第18話 双子嫌い 〈6〉

文字数 4,965文字

「もぉし……頼もう……!」
 轟々たる大音声が響き渡る。
 背後に一隊引き連れた蛮絵の黒装束、検非遺使慰(けびいしのじょう)・中原成澄が(くだん)の屋敷の門前に立ったのは翌日も既に夕刻であった。
「これは……天下の判官殿が一体、何用であろう?」
 いったん退いて検非遺使の来訪を告げた引き継ぎの若い僧に導かれて、この屋敷の主が〈(ひさし)の間〉まで出て来た。
「貴僧が法橋寛誉(ほっきょうかんよ)殿か?」
 直に対面して、その顔を目の当たりにした刹那、成澄は身を震わせた。
「いかにも。私が法橋寛誉である」
 検非遺使が体を強ばらせたのを逡巡と見て取った高僧は、殊更威厳を正して繰り返した。
「して、何用か?」
 再び口を開いた時、検非遺使の言葉には微塵の澱みもなかった。
「この屋敷で妖しき行いがなされていると通報して来た者がある。本日はこの中原成澄が邸内を隈無く改めさせてもらう」
 法橋の方も寸分もたじろぐ様子が見えない。
「これはこれは。多方(おおかた)、私の地位や栄達を(ねた)んだ(やから)による讒訴(ざんそ)の類であろう。とはいえ、あらぬ疑いを掛けられては、私こそ迷惑」
 微笑さえ浮かべて身を翻した。
「それで判官殿のお気が済むなら、どうぞ存分にご検分なされよ」
「では、遠慮なく」
 成澄は大刀を鳴らせて(くつ)のまま駆け上がった。
 配下の衛士たちもそれに習いドッと後に続く。
 一町家を誇る広い邸内、目に付く限り次々と室を改めて行く屈強な衛士たちの、力任せに襖を引き開ける耳障りな音が彼方此方に響き渡る。
 流石に僧たちは寛誉の周りに集まって不安げにさざめき出した。
「寛誉様?」
「よろしいのですか?」
「あれ、あのように検非遺使どもの自由にさせて──」
「案ずるな」
 泰然として寛誉は頷いた。
「我々は何も残してはおらぬ。忘れたか? あれ(・・)に関する何ら証拠を我等は有していない。何を恐れることがある?」
 双子を幽閉している室は特殊の隠し部屋である。屋敷を解体でもしない限り容易には見つけられまい。
 端麗な唇を歪めて法橋は笑った。
「それに、これは実に良い機会である。前関白の覚えめでたいこの私の屋敷を荒らして……何も出て来なかったとしたら?」
 門前で拒否することもできたのだ。敢えて、そうしなかったのは──
(これだけ踏み荒らして何も出て来なかったその時こそ、ただで済むと思うなよ、中原成澄とやら?)
 使庁における成澄の勇名を寛誉も知っていた。
 篤実で豪放磊落なその気質から、前・現関白は言うに及ばず、院や帝にまで寵愛されていると聞く。
 実際、今回の双子拉致騒動に関して〈追捕の長〉に現関白・藤原忠通はこの中原成澄を強く押して譲らなかった。前関白に働きかけてそれを覆させたのは他ならぬ寛誉だった。
(だが、その名声も今日までだ。おまえの失脚を聞いたら、さぞや盛房が喜ぶだろう。おや? これは早くも私の修した〈双身法〉の効験が顕れたかな?)
 昨夜の修法が(・・・・・・)あの検非遺使を(・・・・・・・)ここへ呼んだのだ(・・・・・・・・)……!
「だとしたら──哀れよのう? 己の身を滅ぼすとも知らずこんな乱暴な振る舞いをして、フフフ……」
 寛誉が堪えきれずに笑い声を漏らしたのと、ほぼ同時だった。
 屋敷の一角から衛士たちのただならぬ叫び声が上がった。
「おう……!」
「何と……!」
「は、早く、此方へ! 中原様!」
 時を置かず、その中原自身の声が響き渡る。
「何だ、これは……!」
「?」
 法橋寛誉も僧衣を翻してその場へ駆けつけた。
 邸内は北の対屋(たいのや)
 開け放された襖の向こう、室の中央に存在するはずのない像があった。

