第16話 双子嫌い 〈4〉

文字数 4,384文字

 橋下の陰陽師が目指したのは使庁である。 ※使庁=検非遺使庁
 とはいえ、この二人が使庁の中庭で中原成澄と実際に対面するまでには少々時間を要した。
 一条堀川の田楽屋敷でこそ分け隔てない付き合いとはいえ、流石に異形の風体、いくら懇意と言っても天下の検非遺使慰(けびいしのじょう)を呼び出してもらうのに時間がかかっても当然である。
 果たして、出てきた成澄もいつになくぞんざいで不機嫌だった。
「なんだ、おまえ(・・・)か。その者は?」
天衣(てんね)丸。ほら、いつかの──狂乱丸たちの持仏を彫った仏師だ」
 一揖する若い仏師に頷いてから、成澄は自分の烏帽子に手をやった。
「で? こんな処まで何の用だ?」
「おまえこそこんな処(・・・・)で何をしている? 一大事だぞ!」
 成澄は鼻を鳴らした。
「フン、そんなことはわかっておるわ。だからこそ、一刻も早く今後のやり方を検討しようと──こうやってずっと追捕の長を待っているのだ。それを、クソッ、全然捕まらぬ。この後に及んで一体何処で何をやっているのだ、盛房殿はよ!」
「何てことだ! じゃ、何も知らないんだな、おまえは? その長とやらが狂乱丸を連れ出したと言うのに!」
「え?」
 事態が飲み込めず、絶句する成澄。
「そのことを知らせようと我等はすっ飛んで来たんだぞ! 全く──」
 有雪は露骨に成澄を嘲笑った。
「どうもおまえは今回の件ではハナから蚊帳の外に置かれているようだな?」
 今度ばかりは似非陰陽師に真実を見透かされた気がして成澄は顔を背けた。実際そのことは薄々気付いていたのだが。
「盛房殿が狂乱丸を連れ出しただと? それはいつだ? では、まさか、まだ懲りずに狂乱丸を囮に使おうと言うのか? あの……無能なウラナリはよ!」
 もはや堪えきれずに地団駄踏んで悪罵する成澄だった。
「あんな奴、〈追捕の長〉の器ではないわ! 父親が元大蔵卿だとか聞いたが、所詮、家柄だけが取り柄の大馬鹿者め!」
「全くじゃ。私はその──大馬鹿者よ……!」
 玉砂利が鳴って、顔を上げると今まさに門内に駆け込んで来た一騎がある。
 それこそ、追捕の長、藤原盛房だった。
「あ」
 成澄が息を飲んだのは己の遠慮のない罵詈雑言を聞かれたせいではない。馬上その人の、肩口から滴る真紅の血、故だ。
「まさか──?」
「やられた……! 今度は……狂乱丸までも……」
 無念さに白皙の顔貌を歪ませて藤原盛房は鞍から崩れ落ちた。


婆沙(ばさら)丸……婆沙丸……?」
「……兄者?」
 揺り動かされて弟は薄らと目を開けた。
 そのまま暫く身動(みじろ)ぎもせず目の前にある瓜二つの顔を見つめ続ける。そらから、いきなり自分の腕を抓った。
「イタッ! おう、夢じゃない! これは現身(うつしみ)の――本物の兄者だ! 良かった!」
 勢いよく抱きついた後で、
「でもないか。兄者がここ(・・)にいると言うことは──」
「ああ。俺も見事に拐かされた」
 双子の兄は漆黒の髪を揺らして、改めて周囲を見回した。
「おまえ、ずっとここ(・・)に押し込められていたのか?」
 そこは窓のない塗篭(ぬりごめ)と思しき一室。
 つい今しがた、被せられた袋ごと狂乱丸も放り込まれたのだ。
 辻取られたのは六条樋口──

