染の言葉に有雪も同意した。
「主が先の二人のような得体の知れない(・・・・・・・)死に方をしていたなら、全員〈呪詛〉と片付けても良かったのだからな」
 つくづくと有雪は言った。
「もし本物の強い術者がいて、呪詛をかけたのなら、主だってそれらしい(・・・・・)謎の死に方をしたはずだ」
 だが、そうではなかった。
「何故、主だけ、ああも明白な死に方……喉を刺し貫かれた〈殺人〉だったのか?
 そして、そのせいで、先の二人の死まで、実は〈殺人〉だったのではないかと疑いたくなると言うものさ」
 暫く口を閉ざした後で有雪は言った。
「〈呪詛〉だったら、俺は犯人を見つけ出せないだろう」
「え?」
 日頃、尊大で自信家のこの男の言葉とも思われない。
 驚く成澄に橋下の陰陽師は言った。
「人を呪い殺せるほどの術者を俺なんかが捕らえられるものか。そんな真似したらこっちが危ないわ。
 逆に言えば、人を呪いで殺せる人間などそうそう存在しないということさ。
 そら、俺以上の陰陽師がそうそう存在しないようにな」
「……」
 例によって、人を食った胡散臭い論法である。成澄が抗議しようとした時、
「おや?」
 土手でずっと絵を描いていたモモが駆け出した。
 見ると、こちらへ歩いて来る人影がある。
 牛飼い童の飛騨丸だった。
 昨日もそうだったが、よく懐いていると見えて少女は嬉しそうに飛騨丸に飛びついた。
「おまえか、飛騨丸? 何処へ行くのだ? 甥御殿の使いか?」
 成澄が親しく声をかけた。
「いえ、ちょっと家まで」
「実家のことさ」
 犬飼が教えてくれた。
「あいつにはこの川の上流(かみ)に年老いた母親がいるんだ」
 牛飼いは腰に小魚を数尾ぶら下げていた。川縁で釣ったものらしい。
 ふと思いついて、有雪が訊いた。
「おまえも、このようにして食べるのか?」
 河原に残った炉の跡を指差す有雪。
 即座に飛騨丸は首を振った。
「いえ、私たちは外では飲み食いはしません。食事は家の中でします」
「ハハハ、違いない! 外で飲食するのは風流を尊ぶ貴人だけだものな!」
 微苦笑して陰陽師は訊き直した。
「俺が知りたかったのはそのことじゃない。釣った魚の食べ方さ」
「ああ」
 合点がいったらしく、飛騨丸は炉を見つめて頷いた。
「魚は串に刺して、火で炙ります。焼いて食べます」
「そうか」
 会釈して、少女と一緒に牛飼いは去って行った。
「まただ、あの娘……」
 後ろ姿に低く呟く有雪。
 橋下の陰陽師の、その揺れる眼差しに成澄も気づいた。
「何だ? 何か気にかかることでも?」
 有雪はサッと首を振った。
「いや、何でもない」



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