第7話  星祭り 〈1〉

文字数 7,008文字

「最近奇異なことがあった」
 一条堀川のとある屋敷。
 ここは田楽屋敷とも新座屋敷とも称されている。田楽新座を起こした先代師匠犬王の建てたささやかな牙城。犬王急逝後、跡目を継いだ歳は若いが芸に秀でた双子の田楽師が現在の(あるじ)である。兄を狂乱丸、弟を婆沙(ばさら)丸と言う。
 保延七年(1141)、初夏。
 立待月の夜の、その月の出さえ待たずに盃を酌み交わしている最中、兄が切り出した。
「三日前の夜半、俺と婆沙丸が二人で稽古をしていたところ、俺の歌に唱和して別の声が響いて来たのだ」
「それの何処が奇異じゃ?」
 肩に白い(カラス)を留まらせた白衣の男が呵呵(カカ)笑った。
 名は有雪。一条橋界隈に数多(あまた)いる〈巷の陰陽師〉である。別名、似非(えせ)陰陽師とも。
「歌っていたのがおまえなら、もう一つの声は弟だろう?」
「馬鹿め。俺と兄者は同じ声じゃ。一緒に歌っても何処までも一つ。だが、響いて来たのは明らかに別の声だった!」
 これだから所詮おまえは無位無冠、〈橋下(はしした)の陰陽師〉なのだ、と弟の田楽師に揶揄されて有雪は顔を歪めて杯を飲み干した。一見、貴公子然とした白皙の容貌である。
「フン、続きを聞こう。で?」
 意外にも、響いて来る歌声は、当代随一と評判の兄弟に勝るとも劣らない妙なる調べ。
 闇に閉ざされた(まがき)の向こうに歌声の主はいると思われたが遂に姿は現わなかった。
 翌日、昨夜同様兄弟が稽古を始めると、果たして、再び歌声が響いて来た。
 その夜は弟の婆沙丸がこっそり影の後を追ったものの戻り橋の辺りで見失ってしまった。
「どうも気になる。そこで──どうじゃ、有雪。この不思議なものの正体、おまえにはわかるか?」
 射千玉(ぬばたま)の垂髪を揺らして狂乱丸が問う。
「わかるなら教えてもらおうと思って、今日は我等が宴に呼んだのじゃ」
 呼んだも何も──実際は居候同然、田楽屋敷に住み着いている陰陽師。ここは面目躍如とばかり、きっぱりと言い切った。
「そやつ、人間ではないな。〈星〉じゃ」
「星?」
「うむ。〈熒惑星(けいこくせい)〉の仕業に違いない」
 『聖徳太子伝略』と云う古書に似た話がある、と陰陽師は弁ずる。
「敏達天皇九年の夏六月──おお! 時節も同じだな? 当時絶世の謡歌いと称された土師連八島(はぜのむらじやしま)の元へやって来て一緒に歌ったのが〈熒惑星〉じゃ。夜明けとともに住吉浜の海に消えたそうな。
 〈熒惑星〉は南を主謀する赤い星。何らかの災い起こる時、それを予告して歌を歌いに天より降りて来ると言う……」
「では、今度も何事か災いを告げにその星はやって来たと?」
「もう遅い!」
 カラリと襖が開いて、入って来たのは熊の蛮絵も猛々しい検非遺使である。
 京師(みやこ)の守護。今で言う警察官と裁判官を兼ねる検非遺使は、嵯峨帝の御代、設置された。
 以来、武略軍略に秀でた左右衛門府官人が選ばれて来た。その実、選抜基準が〝容貌第一〟と噂されるだけあって、この男も長駆精悍な美丈夫である。名は中原成澄と言う。
 大の田楽好きで懐に笛を忍ばせて暇さえあれば田楽屋敷に通って来るのだ。
 その成澄、いつになく険しい面持ちだった。
 兄弟は驚いて口々に質した。
「何だ、成澄?」
「大事とは一体……?」
「おまえたちの元に既に啓示がもたらされたなら──今更隠しておく必要もあるまい。但し、これはここだけの話。他言は無用ぞ」
 大刀を引き抜いてどっかと(しとね)に腰を落とした検非遺使が語った話はこうである。

