第67話 夏越しの祭り 〈4〉

文字数 2,224文字


「さて」
 
 どのくらい時間が経っただろう。
 月影に動く人の気配。
 白装束の影が素早く井戸に歩み寄ると、一枚、蓋をずらした。
「生きておるか、成澄?」
 返事はなかった。
 だが、短い丸太を抱えて、成澄は浮いていた。
 満月の月明かりでそれが見えた。
 有雪は苦笑した。
「全く、世話をかける男じゃ」


 有雪は成澄を井戸から掬い上げることに成功した。
 そのやり方がいかにもこの男らしかった。
 予め近くの大木に長い縄を結んでおいて、その端を輪にして井戸の中に投げ落とす。
 成澄がそれを体に巻くと、木に結わえた方を解いて、幹を抱かせたまま引っ張る――
 これならさほど腕力に自信のない橋下の陰陽師でも一人で、何とか引き上げることができた。
 取り敢えず、木立の中に成澄を横たえてから有雪は容赦なく罵倒した。
「今度という今度は、懲りただろう、成澄? 何のことはない、おまえは生贄(いけにえ)にされたんだぞ!」
 遠慮なく成澄の縛っている片方の目を指差すと、
「片目を潰して〈聖痕〉とする? そこで終いではないわ! そんなのは始まりに過ぎん。
 〈選ばれし者〉の最終的な務めは命を捧げること――食われること(・・・・・・)じゃ!」
「食われる?」
「この郷の祭神を知っているか?」
「いや、詳しくは知らぬ。ただ、女神だとか、水の神だとかは聞いたが……」
 陰陽師はゾッとするほど美しい微笑を見せた。
「正しくは、〝水を司る蛇体の女神様〟じゃ」
 顎で井戸を指し示す。
あそこの底に(・・・・・・)蜷局(とぐろ)を巻いて住んでいらっしゃるらしいぞ?」
「え?」
「そして、毎年、郷一番の美男をご所望じゃ。一晩で、ペロリと飲み込んで、死体が上がった試しはない」
 察するところ、この井戸は地下水脈に通じているのだろう、と陰陽師は言った。袂から例の虎目石の勾玉を取り出して、振り子のように振ってみせる。
「俺が探ったところ、この丘の地面の下、いたるところで水の音がする……」
 
 この術は今で言うところのダウジングである。
 地下の水源や鉱石を調べる方法として広く流布されているが、その原理は現代科学をしても未だ解明されていない、摩訶不思議な方法である。
 空海もこの術に卓越していたと言う。空海伝説に各地で井戸を掘り当てたり、鉱物(特に辰砂)を発見した話が多いのはそのせいである。

「だから、一旦落とされて底深く沈んだら、流されて屍骸は井戸の中には留まらないのだ。おまえだって、俺がいなけりゃ、今ごろはこの地面のどこかを流されている最中さ!」
「……では、やはり、あれ(・・)はおまえが投げ入れておいてくれたのか?」
 神妙な面持ちで成澄が質した。
 井戸に浮いていた数本の丸太のことだ。咄嗟にそれに捕まったおかげで成澄は井戸の底深く沈まずに持ちこたえられたのだ。
「当たり前だ。俺以外に、そんなことをする酔狂な奴がいるものか!」
 ぞんざいな口調で答える有雪。
「あの井戸は邑人にとっては神聖極まりないモノなのだ。だから、頻繁に覗いたりはしない。それを幸いに、投げ込んでおいた。連中が井戸を覗くのは年に一回だけ。つまり、生贄の死体が浮いていないかどうか確認する時だけじゃ」
 今更ながら成澄はゾッとして背筋が凍りついた。
「勿論、覗いたところで死体が浮いていたことはない。それを確認して、この郷一帯の住人は今年も蛇神様が貢物を受け取ってくれたと胸を撫で下ろすのさ」
 起き上がると、姿勢を正して心から成澄は頭を下げた。
「礼を言うよ、有雪。おまえは命の恩人だ。おかげで俺は命拾いした。本当にありがとう」
「ふん、まあ、いいさ」
 顔を背ける橋下の陰陽師だった。礼を言われるのは苦手と見える。
「そんなことより、今度こそ、さっさとここを去ろう。邪神を祀っているこんな危ない土地には拘らぬが賢明じゃ」
「――」
「どうした?」
「おまえ、先に行っていてくれ。俺は……忘れ物がある」
 早口に成澄は言った。
「洗ってもらった装束だ。着替えてくる。ほら、濡れたままでは具合が悪いだろ?」
 有雪はじっと成澄を見つめた。
 その後で、珍しく、あっさりと頷いた。
「わかった。取って来いよ。俺はここで待っているから。但し――
 誰にも(・・・)見つかるなよ?
 見つかったら、せっかく俺が骨を折ったのが無駄になる。
 邑人は全員、おまえはもう蛇に喰われたものと信じているのだからな」



 成澄はそっと表戸を押し開けた。
 こんなに懐かしい気がするのは何故だろう? たった三日間の関わりだったのに?
 (いかん、いかん……)
 有雪が待っている。
 雑念をふるい落すかのように頭を振ってから、改めて成澄は家の中を見渡した。
 家と言っても、土間の他は二間しかない狭い杣屋である。
 だが、何処にも装束は見つからなかった。
「変だな? 洗ってくれたはずなのに。とっとと処分してしまったのだろうか? おや?」
 あった(・・・)
 あんなところに(・・・・・・・)

 成澄の装束の在処(ありか)――
 成澄の装束は娘の腕の中だった。
 夜具の中で、カサネはそれを抱きしめて眠っていたのだ。

「――」
 
 もうダメだった。
 成澄は腕を伸ばして、装束ではなく、それを抱く娘自身を揺り動かした。
「カサネ……」





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