   《  双身毘沙門天立像  》

「まさか……そんな……こんな処に(・・・・・)?」
 絶句する寛誉。
 像の横で中原成澄はゆっくりと高僧を振り返った。
「ほう? これは珍しいものを所有していらっしゃる。まさしく、これこそ、外法の像……〈双身毘沙門天〉とか言うのだろう?」
 検非遺使の声は凪いだ海原の如く静かだった。
「これが動かぬ証拠である。申し開きは使庁で聞く」
 部下たちを眺め渡して、
「この屋敷にいる者、一人残らず絡め捕れっ!」
 二人、三人、築地塀を乗り越えて外へ逃れようとした輩もあった。
 が、周囲は既に衛士に取り囲まれていた。文字通り、蟻一匹這い出る隙間もなかったのである。
「ば、馬鹿な! 像など存在するはずはない! 私は実際、そんなもの(・・・・・)持っていない(・・・・・・)のだから……」
 狼狽える法橋。しかし、もはや後の祭りだった。
「嵌められた……私は嵌められたのだ! そ、そこにある像は……断じて私のものではない(・・・・・・・・)……!」
「ここで夜毎、胡乱な秘儀が執り行われていたのは事実である。その秘儀の本尊こそ、これ、〈双身毘沙門天〉像だろうが? 眼前のこの像が貴僧のものでないなら──では、一体、誰のものだと言うのだ?」
 悽愴な笑みとはこういう笑い方を言う。検非遺使は狼のように瞳を燦めかして笑った。
「こんな異様の像を有しているのは、秘儀に通じた(・・・・・・)貴僧の他にいるはずもない。きっぱりと観念なされよ……!」
 
 引っ立てられていく際、寛誉は今一度、足を止めてその像を振り返った。
 まさしく……昨夜、修法した双身像と瓜二つであった。
 見れば見るほど、あの田楽師兄弟の容貌──
 だから、寛誉自身、生身のそれを仕舞い忘れたかと、一瞬焦ってしまった。それほど(・・・・)そっくりだった。
(だが、そんなはずはない。そんなはずはないのだ……!)
 よくよく見れば、像は木の肌から成り、昨夜の双子のようにその内側に熱い血は巡っていない。
 更に、もっと近寄って見ることができたなら、それが今さっき彫り出したと思しき鑿痕(のみあと)も荒々しい(かや)の彫像だということを、寛誉も容易に知り得たであろう。
 成澄が屋敷に踏み込むのが夕刻になった(・・・・・・)理由はまさにここにある。
 言い方を変えれば、夕刻までに(・・・・・)それは仕上がったのだ。
 信じ難い早業ではある──

 この〈双身毘沙門天〉像を彫り上げた者こそ、天衣(てんね)丸。南都出身のあの少年仏師だった。
 天衣丸が心血を注いで一心不乱に彫り上げた像を成澄は屋敷に乗り込む際、配下の衛士の群れに紛れさせてこっそり邸内に持ち込んだのだ。必要以上に荒々しい屋敷への突入はこのためであった。
 狂乱・婆沙(ばさら)の兄弟は法橋寛誉の捕縛より遅れること半日。払暁の頃に至って、漸く屋敷内の隠し部屋より救出された。
 有雪が推量した通り、二人とも唐渡りの秘薬によって意識がなかった。
 兄弟が完全に覚醒したのはその日の昼遅くなってからである。
 この種の秘薬の調合法を寛誉は熟知していて、私兵として使っていた何十人もの男たちは、食い詰めた浮浪の徒から屈強な者を撚りすぐり集めては薬を与えて自在に操っていた。双子を拉致する際の恐れを知らぬ戦い方は薬による高揚感から来ていたのだ。

 惜しいかな、天衣丸が一日にして彫り上げた〈双身毘沙門天〉像は今に残っていない。
 これには更に込み入った事情があった。
 法橋寛誉は前記したように現関白・藤原忠通の実父である前関白・藤原忠実の信頼厚く、寺を統制する補佐役に任命されていた。
 その寵愛の僧の、影の悪行に激怒した忠実は、彼を登用した自らの名を汚さないためにも公の場で裁くことを望まず、内密に断罪した。
 実父故、現関白も抗し難く、結果、今回の騒動に関わる一切は公式に残すことを許されず(ことごと)く廃棄された。天衣丸の像然り、中原成澄の検非遺使記録文書然り……
 唯一、処刑当日、忠実のもう一人の息子、次男の藤原頼長の日記に簡単な記述が残るのみである。