体仁(なりひと)皇子が行方不明になった……!」
 体仁皇子は現帝・崇徳の皇子で次の帝と約された春宮である。保延五年の生まれで御年三歳。
 その尊い皇子の行方がわからなくなってしまった……!
「我等、衛門府官人に知らされたのが四日前。その前日に皇子は姿を消されたと」
 姿を消す、と言っても未だ三歳の幼君である。
 何でもその日、母方の祖父邸に遊行された。その際、方違(かたたが)えのため今は無人のとある屋敷に入ったまではわかっているのだが、その後の足取りがヨウとして掴めない。 ※方違え=魔を避けるため方向を変える行為
 件の屋敷は(もぬけ)の殻で、随伴の乳母や女房、舎人たちはもちろん、それこそ牛飼い童や牛車(ぎっしゃ)まで掻き消えてしまったのだ。
掻き消えた(・・・・・)と言えば何やら物怪(もののけ)じみているが──要するに拉致、拐かしの類であろう?」
 有雪が指摘した。
「護衛や従者共々、と言うことは……これは相当大掛かりな勢力の手にかかったと見た!」
 成澄も率直に認めた。
「帝もそのことを気に病んでおられる。真実、恐ろしいのは物怪ではなく人間よ」
 今回の変事は明らかに〈怪異〉ではなく〈人為〉。
 体仁皇子の皇位継承を望まぬ一派の濫行(らんぎょう)と察せられる──
 体仁皇子は実際は崇徳帝の弟に当たる(・・・・・)
 父・鳥羽院と藤原徳子の間に生まれた〝弟〟を帝は養子となしたのだ。
 これら諸事情に絡んで、保延最後の年となったこの頃、崇徳帝と父院の関係は目に見えて悪化していた。補佐すべき摂関家では、これまた次男頼長を後継にと熱望する前関白・藤原忠実と嫡男・忠通が露骨に反目し合っている。こうした勢力争いに、それを取り巻く臣下、家司、郎党、入り乱れて不穏な蠢動止む間がなかった。
 とはいえ、今回の〈皇子失踪〉は帝にとっても院にとっても忌忌(ゆゆ)しき一大事である。
 内裏(だいり)では昼夜を分たず加持祈祷して皇子の無事の帰還を祈っている。
 一方、このことが広く世に喧伝されて衆生が動揺するのを、治安を預かる検非遺使庁別当は何より恐れた。
 兎にも角にも、迅速で穏便な解決こそ望ましい。
 かくして、この数日というもの検非違使たちは不眠不休で皇子の行方を追っているのだ。
「その必死の折りも折り、田楽屋敷へやって来るとは?」
 ニヤリとする美しい双子の田楽師、これは兄の方、に慌てて検非違使は手を振った。
「人の話の先取りをするな。そのこと、これから言おうとしていた。俺は何も息抜きでここ(・・)に立ち寄ったのではないぞ。今日、日が落ちた後、ここである人と会う約束をした。ひょっとしたら……皇子の行方がわかるかも知れぬ……」

 今を去ること二刻── ※四時間前
 今日も一日中、皇子の姿を捜して京師(みやこ)のありとあらゆる場所を駆け巡った成澄。
 ふと思い当たって皇子一行が立ち寄ったという屋敷に馬首を向けた。
 勿論、行方がわからなくなって以降、件の屋敷も調べるべきものはあらかた調べ尽くされているが。
 どんな些細な手がかりでも良い、何か見つけられないものかと藁をも掴む心持ちでやって来たのだ。
 同じように思う輩は多いと見えて、他にも検非遺使が何人か、配下の衛士まで引き連れて来ていた。その為、屋敷内は異様な賑やかさだった。
 今は空家ながら、元公卿の住居と聞くその屋敷自体は、調度も少なく簡素な(しつら)えである。
 一通り見回った後、母屋の片隅で月次屏風(つきなみびょうぶ)の前に佇んでいると突然声をかけられた。
「中原殿!」
「お、これは、長衡(ながひら)殿か?」
 平長衡(たいらのながひら)は年の頃二十一、二。端整ではあるが顔つきが柔和過ぎて検非違使には見えない。帝の寵を受けている兄の平長盛(たいらのながもり)同様、こちらも蔵人向きだと常々成澄は思っていた。
 だが、れっきとした武門、伊勢平氏の出である。
「中原殿、その屏風に何か気になることでも?」
 さっきから屏風の前を動こうとしない成澄を気にかけたらしい。
 途端に、悪戯が見つかった少年のごとく長身の検非遺使は紅潮した。
「いや、俺は生来の無骨者故、ここに書き留めてある歌の意味をあれこれ考えていたのだ」
 そも、屏風は貴人邸には欠かせない調度、家具の類である。
 唐絵屏風、倭絵(やまとえ)屏風、月次屏風、名所屏風……等々種類があり描かれている図柄で識別された。
 唐絵は漢詩文、倭絵は和歌を書き付けた色紙を散らす。月次は名の通り、正月から十二月までの風物が描かれるのである。
 眼前のそれは月次屏風だが、ちょうど七月のところに墨跡も黒々と、ひと目で手書きとわかる一首が記されていた。

