第61話 鄙の怪異 〈7〉

文字数 3,153文字

受領(ずりょう)の邸へ戻ると大変な騒ぎだった。
 騒ぎ回っているのは例の、都からやって来た甥の橘資賢(たちばなすけかた)
 「殺される! 殺される!」と叫んで邸内を走り回っている。
 車宿りの前にぽつねんと座っていた安芸丸に成澄が声をかけた。
「何故、放っておく? 取り抑えた方がいいぞ」
「ですが――私たちは邸の中には入れませんので」
 それから、正直に付け加えた。
「邸に上がれたところで、嫌です。手を出したくありません。あれはもう……」
 安芸丸の言わんとしていることは容易に理解できた。受領の甥は、既に〈呪詛〉のせいで気が触れたように見える。豪気と称えられる牛飼い童でさえ関わりを持つのを恐れているのだ。
「仕方あるまい。あの様子を目の当たりにしては」
 有雪が溜息を吐きながら言った。
「成澄、アヤツコ、取り敢えず、甥は頼んだ」

 有雪は半紙に何やら咒文を記すと、それを成澄とアヤツコに命じて邸中の出入り口、戸口、(しとみ)……
 ありとあらゆる場所に貼らせた。
「さあ! これでよし! 
 これで今夜一晩、何者であろうとも外からの侵入はできなくなった……!」
「ハハーッ! ありがとうございます!」
 先刻までの狂乱の態は何処へやら、畏まって有雪の足元にひれ伏す資賢。
「流石、都で高名の陰陽師様は違う! 傍に居てくださるだけで、何かこう……強い力で守られている気がします」
「そうだろう、そうだろう」
 有雪は勿体ぶって続けた。
「念のため貴殿は今夜一晩、塗篭(ぬりごめ)に篭って夜具を被って過ごすが良い。そこより一歩も外へ出てはならぬぞ」 ※塗篭=窓のない一室
「承知しました。で、陰陽師様は?」
「私は〈呪詛返し〉を試みる。今夜一晩乗り切れば、それが成功したと見て良い。
 そういうわけだから、今宵は心して過ごせよ。ああ、それから――」
 有雪は一段と厳しい声音で命じた。
「大事なことを忘れるところであった。この邸にある酒という酒、全て、主殿に集めろ」
「それはいいですが――何のためにですか?」
「決まっておろう、術に必要なのだ! 貴殿、知らぬのか? 
 神代の時代、かの素戔嗚尊(すさのおのみこと)八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する際、酒を用いたのだぞ!」
「ハハーッ、これは失礼いたしました!さっそく、仰せのままに……」


「凄いな!」
「全くじゃ!」
 呪符だらけになった邸内を見回しながら成澄と犬飼が驚嘆し合うのを聞いて有雪は吹き出した。
「おまえたちまで騙されてどうする?」
「え?」
「こんなのは嘘っパチだよ。何の効力もないわ。
 だが、こうでもしないとあの馬鹿をおとなしくできないからな」
 あくまでも涼しい顔をして言うのだ。
「今回の事件は〈呪詛〉などではない。だから、もはや〈怪異〉など起こるものか。
 とはいえ、謝礼をぶんどるためにも、今夜は俺と成澄はここで夜通し見張りをするとしよう。
 おまえはどうする、アヤツコ?」
「俺は帰るよ。犬の世話があるから」
「そうか」
「おまえの濁り酒が飲めなくて残念だな」
 真顔で言う成澄だった。


「おまえが、〈呪詛〉でないと思っているのはわかった。だが、最低限、受領の喉を貫いて絶命させた殺人者の目星くらいはついているのか?」
 深更、今宵は受領邸の上等な酒を酌み交わしながら成澄は訊いてきた。
 有雪は首を振る。
「いや。全くわからん」
「では、これからどうするつもり――」
 突然、邸を揺るがす不気味な音が響いた。

 ドン、ドン、ドン……

「な、何だ?」
「こんな時間に客か?」
「馬鹿な。昼間でさえ誰も訪ねて来ないのに――」

 ドン、ドン、ドン……

「客でないなら、何なのだ?」
「はて、家鳴りかな?」
「ヒエーーー!」
 遠く塗篭からくぐもった悲鳴が聞こえる。
「すわっ!」
 成澄は衛門の太刀を掴んで駆け出した。有雪も後に続く。
 戸を叩く音は移動している。まるで、この家の住人を追うように。
 今度は、妻戸が激しく打ち叩かれた。

