第37話 鳥の痕 〈12〉

文字数 3,392文字

(とび)丸は、知らぬこととはいえ結果的に七人もの娘たちの殺害に手を貸した自分を呪って左獄で号泣した。その様はとても見ていられたものではなかった……」
 後日、今回の騒動を慰労して田楽屋敷で設けられた宴で、中原成澄は明かした。
「小鳥が死ぬのさえ耐えられないという男だからなあ」
 狂乱丸がしみじみ頷いた。
「歩き巫女の家の戸口で青々とした草の束を見つけたろう? もし、あやつが巫女を拐かしたのなら、あんな証拠となるようなものを残すものか」
 兄に続いて弟も言う。
「それに、冷静に考えたら──巫女が連れ去られて不在なのを知らないからこそ、あの朝も草を置いたわけだものな」
「だが、全く、今回ばかりは危ないところだった!」
 検非遺使が険しい顔で烏帽子に手をやった。思い出すだけで肌が粟立つ。
「もう少し我等が遅れていたなら……」
「うむ」
 狂乱丸も顔を顰めた。髪の焼ける嫌な匂いがまだ鼻腔に残っている。
「今にして思えば、もっと早く謎は解けた。実は、その機会が一度あったのだ」
 杯を呷りながら陰陽師が悔しげに呟いた。
 成澄が酒を注いでやる。
「ほう? それはいつだ?」
「ほれ、あの可愛らしい御室(おむろ)の稚児が『文様を描いたのは鳥飼いだ』と推測してみせた時じゃ」
 貴人にしか見えない品の良い頬を撫でながら有雪、
「『字を知らないからあんな文様を描いた』と迦陵丸は言った。実際はその逆だ! あれらは漢字の知識が豊富だからこそ描けた暗号だった。 俺としたことが……俺ほどの人間が……稚児の言うことを鵜呑みにするとは! あそこで気づくべきだった!」
「では、改めて訊くが──」
 目の前に差し出された陰陽師の杯ではなく検非遺使の杯に酒を注ぎながら狂乱丸、
「最終的にどうしてそれとわかったのだ?」
「〈鳥の跡〉さ!」
 ニヤリとして答える陰陽師。婆沙(ばさら)丸が声を上げた。
「それは俺が言った言葉じゃ! 『残されるならあんなわけのわからぬ文様より鳥の足跡の方がマシだ』と、俺が言ったのじゃ!」
「そう。だが、ちょっと意味が違う。〈鳥の跡〉とは──ああ? おまえ(・・・)もあの時、珍しく正しく理解していたな、成澄?」
 橋下の陰陽師は検非遺使を振り返った。
 成澄は、ここは言葉の細部には拘らず頷いてみせた。
「うむ。俺は子供の頃、父にしょっちゅう叱られたものだから。『その鳥の跡は何じゃ!』『おまえのは本当に鳥の跡じゃ!』……まあ、今でもあんまり変わっていないがな」
「?」
 酒瓶を掲げたまま首を傾げる狂乱丸に有雪が教える。
「〈鳥の跡〉とは、そのものズバリ〈字〉のことを言うのさ! 鳥の足跡を見て文字を考え出したという唐国の伝説に由来するのだが──貴人どもの好んで使う言葉じゃ」
 巷の陰陽師はいったん言葉を切って、幼い時、父親に叱咤されたと吐露した検非遺使尉(けびいしのじょう)を横目で見た。
 明法系で名の知れた家柄にも拘らず武門の才で今の地位にあるこの男は、では、やはり、子供の頃から学問は苦手だったのか……
 筆を持ってべそをかいているその姿がまざまざと思い浮かぶ。
「何だ? 何が可笑しい? 俺の顔に何かついているか?」
「何でもない。つまり、俺はその〈鳥の跡〉という言葉を聞いてハッとしたのよ。三枚の文様は〈字〉ではないのか、と。その通り、〈漢字〉に直してみたらドンピシャだった!」
 浮かれる有雪の横で成澄は噛み締めるようにして言った。
「今回の件で俺はつくづく思ったぞ。漢字とは、真に底深く……恐ろしいものよ」
 なみなみと酒の注がれた杯を見つめながら、
「連綿と伝わって来た一字一字に太古の息吹が凝っている……」
 初めて〈文字〉に接した古代人がそこに魔力──呪力──を感じ取ったのは正しい反応だった……!
 成澄は貴人の庭で、池の中の浮島に建つ祠──精衛が己の〈辟雍(へきよう)〉とした──から娘たちの可憐な七つの髑髏(しゃれこうべ)を取り出した時のことを思い出した。
 その情景が眼裏に鮮明に蘇って、戦慄した。
「〈白〉は元々は髑髏のことなのだと。白骨化した髑髏を漢字で〈白〉と書いた。それが今では〝色の名〟になったのだが……」
 紙片を出して一字書いてみせる。