     艫取女(ともとりめ)
      (よし)分け
       すすむ端舟(はしふね)
         江も知らで漕ぐ
          かなしき
           この
             身ぞ

 平長衡は微笑んで、
「〝艫取女〟と言うのは遊女の乗る舟を漕ぐ女のこと。年をとって客を取れなくなった遊女が多くこの役を担ったとか」
 流石、武門でも、また、年若くとも、平氏の出である。雅な博識に成澄は唸った。
「ううむ。と言うことは──これは容色衰えた遊女が我が身を嘆いて詠んだ歌だな?」
 意味の方はわかったが、改めて成澄は首を傾げる。
「それにしても、月次屏風にはそぐわない歌だと思うが? 急いで書き殴った風でもあるし……」
「おっしゃる通りです」
 言ってから、急に長衡は大声で前言を翻した。
「いえ! そんなことはない! 心の思いつくまま……或いは、忘れてしまわない内に、身近な屏風に歌を書き付けるのは風流人ならよくあること」
 ちょうど背後の(ひさし)の間を三、四人衛士が通って行ったところだった。
「時に、中原殿──」
 周囲に人の気配がなくなったのを確かめてから、長衡は一段声を落として囁いた。
「大事な話があります。だが、ここではまずい。他人に聞かれたくないのです。何処か二人だけで話がしたい」
 公達(きんだち)の深刻な眼差し……

「ひょっとして、平長衡殿は何か掴んでいるのではないか、と俺は思った。それで」
「──人に聞かれる心配のないここ(・・)を教えたというのだな?」
「なるほど。我等は〝人〟の勘定には入らぬものな?」
 そう言って双子が声を揃えてさざめき笑った時だった。庭先に叫び声が響いた。
「誰かっ──……!」

 一同、裸足のまま縁から跳び降りた。
 蛮絵装束の男とそれを抱えるようにして少年が夏草を乱して倒れ伏している。
「何事か!?」
 成澄が質すと少年が土に汚れた顔を上げた。
「こ、このお方はその先の道で……私の目の前でいきなり落馬されたのです。助け起こしたところ。どうしてもこの屋敷へ運んで欲しいというので……」
「あ! 長衡(ながひら)殿?」
 平長衡の背は矢に貫かれていた。
「誰に射掛けられた? 一体、何故──」
「やった者の見当はついている。だが、そんなことより……な、成澄殿、ぜひ、お伝えしたいことが……」
 若い検非遺使は血の滴る手で成澄の袖を掴んだ。
「皇子の居場所……私ならわかる。兄が〈印〉を残してくれたから。あ、兄はこの件に絡んでいるのだ。それで、私にも合流して加勢するよう……そのために皇子の行方について、こっそりあの邸に〈印〉を……」
 兄とは崇徳帝に蔵人(くらんど)として近侍する平長盛のことである。
 苦しい息の下で長衡は懸命に訴えた。
「わ、私は迷った、たとえどのような雄図のためとは言え皇子に手をかけるのは大罪……」
 兄の誘いに逡巡する長衡の脳裏に真っ先に浮かんだのが成澄だった。
 検非遺使の鏡として(かね)てから信頼し憧れていた。それで、ここ数日、相談しようと幾度か接触を試みたのだが果たせずにいたところ、今日、偶然、件の屋敷で出会えた──
「どんなに嬉しかったことか! 貴方の顔を見て……あの場で……私の心は決まりました。皇子の居場所へ急行して、一緒に皇子を救い出しましょう! グッ」
「長衡殿?」
 若者の端正な顔が無念そうに歪む。
「いや、私はもう……無理か。成澄殿、全ては貴方にお任せする他……なくなった。ど、どうか、皇子を無事に……帝の御元へ……」
「承知した!」
 成澄は力強く頷くと長衡を抱きかかえた。
「それで、皇子の居場所とは?」
「屋敷に〈印〉が……それ……かみの……き」
 長衡の唇から鮮血が迸る。血を吐きながらも必死に長衡は最後の言葉を伝えようとした。
「かみ……の……き……」
「長衡殿?」
 だが、どんなに揺すっても、平長衡は成澄の胸に深く首を垂れたまま二度と答えようとはしなかった。
「馬はどうした?」
 やおら立ち上がって成澄は傍らに腰を落としたままの少年に質した。
「え? あ、はい。このお方を振り落とした後、何処(いずこ)かへ駆け去りました」
「ならばよい。おまえ──」
 負傷した検非遺使を屋敷まで運んでくれた少年に成澄は視線を走らせた。
 月明かりの下で見ると、歳の頃十四、五。袖無しの粗末な衣を来た禿(かむろ)頭の童である。どこぞの小舎人(ことねり)だろう。 ※禿=おかっぱ
「こうなった上は、もう一つ頼まれてくれ。礼はする。この者を捨てて来て欲しい。ここから離れた場所なら何処でもよい」
「成澄っ!」
 揃って非難の声を上げる田楽師兄弟に、
「菩提は後で(ねんご)ろに弔う。だが、今は、長衡殿を射た者の存在が気になる。俺との関わりをどこまで察しているのかわからぬが──疑いの目は少しでも逸らすに限る」
 きっぱりと言って、検非遺使慰(けびいしのじょう)は合掌した。 ※慰=位名
「耐えてくれ、長衡殿。貴公の遺志、必ずやこの成澄が成就するからな」

