第35話 鳥の痕 〈10〉

文字数 2,833文字

 成澄が有雪を伴って一町屋を誇るその貴人邸に乗り込んだのは翌日、とうに陽の昇った後である。
 その時、貴人は自慢の庭に唐風の卓と腰掛けを設けて友人と憩っていた。
 庭を突っ切ってやって来る成澄の姿を一瞥するや露骨に顔を顰めた。
「おや? 我が庭に無粋な黒の蛮絵は似合わぬぞ。検非遺使尉(けびいしのじょう)殿が何用じゃ?」
「歩き巫女を拐かした罪で貴公を追捕しに参った」
 傍らの僧形の友人が息を飲む。
「え?」
 だが、当の藤原精衛(せいえい)は薄く笑っただけだった。
「これは妙なことを言う。何の証拠があってそのような僻事(ひがごと)を?」
「白ばっくれても無駄だ。全てはこの文様がおしえてくれたわ!」
 成澄は蛮衣の懐から三枚の紙を取り出した。




「これは歩き巫女に届けられたもの。ここに記された文様は、全て《漢字》に変換できる──」
 一枚目は〈 集 〉。 二枚目は〈 進 〉である。

「鳥は古式では〈隹〉と書いた。それに〈木〉だから〈 集 〉
 同様に〈隹〉と〈之〉で( 進 )」
 紙片を掲げる検非遺使の横で薄汚れた白衣の陰陽師が説明を始める。
「今回、この単純なことが全く見えなかった(・・・・・・)……」
 一瞬、陰陽師は貴公子然とした顔を赤らめたように見えた。
「ふん? 検非遺使の蛮衣も気に食わぬが、その者の肩に留まっているのは──烏か? 羽は切ってあるのだろうな? 我が庭の可愛い小鳥たちを怖がらせてくれるなよ?」
 貴人の心配を無視して成澄は新たに二枚の紙を取り出した。
「さて、昨夜、我われが巫女を無事救い出した鳥辺野の地に落ちていた紙片がこれである」
 どちらも土がついて汚れていた。一枚は端の部分が焼け焦げている。風に舞って焚火に飛び入ったのを身の軽い田楽師が飛びついて、すんでのところで拾いだしたのだ。覆面の賊が歩き巫女に掲げて選び取らせた例の紙片だ。
「ここには文様はない。これらにはもう直接(漢字)で書いてある。これらを、逆に先の法則に従って文様に直すと──こうなる」

 一枚目 向かって左に四角い模様 右に鳥
 二枚目 左に人が箱を頭上高く掲げている その下に焚火が燃えている
     右に鳥
     
 肩の烏を撫でながら巷の陰陽師は微笑む。
「学識豊かな貴公らを前にして、今更言うまでもないが──
 〈唯〉は承知、承諾を意味する。さて、問題は〈難〉だ。
 洒落ているわけではないが、この字は少々難しい(・・・)。そして、とてつもなく恐ろしい字であるな?」
 有雪は成澄の掲げる文様をなぞってみせた。
「この四角……□は古代、神への祝詞を収めた容器を表す形である。更に言えば、左側のこれ全体では、巫女がその祝詞の入った箱を頭の上に乗せて焚殺される形なのだ。右側の隹は、その際、巫女と一緒に捧げる供物としての鳥を表している──」
 貴人の美しい庭は静まり返った。
 やがて、静寂を破って検非遺使の朗々とした声が響いた。
「昨夜、鳥辺野で貴公は、まさにこの《漢字》そのままを実践しようとした!」
 貴人の若者はゆっくりと狩衣の袖を振っただけだ。白い指を顎に当てて、
「ふむ? 文様の謎解きは面白かったぞ。古式に則った漢字の読み取りは評価に値する。だが、それが私とどう繋がる(・・・・・)? 私は全く無関係じゃ!」
「ところが、貴公が繋がっている(・・・・・・)という動かぬ証拠があるのさ! それこそ、この、巫女に与えた三枚目の文様だ!」
 検非遺使は再び最初の文様、その3番目を掲げた。
「これを歩き巫女本人は〝鳥居の前の御籤箱と鳥占いの屋台の鳥〟と読み解いた。
 だが、違うな? 左側は取っ手のある尖った針を表す形。その下は箱は箱でも、先ほどと同じ祝詞や呪文を入れる箱──神に伝える言葉を入れておく容器だ。これらの形を《漢字》に直すとこの字になる」

     〈  誰  〉

 いったん言葉を切って、検非遺使はその漢字がそこにいる全員の目裏に染み渡るのを待った。
橋下の陰陽師の玲瓏な声が響く。
「改めて、細かく解説しよう。
 古代、神に祈ったり、誓う行為を左側の字、〈言〉と書いた。
 万一、神への言葉に偽りがあれば、鋭い針で刺青の刑を受ける習わしだったのだ。そのための〝取っ手のついた鋭い針〟の形というわけさ!
 さて、右側の鳥は供物という意味では同じ。それで、〈言〉と〈隹〉で、この文様は〈誰〉となる──」
 検非遺使は三枚の紙片を順番に繰って復唱した。
「鳥の〈集〉まる木……その下の道を〈進〉み……行き着いた神前の鳥占いの屋台で……鳥を買い与えたのは〈誰〉だった? 貴公だろうが(・・・・・・)!」
「精衛……?」
 友の学僧の喘ぐ声。恵空自身、その光景には憶えがあった。その場に立ち会ったから。

   ── この鳥を、どうぞ、娘さん……

 巷の陰陽師が締め括った。
「おまえの遊び心(・・・)、この三枚目の〈誰〉が災いしたな? ついつい自分の存在を主張したくて書かなくてもいい字まで滑り込ませた。それこそ、誰も読み解く者などいないとタカを括ったか? だが、これが──この《漢字》が命取りじゃ!」
「──……」
 貴人は唇を噛んで目を伏せた。暫くそのまま動かなかった。やがて、顔を上げると、
「私の謎をよもや、読み解く輩がいたとは……驚いたな!」
「せ、精衛、では、やはり……ほ、本当におまえが──」
 蒼白の幼馴染を腕を伸ばして押し留める。
「だが、私の罪はあくまで歩き巫女を拉致したこと。これに尽きる。ついやり過ぎて火に投げ込んだとは言え──巫女の命は助かったんだろう? ならば、詫びの金品から薬師の手配まで……それ相応のことはしよう。だから、それでいいではないか?」
 傷ついた子供のように微笑んで見せた。
「のう、判官殿? 貴人の私が下賤の者に為したこの程度の罪、どうということはないはず。そこの陰陽師がさっき言った通り──まさに〝遊び心〟だったのじゃ」
 佇立する検非遺使の瞳を覗き込んで、更に続けた。
「私の父は公卿でもあるし……」
「なるほど」
 中原成澄は笑った。狼のように凄みのある微笑。頬に、稚児や田楽師が見たら卒倒しそうな片笑窪が燐いた。
「俺は間違っていたようだ。〝歩き巫女を拐かした〟罪で追捕しに来たと言ったが、あれは取り消すぞ」
「物分りがいいな、判官殿! 貴方は出世するぞ!」
「今こそ訂正する! 改めて──〝過去に拐かした七人の娘を焼き殺した〟罪で貴公を追捕する!」
 貴人の顔が引き攣った。
「そ、そ、それこそ……何の証拠があって……?」
 検非遺使はこの庭にそぐわないと揶揄された蛮絵の黒い袖を玄鳥のごとく羽ばたかせた。
 眼前に広がる清涼な水を湛えた池。その中央の築島に建つ丸い祠を指差して、
「あれさ!」



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