第44話 眠り姫 〈1〉

文字数 2,296文字

【追記とお詫び】
 前話「小蕾(しょうらい)」の〈3〉~〈6〉が未掲載でした。
 申し訳ありません。この話の前に改めて追加いたしました。
 



「もうし……どなたか、おられぬか──?」
 中原成澄は大声を張り上げた。
「はて? 邸を間違えたかな?」
 昨日、根城にしている一条堀川の、俗に呼ばれる〈田楽屋敷〉に矢文が射掛けられた。
 そこに、羊の刻、当地へ赴くよう(したた)められていた。
 
《 困ったことが起こっている。ぜひ、力を貸して欲しい…… 》

 助けを求められると、じっとしていられない男である。
 黒馬を飛ばして、刻限通りに馳せ参じた。

 ☆お付き合い下さり感謝です。ここで平安京豆知識。
  お話によく出る〈廂の間〉とは寝殿造りの邸の場合、
簀子の敷いてある〈縁〉の次にある、一番外側、外に近い室のことです。
だから、日当たりも一番よく、カジュアルで、
   位の高い当主が低い身分の者と会う場合などにも使用されました。
    ”廂の間まで出でて……〟みたいなカンジで。


 指定されたそこは、豪壮な一町家。 ※一町家=120㎡四方の敷地の邸
 だが、どう見ても、森閑として人の住んでいる気配はなかった。
「うむ」
 迷っていても始まらぬ。(きざはし)から簀子(すのこ)へ足を踏み入れる。
「?」
 〈(ひさし)()〉のすぐ奥に御帳台(みちょうだい)が見えた。
「や! こんな処に?」   ※御帳台=天蓋付きの寝台
 紗幕を開け、覗き込んで、息を飲んだ。
 美しい姫が横たわっているではないか!
 歳の頃は十四、五。
 雪のように白い肌、夜空が滴り落ちたかと見紛う射千玉(ぬばたま)の髪。
 長い睫毛、淡紅の唇。
 だが、ピクリとも動かない。
「まさか……死んでいる?」
 吐息を確かめようと鼻先へ手を差し伸ばした刹那、姫はパッチリと目を開けた。
 零れるような円らな瞳、とは、まさにこれを言うのだ。
 その二つの、鈴のような瞳が、真っ直ぐに成澄を見つめる。と──

 四方が暗転した。
 真昼だったはずの世界が一瞬で闇に塞がれる。

「ば、馬鹿な? 俺は夢を見ているのか? これは──夢かよ?」
 伸ばした手を握り返された。
 その華奢な手からは想像もつかないほどの強い力。
 成澄は身動きできなかった。
「ほう? 今度は検非遺使か? 検非遺使がわらわを助けに来たか?」
「うぬ……」

 (どうしたことだ? 体が、動かぬ……)
 
 使庁でも剛毅で知られる成澄だが、恐怖で全身総毛立った。
「ならば、助けてみよ、検非遺使の君?
 わらわを、この暗黒の世界から救い出してみよ……!」
「──」
 掴み取られた手が石のように凝結している。
 そのゾッとする重さ。
 シンシンとした冷たさが徐々に体中に拡がって行く。
 〈死〉が這い登って来るのが成澄には感じ取れた。

 (俺は死ぬ。この凍えが胸まで……心の臓まで達したら、その時は、もう……)
 
 だが、振り払いたくとも、絡みつく小さな手を検非遺使はどうすることもできなかった。
 唯、ひたすら願った。
 夢なら(・・・)
 これが夢なら(・・・・・・)
 醒めてくれ、どうか……!
 俺を、現実の世界へ戻してくれ!
 誰か!

「成澄!」

 突然、背後からの声。
「いつまで待たせるのかと思うたら、こんな処で、
 また、得体の知れない姫に引っ掛かっているのか?」
 闇を払う綺羅綺羅しい装束。垂髪の田楽師は美しい眉を寄せた。
「今日は俺と存分に田楽を舞い歌う約束をしたではないか?」
「狂乱丸……?」
 田楽師はツカツカとやって来ると検非遺使の空いている方の腕を取った。
「何処の姫かは存ぜぬが、悪いな? 今日は俺の方が先約じゃ。この男はもらって行くぞ?
 さあ、行こう、成澄」
「──」
「ったく、ちょっと目を離すと、これだ! 女なんかのどこがいいよ?
 甘ったれで、ワガママで、嫉妬深いと来る。その上に底意地が悪い」
 引かれながら、思わず成澄は吹き出してしまった。
「いや、待て、それを言うなら、おまえも(・・・・)だろう?」
「何だと?」
 腹を立てた田楽師は思いっきり検非遺使の腕を抓った。
「痛っ!」
 成澄は叫んだ。
 ハッとして、目を開ける。
「?」
 そこはさっき踏み込んだ〈廂の間〉。
 爽やかな初夏の風が全身を吹き過ぎて行った。


「やあ、気がついたな?」
 逆光の中、屈み込んだ影がある。
 その白衣を見て、成澄は今一度、安堵の声を上げた。
「有雪!」
 だが、違った。
 眼前にいるのは、陰陽師は陰陽師でも、いつもの薄汚れた橋下のソレではなく、歴とした官人陰陽師である。
 輝くばかりの純白の水干。
 そして、頭にはきちんと烏帽子が乗っている。
「まずは──自力で戻って来たのは、流石と褒めておこう。
 確かに血は受け継いでいると見た」

 (……俺はまだ夢を見ているのだろうか?)

 頭を振りながら、成澄は訊いた。
「おまえ──いや、貴方(・・)は何者です?」
 この時代、尊厳は年齢ではなく位で決まった。
 目の前の男は歳は成澄と同じくらい。だが、位階が上なのは一目でわかった。
 とはいえ、聞きたいことはきちんと聞かねば。
「それから──」
 体を起こして恐る恐るそっちを見た。
 明るい陽射しの中、御帳台がある。
 そして、やはり、そこに姫が一人、眠っていた。

あれはどなたです(・・・・・・・・)?」

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