 座敷に戻ってから、成澄は言った。
「長衡殿から、皇子の居場所を示す〈印〉があると聞いたからには、夜が明けたらすぐ俺は例の屋敷に出向くつもりだ。その際──有雪、俺と一緒に来てくれ」
「俺たちは?」
「俺たちも力を貸すぞ!」
 膝を乗り出して名乗りを上げた双子に、今回は有雪だけでよい、と成澄は首を振った。
「おまえたちは人目を惹くからな。今は目立つのは考えものだ。有雪なら一人でも(・・・・)謎を解くのに長けているから」
「ほう、有雪なら?」
 狂乱丸の瞳が妖しく煌めいた。兄の田楽師はその芸〈静謐〉、その質〈冷徹〉と称えられながら、実際はすこぶる悋気心が強い。
「死んだ検非違使が臨終(いまわ)の際に残した言葉──何だっけ? そう、〈かみのき〉とやらの意味がわかると言うんだな?」
 射千玉(ぬばたま)の髪を揺らして狂乱丸は有雪に詰め寄った。
「ならば、今、ここで、即刻解いて見せろ! さあ、有雪! 〈かみのき〉とは何だ?」
 陰陽師は頬を掻きながら笑った。
「まあ、待て、慌てるな。まずは明日、屋敷に行ってからじゃ。現場を見ないことには、いくら博識の俺とて無理というもの」
 ここでやめておけばいいものを。一言何か言わないと気が済まないのがこの男の悪い癖。
「おまえも現場が見たいなら俺の装束を貸してやってもいいぞ、狂乱丸? 特別に俺の弟子ということにしてやろう。その派手な衣装を脱いでおとなしくしているなら連れて行ってもいいとさ、なあ、成澄?」
「だ、誰が、おまえの薄汚れた装束に腕を通すものか! いや、それ以上に、誰がおまえの弟子になどなるものか!」
「フン。じゃ、今回ばかりは愛しい判官殿との道行は諦めるんだな」 ※判官=検非遺使慰の別称
「そ、そ、その言い草は何だ! 居候の分際で(あるじ)の俺を愚弄するとは──」
「兄者、落ち着け──」
 ここで、また庭先で足音がした。
 先ほどの少年が戻って来たのだ。
「取りあえず〈あははの辻〉に置いてきました。夜が明けて人が見たらそこで馬から振り落とされたと思うでしょう」
「ご苦労だったな」
 縁へ出て成澄は鳥目を少年に握らせた。 ※鳥目=貨幣・銭
「もう帰っていいぞ」

「待てよ!」
 追って来て、門前で少年を呼び止めたのは狂乱丸だった。
 少年の血で汚れた衣を指差して、
「そのナリでは困るだろう? 俺たちのを貸してやろう」
 屋敷の奥の自室に引き入れてピタリと襖を閉じた。
 少年は恐縮しつつ訴えた。
「お心遣いはありがたいのですが……でも、こんなの(・・・・)自分は着れません。田楽師でもなければとてもとても……」
 なるほど。今しも弟の方、婆沙丸が香唐櫃から次々に引っ張り出している水干はどれも目を剥くほどの派手派手しさである。
 色目は今の季節なら菖蒲に撫子、若苗色に若楓……文様は雀に蜻蛉、鯉の跳ねる荒磯紋、七宝に花兎……
「おや、そうかな?」
 塞ぐようにして襖の前に立って、狂乱丸はせせら笑った。
おまえ(・・・)あんなに──それこそ、我等田楽師並みの声だもの。さだめし装束の方も似合うだろうよ?」
「あ」
おまえだろう(・・・・・・)? 一昨日、昨日とやって来て俺たちの歌に唱和したのは?」
 兄の言葉に続けて弟も言い放った。
「隠しても無駄じゃ! 庭で最初に声を聞いた時から気付いておったわ! 我等田楽師の耳を騙すことはできぬぞ?」




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