第74話 呪術師 〈4〉

文字数 2,735文字

「え?」

 陰陽師がハッとして身を捩ったのと、その覆面が斬りつけたのは同時だった。
 刹那、翼を震わせて天高く飛翔する白烏(しろからす)

「有雪!」
 雪のごとく羽が降る中、成澄(なりずみ)婆沙(ばさら)丸は駆け出している。

「大丈夫かっ?」
「ふう」
 地べたに転がった有雪、大息をついた。
「大事無い。おまえが声をかけてくれたから、すんでのところでかわせたわ」
 が、抑えた脇腹から血が滴っている。
「貴様、待て!」
 一声、身を翻した婆沙丸。
 山育ちの足には自信がある。逃げ出した覆面を追いかけた。
「逃すか!」
「キャッ!」
 飛びついて体ごと押さえつける。馬乗りになって覆面を剥いだ。
 その手が宙で止まった。
「あ、おまえは?」
「――」
 零れた赤い髪。白い面、円らな瞳。
 思い人、呪術師アシタバの妹ではないか……!



「これは一体何の騒ぎじゃ?」
 
 玄関を開けたとたん、まず飛び込んできたのは白い矢のごとき白烏。
 続いて検非遺使に肩を支えられた橋下の陰陽師。
「夜具の用意をしてくれ、狂乱丸。有雪が斬られた。東の市で襲われたのだ!」
「それはまた、物騒なことじゃ! で? その襲った奴はどんな奴だった?」
「それが、こやつ(・ ・ ・)よ」
 最後に入って来た弟が連れている娘。
 今一度、順繰りに一同を見回した後、狂乱丸は声を荒らげた。
「いい加減にしろよ、おまえたち! ここは田楽屋敷じゃ! 使庁でもなければ、施薬院でもない。いわんや、獄舎でもないからな!」
 この場合、屋敷の主、狂乱丸の怒りは尤もである。
 刺された者、刺した者、同時に連れ込むとは……!
 非常識も甚だしい。



「いたた、いたた……痛み止めだ、痛み止めをくれ!」

「全く、これだよ、情けない」
 急遽、座敷に敷いた夜具。
 その中で声高に喚く陰陽師を横目で見て狂乱丸は首を振った。
「だが、傷が軽くてよかった。こんなに泣き叫べるなら心配は要らぬな、成澄? 安心したよ」
「うむ。怪我の方は三日も養生すれば完治するだろう。だが」
 傷口を確認し、手当を終えた後で中原成澄は口を引き結んだ。
「俺が声を掛けなければどうなっていたかわからないところだった」
「有雪も有雪じゃ。日頃、『自分に見えない未来はない』などと豪語しているくせに。こんな、目先で起こることすら予見できぬとはよ。やはり、おまえは似非(えせ)陰陽師じゃ」
「何を言う。自分のことは占ってはいけないと、かの張衡(ちょうこう)も言っておるわ! 物を知らぬ輩め!」
「張衡?」
  張衡とは後漢の人。易や亀甲占い、夢占いに関する著作を多数残し陰陽道の祖と敬われている。
 その張衡が占いを私欲に使用してはならないと諌めているのだ。
 また彼は天文にも通じ独自の宇宙生成説を論じた。その偉業を讃えて現在、月には彼の名を冠した〈張衡クレーター〉もある。が、このことまでは流石の有雪も知らないはず。
 それはともかく――

「何故あんな真似をした?」
 検非遺使の威厳ある声に戻って成澄は座敷の隅で震えている娘に目をやった。
 視線の先、罪人を〝見張る〟と言うより、むしろ〝守る〟ように婆沙丸が傍らに寄り添っている。
「事と次第では、即刻、左獄へぶち込まれているところだぞ?」 ※左獄=平安京の獄舎
「申し開きはいたしません。私はこうするよりすべがなった……」
 消え入りそうな声で娘は答えた。
 屋敷へ連れて来られて、これが初めて発した言葉だった。
「だって、術が見破られてしまったから」
「え?」
「こちらの陰陽師様は私どもの――(あし)丸様の術の仕組みを見事に見破りました!」
 眉を寄せる成澄。
「どうしてソレを知っている? おまえ、まさか――昨夜の俺達の様子を盗み見していたのか?」
 赤い髪を揺らして娘は頷いた。
「はい。申し訳ありません」
 これには、一同、仰天した。
「ええーー?」
「いつの間に?」
「私、身が軽いんです。それだけが取り柄です。ですから――」
 
 娘が言うには、
 昨日、呪術を見に来た一行が気になって仕方なかった。
 どうしても普通の人とは思えず、胸騒ぎを覚え、こっそり後をつけたのである。
 そして、行き着いた一条堀川の田楽屋敷。
 その庭に潜んで、有雪が術を披露する様子を目の当たりにした――

「それで? 〈念〉と吹聴している兄の呪術の〈真相〉が、有雪の口から世間に漏れることを恐れたと言うわけだな?」
「馬鹿なことを! それこそ要らぬ心配をしたものじゃ」
 思わず笑い声を上げたのは双子の田楽師の兄だ。
「早合点もいいところじゃ! この男はそんな真似をする人間ではないわ」
「へえ? 意外なことを言うじゃないか!」
 感慨深げに弟が目を瞬いた。
「日頃、あんなに愚弄しているくせに。兄者もその実、有雪を買っているんだな?」
「いや、俺の言いたいのは、こやつ(・ ・ ・)は腹の足しにならぬような無駄な事は一切しないと言う意味じゃ」
「言いえてる!」
 豪快に検非遺使も笑った。
「コイツは一銭にもならぬ他人事などに首を突っ込む男ではないよ! アハハハハ」
「……本当ですか?」
 見開いた娘の瞳からどっと涙が溢れ出した。
「そ、それが本当なら、私……私……とんでもないことを……」
 いっぺんに緊張の糸が解けたのだろう。娘は床にひれ伏して泣き出した。
「やっと気づいたか? その通り、おまえはとんでもないことをしたのだぞ?」
 娘の嗚咽を貫いて検非遺使尉(けびいしのじょう)の真摯な声が響く。
「それだけではない。おまえ自身、この浅はかな行いのために左獄へ放り込まれるところだった。俺達としてはこんな振る舞いをした理由を聞かねばならぬ」
 検非遺使の声は厳しいが、また、暖かくもあった。
「さあ、話してごらん」
「お許しください! 私は、ただ、ただ……葦丸様をお守りしたかった……」
 娘は涙に濡れた顔を上げた。
「葦丸?」
「呪術師アシタバ様の本当の名です」
 続けて告げた。
「申し遅れました。私は名をマシラと申します」
「マシラだってぇ?」
 ここで真っ先に素っ頓狂な声を上げたのは婆沙丸だった。
「嘘だろ? 本名かよ、それが?」
 目の前の可憐な娘の名とは思えない。
 マシラとは〝猿〟のことである。
 婆沙丸のあまりの驚きようについ娘も笑ってしまった。
「いいんです。私は凄く身が軽くてすばしっこいから。似合いの名です。拾われた時からそう呼ばれています」
 
 呪術師アシタバの妹、マシラが語った話はこうである――



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