 ドン、ドン、ドン……

「封印ったって、あれは気休めの札なんだろ、有雪?」
 塗篭に飛び込みながら成澄が叫ぶ。
「だとしたら、打ち破られるのは時間の問題だぞ!」
「ヒエーーー、お助けを、陰陽師様!」
 夜具から飛び出して有雪にしがみつく受領の甥っ子。
「来た、来た、来たあ! 私を殺しに、呪いが来たああーーー!」
 半狂乱の甥を、今度ばかりは成澄も哂えなかった。
「これは、どうしたことだ? 
〈呪詛〉ではない、〈怪異〉などはないと、おまえ、はっきりと言い切ったではないか!」
「そのはずなんだが……おかしいな?」
 と、ピタリと音が止んだ。
 いや、音の質が変わったのだ。
 妻戸をこじ開ける軋んだ音、続いて、床を歩く音。

 ヒタ、ヒタ、ヒタ……

「結界が破られた! 邸の中に入って来たぞ?」
 足音は真っすぐに塗篭へ近づいて来る。
「ヒエーーー!」
 資賢に抱きつかれた有雪。成澄は一歩前に出て、大刀の鞘を払った。
「何者であろうと、この室へは入れぬ! 斬る!」
「あ! 斬るな、成澄!」
 有雪の一括。
「?」
 塗篭の戸を開けて、入って来たのは――
 犬飼、アヤツコだった。
「なあんだ、おまえか、アヤツコ? 脅かすなよ!」
「まあ、邸中、戸という戸は封印したからなあ。外から、入って来ようとして、この騒ぎか!」
 成澄も有雪も、侵入者が犬飼と知って安堵の息を吐いた。
 が、それも束の間、犬飼の様子がおかしいことに二人は気づいた。
「どうした、アヤツコ?」
「何かあったのか?」
「俺の――」
 真っ青な顔でアヤツコは言った。
 髪を掻き上げたせいで、額の傷――犬字――がはっきりと見えた。
「俺の犬が……また……死んでいる……」
「え?」


 極度の恐怖のあまり泡を吹いて気絶したのを幸いに、甥は邸に残して、成澄と有雪はアヤツコとともに、夜の道を一路、山裾の犬飼の小屋へと走った。


「――」
 掲げた松明に照らし出された三匹の犬たちの屍骸。
 どれも嘔吐して、胃の中の物を撒き散らして死んでいた。
「俺が戻ったら……こうだったのだ」
 悄然としてアヤツコは言う。
 子供の時分もそうだったが、この男にとって犬は家族同然、いや、自分の一部だった。
 その無残な死に様を見ることがどれほど辛いか、有雪には痛いほどよくわかった。
「それにしても、一体、何故?」
 成澄が呻くようにして質した。
「病気に罹っていた、ということはないのか?」
「それは有り得ない!」
 即座に否定する犬飼。
「俺の犬は健康で強壮だ。それが誇りなのだ。万一、病に罹った犬がいたら、即刻、群れから離して手当を施す。今までだって病の兆候を見逃したことはない!」
「ううむ、となれば、毒?」
「だが、誰が、何のために犬を殺すよ?」
「〈呪詛〉の一環とか? その可能性はないのか、有雪?」
「前にも言ったが、確かに、犬を使う〈呪詛〉は存在する。だが、やり方が違う」
 有雪は喘いだ。
「それとも、これは、俺の知らぬ、〈呪詛(なにか)〉なのか?  クソッ、わからぬ、てんで、わからぬ……」
 畳み掛けるように背後で検非遺使が犬飼に不気味なことを訊いた。
「息子や奥方が亡くなった前後も、おまえの犬たちが死んだと言ったよな?」
「ああ」

 これは、一体、何なのだろう?
 どういう繋がりがあるのだ?
 または、全く繋がってはいないのか?

 鄙には、都にはない恐ろしい闇が存在する……?


 ☆有雪が読み解く謎とは……
  そして、受領を殺害した者は誰?
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