 二十人はいたろうか? 屈強な覆面の男たちが河原院跡の崩れた築地塀からドッと波のごとく打ち寄せたと思うや、袋を被せられ、肩に担がれ、運ばれた。
 車に乗せられ、とうとう建物らしき場所──当地に至ったのである。
 最初、狂乱丸は袋の中で視界が利かないせいもあって、自分が運び込まれたそこを人里離れた廃屋(はいおく)の類と推量した。だが、落ち着いて考えると、この室に至るまでの渡殿の長さといい、窓のない一室とは言え、床や壁の材や造りといい……相当の屋敷と思われる。
 賊どもは狂乱丸を床に置くと袋を剥ぎ、扉を固く閉ざして去った。
 やがて、この明かりのない室内に目が慣れた頃、端に横臥している人影が見えた。
 それこそ、懐かしい婆沙丸、分身のごとき弟だった。

「大丈夫か、婆沙? 酷い仕打ちは受けなんだか?」
 狂乱丸は兄らしく弟の全身を隈無く撫で摩った。擽ったそうに身を捩って笑うその様子から、どうやら、婆沙丸に怪我はなさそうだ。
「酷い仕打ちといえば──退屈で困ったことくらいじゃ」
 拐われてから、ずっとここに閉じ込められているとのこと。
 それにしても、と婆沙丸はため息を漏らした。
「俺だけじゃなく兄者も捕まってしまったとは……」
 不安そうに瞳が翳る。狂乱丸は額が擦れるくらい顔を寄せると鏡に映る影に囁くようにして言った。
「安心しろ、ただで捕まる俺じゃない。きっと遅かれ早かれ俺もやられると予測していたから抜かりはないわ。ほら──」
 月に薄模様の艶やかな袖を振ろうとしたその時、扉が軋んで、暗闇に四角い光が射した。
「──?」

 入って来たのは僧形の一人と狩衣(かりぎぬ)の一人。両者とも顔を布で覆っている。
 背後の扉はすぐ閉ざされたが、僧形の方が掲げている燭のおかげで室内は暗闇には戻らなかった。
「おまえも人が悪いな? 六組目にしてこれほどの隠し玉かよ?」
 クスクスと笑いながら僧形がまず口を開いた。
 狩衣が受けて同じように笑った。
「良いだろう? なあ、こやつらを使ったら(・・・・)……次なる〈行)はさぞ見応えがあるものとなろうな?」
「おうよ。私の長年夢見て来た、完璧な〈行〉が顕現できよう」
 どちらも布で顔を覆っているせいか、二人の男の声はとても良く似通って響いた。猫の鳴くような声。
「感謝しろよ」
 そう言ったのは狩衣の方。
「それもこれも……おまえの趣味を知る私がいればこそだ。全くおまえときたらこれほどの地位に登り詰めながら邪道を捨てきれぬとはよ!」
「よく言うよ」
 僧形が可笑しそうに鼻を鳴らして、
「その邪道のおかげで、見ろ、私は今の地位にあるのだ。私がこの若さでここまで出世したのも密かに修して来た〈行〉の賜物。そして、それを知っているから数多の長者や貴人が引きも切らずやって来る」
 僧形は大きく息を吐いた。
「連中が積み上げる金品はおまえの懐をも潤す。私は独り占めはしないからな。だから感謝すべきはおまえの方だ。それにさ、おまえは邪道だと言うが、貴人どもがああもこぞって大金を貢ぐのは私の〈行〉の効験が(あらた)かだからだぞ」
「フン。されば──その灼か(・・)と言う〈行)、今回は私のために執り行ってもらおうかな」
「これは珍しい! おまえはこの種のことにとんと興味がないと思っていたが?」
この二人(・・・・)を使うなら──」
 僧形の手から燭を捥ぎ取って狩衣は一歩、前へ出た。
 日は赤赤と囚われの田楽師兄弟を照らし出した。
「いよいよ私も……自分のために祈ってみたくなった。おまえに比べて私の地位はちと低すぎるものなあ? 早く別当くらいにはなりたいものだ」
「いいともさ、やってやろう」
 僧形は満足げに頷いた。
「して、掲げる願は何だ? 〝出世〟か〝蓄財〟か?」
「勿論、その両方。だからこそ二人必要(・・・・)なのだろう?」
 先刻から、全くわけがわからず、ただ呆然と覆面の二人を凝視していた狂乱丸と婆沙丸。
 ここで漸く闖入者は双子の田楽師に語りかけてきた。
 まず狩衣が、
「おい、おまえたち(・・・・・)……狂乱丸と婆沙丸よ? 知っておろう? 双子はな、〝畜生腹〟と言うぞ。どんなに美しく生まれようと〝人〟ではないのだと。〝獣〟なのだと。悲しいのう?」
 続いて僧形、
「だが、ありがたく思えよ。私がおまえたち(・・・・・)を救ってやる。憐れな〝獣〟から……〝人〟なんぞ通り越して……〝神〟に生まれ変わらせてやろうぞ!」
「──……」