  《 台記 》より。
 
    久安三年(1147) 十月二十四日の条
    禅閣、法橋寛誉を殺す。世を持って刑罰法に(すぐ)るとなす……
    【 抄訳: 父忠実が法橋寛誉を殺した。
          刑法などより自分の意思が優先とは、何と言う驕りであろう! 】

 同日、寛誉に(くみ)していたとして、検非遺使・藤原盛房なる者も処刑された。
 この二人が双子の兄弟であったことは公然の秘密である。
 二人の父、前大蔵卿・藤原為房は当時貴人によくあった双子嫌いの因習から、生まれるとすぐ弟の方を寺に預けた。母たる人の反発もあって兄弟はこっそり行き来して父の仕打ちを恨みつつ育ったと言う。
 成澄は屋敷に押し入った際、寛誉を一目見てその事実を了解した。(一瞬の身動ぎはそのせいだったのだ)僧衣と蛮絵装束の違いはあれど、寛誉と盛房は生き写しであった……
 かくのごとくそっくりで、仲が良く、一緒に育ちたがっていた二人が同じ日に死を賜ったのは皮肉というより他ない。それとも──
 せめてもの救いだったのだろうか?

 以下、蛇足ながら。
 天衣丸はその後、安元二年(1176)、父との合作の大日如来像でその実力を世に示した。
 しかし、彼が天才としてその名を不動のものにするのは東国を巡って後──彼の地で数多の傑作を彫ってからである。
 阿弥陀如来像(願成就院)、毘沙門天像、勢至観音像(浄楽寺)……
 京師(みやこ)の貴族に変わって勃興して来た武士たちの清冽で端整、豪放な風合いが天衣丸の資質に()く合致した。言い換えるなら、時代が彼を(・・・・・)必要とした(・・・・・)のだ。
 尤も、その頃にはもう仏師は壮年になり、天衣丸(・・・)という名では呼ばれなくなっていたが。
 運慶というのが歴史に残る彼の名である。


 今回、多大な災難を被った狂乱・婆沙の兄弟だが、周囲の心配をよそに存外ケロッとしている。
 像にされていた時、薬によって記憶が全く残っていないせいもあろう。
 夢現(ゆめうつつ)だった二人の、その時の〈夢〉がそれぞれ面白い。
「おまえは何を見ていた、婆沙丸?」
 兄が問うと弟は答えた。
「山野を」
「ほう?」
「俺たちの生まれ育った山野じゃ。兄者と一緒に懐かしい山の木々の間を走り抜けて行くと、湖があった。と見るや、次の瞬間、俺はその湖面の蓮の花の上に立っているではないか! あの柔らかな蓮の薄桃色の花びらの上じゃ。こう、ふうわりと立つ感触……得も言われぬ……」
 婆沙丸は深く溜息を吐いて小首を傾げた。
「のう? 蓮の花ときたら、あんなに清楚で華奢なのに俺の重みをものともせずしっかり支えてくれるから不思議じゃ」
「おい、婆沙、それはかなり危ない領域じゃ」
「かくいう兄者は、では、何を見た?」
「俺か?」
 狂乱丸は笑って漆黒の垂髪を揺らす。
「実は俺もおまえと一緒に故郷の山野の、翡翠の湖の前に立っていた。そこまでは同じよ。だが、俺は、蓮の花に立つおまえから離れて湖の淵にいて……白く輝く石を拾うのだ。すると、美しい娘が現れて、石を返せと言う。娘が言うには『それは私の歯です』だと」
「で、どうしたのさ?」
「そういうことなら、と俺は素直に返したさ。娘はにっこり微笑んで、お礼に『私に乗れ』と言う」
 頬を染める弟。
「乗ったのかよ、娘に?」
「流石に俺も躊躇したさ。だが、娘は俺の手をむんずと掴むと俺を背に乗せた──と、なんと、娘は龍になっていた! 娘は龍の化身だったのだ……!」
「チェッ、俺が乗ったのは花で、兄者が龍とは……双子なのに(・・・・・)割が合わぬ」
「こら、最後まで、聞けよ、婆沙。俺は龍の背に乗って……天空を飛んで行く……故郷の山々も都も見る見る遠のいて……目の前には大海が迫って来た……」
 狂乱丸が飛んだと言う故郷の山野も、京師も、今、秋は(たけなわ)
 何処までも紅葉が目に鮮やかである。


       《 第4話  ──  了  ──  》
 
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