第70話 夏越しの祭り 〈7〉

文字数 3,790文字

「おおおおおーーー……!」

 感嘆はやがてどよめきに変わった。
 この世のものとも思われない美々しい装束を纏った式神たちはトンボを切り、跳ね踊り、美しい声で歌まで歌った。その声がまた、得も言われぬ法悦の世界へ鄙人たちを(いざな)う。

「祭りなら、かく楽しく寿ぐべし!」
「次からは、必ず、我等を招聘しろよ!」
「それならば、今までのことは許してやろう!」
 
 最後に二人の式神は声を揃えて笑って消えた。

「悪行は一切()に流してやろう!
井戸(・・)だけに……!」

 式神たちの笑い声が谺する中、帝の勅使も叫ぶ。
「そういうことだ! もはや、悪しき祭祀は断絶した! この最後の供犠は私が引き取ろう!」
 呆然として未だ夢心地の邑長(むらおさ)以下、邑役たちを押しのけて、白装束の成澄の腕を掴むと馬に跳び乗った。
「さらばじゃ!」




「ふう、ここまでくれば大丈夫だろう」
 手綱を緩めて馬を止める有雪。
「……あんな屁理屈がよく通ったな?」
 検非遺使の言葉を橋下の陰陽師は笑い飛ばした。
「手妻だろうと、マヤカシだろうと、人は目で見たものは――または、見たと思ったもの(・・・・・・・・)は容易に信じるのさ!」
 得意げに眉を動かしてみせる。
「しかも、『何も信じるな』と言うのは酷じゃ。だから、俺が〈神〉を擦り替えてやったまでのこと。
 これで〝悪しき慣習〟が断ち切れるならそれに越したことはない」
 一層胸を反らせて、
「嘘も方便とはこのことよ。フフ、今回は〈夢代え〉ならぬ〈神代え〉の術だったな?」
「双子たちはどうしたのだ?」
 恐る恐る成澄は訊いた。
「それともあれも手妻の一種か? 俺も、確かに狂乱丸たちを見た気がするのだが……」
「あれは俺が術で出した式神……」
 有雪はニヤリとした。
「と、言いたいところだが、流石の俺もあそこまで鮮明な式は操れぬ」

俺たちは本物さ(・・・・・・・)!」

「!」
 暗い木陰から笑いながら田楽師の兄弟が出て来た。
「種明かしを聞きたいか?」
 何のことはない。案外近い処に狂乱丸率いる田楽新座の巡業一行がいたのだ。
「この郷の隣だよ」
 婆沙丸が言う。
「そこはまっとうな神を祀っているからまっとうな祭りを行う。つまり、毎年この時期、夏越しの祭りには俺たちを呼んで田楽舞いを奉納するのだ」
 上機嫌に付け足した。
「ま、言うなれば、お得意さんってわけ」
「だが、俺がこんな状態にあることを、いつ、どうやって、知った?」
 まだ腑に落ちない成澄。
「俺の式神が――本物の(・・・)俺の式のことだよ。つまり、こいつ(・・・)が」
 いつの間にか肩に乗っている白い烏を撫でながら有雪が言う。
「教えてくれたのさ」
 昨夜、狂乱丸の長い黒髪を足に絡めて有雪の元へ帰って来た白烏。
 気づいた有雪は、今度は手紙を括り付けて狂乱丸の処へ放ったというわけだ。
 烏が届けた(ふみ)を読んで、速攻駆けつけた田楽師兄弟。
 有雪は祭りが始まる前までに井戸の内に二人を忍ばせるのに成功した。
「忍ばせるったって……全然濡れて(・・・)いなかったぞ?」
 成澄の疑問に巷の陰陽師はせせら笑った。
「フン、丸太を抱かせたおまえの時とは違うわ」
 井戸の中の入り口近くに縄を張って、そこに待機させたのだ。
 田楽師は綱渡りの技術も習得している。その種の芸も田楽の演目にあるのだ。
「前にも言ったが、あの神聖な井戸を覗く邑人はおらぬからな。発見される恐れはなかった」
 大仰に伸びをしながら改めて有雪は言った。
「さあて、隣りの郷で借りたこの神馬を返したら、今度こそ音に聞こえた温泉へ行くとするか!」
「それはいいけどさ」
 婆沙丸が首を傾げる。
「早いとこ、その白装束を脱いだらどうじゃ、成澄? やっぱり成澄に白は似合わないよ」
「何、こいつは暫くこのままで良い」
 有雪が神妙な顔で答えた。
「着替えを持ってないのか?」
「と言うより、供犠はこの白装束を身に付けていなければならんのだ」
 有雪はそう言って成澄を狂乱丸へと押しやった。
生贄(・・)は渡したぞ。後は好きに料理しろ」
「アハハハハ! これは、上手いことを言うなあ!」
 成澄は笑ったものの――
 田楽師の兄は決して笑わなかった。
 そう言えば先刻来、一言も言葉を発していない。
 その、兄の田楽師が漸く口を開いた。
「まずは何があったのか、おまえの身に起こったことを全て(・・)……
 洗いざらい話してもらおう、成澄?」
 月よりも冴え冴えした、底光りのする瞳で、
「仕置はその後じゃ」
「え?」
 橋下の陰陽師は白馬を引いてすたすたと歩き出している。
 弟の田楽師も慌ててその後に続いた。
 小声で訊いた。
「おい、助けなくていいのか、有雪?」
「俺が?」
 あからさまに鼻を鳴らす有雪だった。
「俺は今回はもう充分に助けた。これ以上は知るか!」