 
 消えた双子の姿を求めて日がな一日、中原成澄は馬を責めて京師(みやこ)を駆け巡った。
 だが、その全てが徒労に終わった。
 夕焼けが都の家々の屋根という屋根をゾッとするほど赤く染める夕景である。
 手傷を負って使庁に帰り着いた〈追捕の長〉藤原盛房はあの後、そのまま(とこ)に伏してしまった。この男が言葉少なに語ったところでは、狂乱丸の拐われ方も婆沙丸と全く同じ──
 大胆にも六条樋口、河原院跡で突如出現した覆面の集団に力尽くで連れ去られた。
 無論、その際、追捕の長を筆頭に警護していた検非遺使、衛士、放免に至るまで懸命に阻止しようと奮戦したが、勇敢な者ほど重篤な傷を負った。その場で落命したもの二名。負傷した者七名。
 せめて(・・・)自分がそこに(・・・・・・)いたなら(・・・・)……
 もう何百回となく思った繰り言を、また成澄は思って唇を噛む。
 婆沙の時も、狂乱丸の時も、そこに俺がいたら、なんぞおめおめと連れ拐わせまいに。
(この命に変えても……!)
「成澄──っ!」
「!」
 暗い慚愧の念に沈んでいた主人よりも早く、愛馬が耳を逸らせて反応した。
 夕陽に白衣を朱鷺色に染めて橋下の陰陽師がこちらに駆けて来る。
「やあ! 探したぞ! 無闇に走り回っていると見えて……捕まえるのに苦労したわ!」
「じっとしておれるかよ? 双子は連れ去られてしまったのだ!」
「やれやれ、これだから天下の検非遺使は鼻持ちならない。役に立つのは自分だけだと思っておるな?」
 平生ならムッとして言い返す成澄だが、微かな希望の香りを嗅ぎ取って怒るのも忘れて鞍から身を乗り出した。
「と言うと──何か二人に関する手がかりでも?」
 有雪はニヤリとして袂から小さな像を取り出した。
「お! それは……狂乱丸の持仏? 間違いはないか?」
「間違いない。彫った当人(・・・・・)が言うんだからな」
 陰陽師の後ろには今回も天衣(てんね)丸が控えていた。
「都広しと言えど、二つとないこの天衣丸の彫った日光菩薩を、俺の〝護法(からす)〟が見つけたのだ。これから、これ(・・)が落ちていた場所に導いてくれるそうだが──どうだ、一緒に来るか?」
 有雪の指差す頭上、ゆっくりと旋回している烏も今日ばかりは朱鷺色に染まって大層美しく見える。
「流石は、狂乱丸だけのことはある」
 片や、地上で陰陽師はつくづくと息を吐いた。
「拐かされるのを覚悟していたな? それで、ギリギリの処……連れ込まれた建物の手前でこっそりこれ(・・)を投げ落としたと見える。囚われている所在の目印になるよう願って、な」
 果たして、今日一日、京師の空を飛び回った有雪の烏が空中よりそれを見つけ出したのだ。
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