  〈皦〉
     
「この漢字は何と読むかわかるか?」
 双子は揃って首を振ったが、流石に有雪は読めた。
「……キョウ」
「うむ。この字は魔を封じる呪禁の字だそうで、俺は親父殿から教わったのだが──見てみろ、ここに既に〈白〉が一つ含まれているだろう? その上に更に〈白〉を加えてある!
 なるほど、髑髏を二つも並べて凄まじい! いかにも呪禁に効力がありそうではないか……!」
「では、その〈皦〉から二つの〈白)を取り除いてみろ」
 日頃から博識を吹聴している陰陽師も黙っていられなくなった。盃を置いて紙をひったくる。
「〈白〉を取ると〈放〉になる。実はこの〈放〉だけでも凄まじい漢字なのだぞ。この〈放〉はこれ一字で〝屍を打つ呪いの所作〟を表していると言うからな」
 田楽師兄弟は同時に身震いした。
「なるほど! 漢字とは恐ろしい呪詛に満ちたモノなのだな?」
「我等下臈が安易に使うべきではないと、よおくわかったわ!」
「狂乱丸よ」
 検非遺使尉(けびいしのじょう)の真摯な声。
「今度の件で俺がおまえに囮役を頼まなかったのは、前に一度それをさせて恐ろしい思いをしたからだ。おまえではなく、()が。俺は二度とおまえにそれをさせたくなかった。それで、使庁の要請を俺が断ったところ、それなら一度自分で(じか)に頼んでみたいと別当殿が言うので──連れて行ったまでのこと。あの場で断ってくれて、俺自身はほっとしたのだ」
「──」
「けっして、遠慮して言い出せなかったのではない」
「ああ」
 目を瞬かせて、狂乱丸は短く答えた。
「もういい。わかったから」
「囮か! この字の外側、〈□〉はただの四角ではない。本来は四角の角を削った形で〈玄室〉を意味する。その中に〈化〉が入ってるんだから既に危ないのも道理じゃ。この〈化)は……」※玄室=遺骸を安置する室
(やれやれ! 暗号は読み取れても、人の心の襞が全く読み取れない似非(エセ)陰陽師め!)
 婆沙丸はそっと毒づいた。
(せっかくのいい雰囲気なのに! 兄者と検非遺使を()っとけよ!)
 あ、だが、待てよ──〈放〉も呪禁の字だそうだな?
 実際、屍ではなくて、この五月蝿い陰陽師を力一杯打ちのめしてやりたいと思う婆沙丸だった。
「ところで、先刻から気になっていたのだが──」
 その五月蝿い有雪、縁の方、軒下に目を移して訊いてきた。
「あの鳥籠はどうしたのだ?」
 肩の白烏(シロカラス)も気になって仕方ないらしくずっと落ち着きがなかった。
「今朝、鳶丸が届けてくれたのさ。お礼だと言って」
 狂乱丸が答える。
「鳶丸と鳰は夫婦(めおと)になるそうじゃ。その知らせも兼ねて持った来た」
 左獄で受けた傷を療養する鳥飼いの住居に、成澄が、火傷を負った歩き巫女も運び入れた話は既にしたが。薬師以上に心を込めて介抱してくれた鳶丸に巫女は(ほだ)されたらしい。
「ほう、それはそれは! 今回の騒動で唯一心救われる出来事ではないか。これぞまさしく〈鳥の跡〉、いや、〈鳥の()〉か? アハハハハ……」
 一人悦に入って笑う橋下の陰陽師を無視して狂乱丸は縁へ出た。
 追って出て来た成澄と並んで鳥籠を覗く。
「可愛い鳥だな! 何と言う名だ、これは?」
「メジロだそうだ」
 暫く綺麗な歌声を楽しんだ後で、空に放してやろうと狂乱丸は思っている。


        ── 第7話 鳥の痕  了   ──

 ☆さて、本編中に出てきた鳥の名は全部で幾つ?
  種明かしをしますと、正解は数えた数+1かと。
  実は〈精衛〉が鳥の名なんです。
  太古、中国の帝の使者として東海の島(日本?)へ飛び
  海に溺れて死んだという不思議な鳥の名……



   
   《参考文献》 「呪の思想 神と人の間」白川静・梅原猛(平凡社)
          「漢字」        白川静(岩波新書) 
 
 
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