 
 後日談・その一

 この郷の邪神の祭りは根絶した、と橋下の陰陽師・有雪は言ったが。
 全ての後始末をしたのは、本物の帝の陰陽師・布留佳樹(ふるよしき)だった。
 彼の名宛てに何やらわけのわからない謝罪文が禁裏に届き、捨て置けず真相を解明しようと単身乗り込んだ布留は、自分の名を語って行われた〈神代え〉の暴挙のあらましを知った。
 だが、その地で毎年、生贄を捧げる邪宗の悪習が存在したのは事実である。
 〈蘆屋道満の井戸〉などと、いい加減なモノに擦り替えるのはどうかと思ったが、この際、容認することにした。既に郷内の人間はすっかりそれを信じきっていたから。
 何やら素晴らしい奇跡を体験したそうで、
『あの夜、貴方様(・・・)が見せてくださった式神の美しい姿は一生忘れません!』
 と、至る処で言われた布留は拳を握って怒りを抑えた。
「憶えていろよ、あの橋下の陰陽師め! 人の名を勝手に使いおって……!」
 とはいえ、そこは本物の帝の陰陽師である。処置は完璧だった。
 呪われた井戸は開放し、のみならず、(ちがや)で編んだ同じ大きさの輪を作らせた。
 茅は邪を祓うと言われる植物である。
 それを立てて、来年からは祭りの夜、生贄を捧げたのと同時刻に、人を井戸に投げ込む代わりに、郷内の住人全員で、ここを潜れと教えた。
 これは神聖な井戸の化現である。
 ここを潜ることで、罪も汚れも祓うことができ、また、災厄や流行病からも守護されるであろう。
 ――現在、各地に残る〝()の輪潜り〟の神事の始まりである。

 それから、既に近隣の郷で盛んな〈田樂舞い〉も、翌年からはこの郷の祭りでも呼ぶようになった。
 狂乱丸たち新座としては巡業のお得意さんがまた一つ増えた格好である。
 勿論、翌年やって来た狂乱・婆沙の田楽を見て邑人たちが『まるで、去年見た式神に勝るとも劣らない美しさだ!』と感嘆したのは言うまでもない。

 そして、この種の物語を締め括る〈少し不思議なこと〉もあったとか。
 長い間この郷の人間を呪縛し続けた悪しき祭祀。その最後の〈神の従者〉に選ばれた旅人が、唯一残して行ったはずの装束が、いつの間にか忽然と消え去っていたそうな。
 旅人を接待した邑の娘が今生の宝として大切に保管していたそれ。
 失くなっているのを知った娘は、半狂乱になって探し続けたが遂に見つからなかった。
 それ故、その旅人こそ、悪しき祭祀を止めさせに来た〈真実の神〉自身だったのでは、と今では言い伝わっている――

 伝承がお好みの皆様はどうぞ、ここで頁を繰るのをお止めくださいますよう。
 以下、蛇足ながら。

 
 後日談・その2

「兄者! それ(・・)!?」
 無事、夏の破邪の祭祀の巡業を終えての帰り道。
 弟の田楽師は兄が大切そうに抱えている物を見て腰を抜かしかけた。
「去年、成澄が忘れていった装束ではないのか? その柄に見覚えがあるぞ?」
 思わずゴクリと唾を飲む。
「す、凄い執念じゃ! まさか、奪い取って来たのか? 一片の思い出すら残させぬと言うわけかよ?」
 兄は平然と笑った。
「あの女の愛し方は間違っている」
 涼しい目で言うのだ。
「成澄は呑気で純情だから気づいておらぬようだがな。考えてみろ、婆沙。
 まず、娘は三度男を殺しかけた。
 兄を一回、成澄に至っては二回もだ。
 俺とても、娘の、『愛していた』と言う言葉を疑いはしないが。
 だがなあ、殺そうとしたその行為の内に、〈愛した者〉を永遠に自分だけのものにしたかったという思いがなかったといえば嘘であろう?」
 きっぱりと狂乱丸は言いきった。
「そんな愛し方、俺は嫌いじゃ。
 〝相手のために死ぬ〟愛はあっても、〝己のために殺す〟愛など最低さ!」
 大蛇の舌は柘榴のように赤いというが。
 同じく深紅の舌を覗かせて微笑む狂乱丸だった。
「そんな女に成澄は譲れぬよ……!」




     ――――   〈夏越しの祭り〉 了   ―――― 


  ※作中に出て来た〈蘆屋道満の井戸〉と伝承される井戸は実在します。
    現在でも彼の封印した《式神》が住んでいるらしいですよ?

 
 
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